多様性が個人の能力に勝つための構造を緻密に分析。マイノリティであることが強みにへと変わる方法論は、ただ問題解決力が優れているということだけでなく、社会・組織全体の基盤を強化することに繋がっていく。多様性の恩恵を積極的に使うこと主張する著者の背景にマイノリティを多く抱えたアメリカの社会構造がある。「空気を読め」といった同調圧力の強い日本においても、多様性はもっと見直されるべきだろう。「みんな違って、みんないい」という金子みすずの言葉を思いだす。
会社のハードワークに退職して地元の商店街に戻ってきた主人公を中心にした成長小説として、それを取り巻く商店街人たちを描いた群像劇としてもよく出来ている。昭和の時代から続いている商店街だけど、そこに三丁目の夕日や木更津キャッツアイのような幻想的な世界感はない。そこには狭い視野で自分の都合しか考えないドロドロした人間模様があるだけ。彼らは個人ではなく商店=家族という単位で生活をしていて、どの家族も何かしらの問題を抱えている。そんな中で、都会にも馴染めず、地元にも馴染めない主人公とその仲間たちは個人として生きる道を模索する。彼らが周りの人間と関わる距離感が絶妙だ。ゆるやかな連帯、ゆるやかな自立。津村記久子はしばらく読んでいきたいと思う。
母親が愛したハマチの名前をつけられた小学5年生の魚彦。仲のいい男友達や気になる女子との学校生活が描かれる。子供らしいバカな遊び(マンションから唾を落としたり、ガラスの欠片を集めたり)を本気でしながらも、友人たちとの関係や気になる女子に対して気を使っている様子は大人のようでもある。
子供から大人へと変身する第二次性長期目前の小5。大人からみた子供の世界ではなく、子供からみた子供の世界が子供の言葉で語られる。子供たちは僕らが思っているよりも大人で、子供が思っているよりも僕たちは子供なのだ。
芥川賞受賞作の表題作は職場での男女の友情を描いた爽やかな作品だが、あとの2作品が曲者。『勤労感謝の日』は負け犬アラフォーが見合いの席に現れたさえない男を目の前にして、頭のなかに「コイツトヤレルノカ?」と声がするなど、見もフタも無い話が繰り広げられる。
そしてもう一作の童話風「みなみのしまのぶんたろう」では「しいはらぶんたろう」という明らかに特定の誰かをイメージさせる政治家で作家でヨットも上手い人物が登場する。幼稚な我が侭なぶんたろうのバカ話かと思って読んでいると、いつのまにやら感動話へとまっしぐら。流石だ。
文学界新人賞受賞作。「大学は奇妙な場所だった。そこでは誰もがたいそうよく喋った。/誰もが意味を追いかけていた。意味を追いかけて話しているのだと誰もが言った。/わたしは驚いた。――意味、っていったい何のことですか。」P24「いったい何を言っているのか、わけがわからない。けれども、話しすぎればその対象が変質する、という道理はわかる気がした。そしてその変質した対象を前にしたら、自分自身が何よりも変質したものになるだろう、ということも」P64
まわりの女性たちは次々に子供を産んで年を重ねていくのに、いっこう年を取らない主人公。妹たちは主人公の年齢を追い越して姉になっていく。そんな不思議な村の生活から離れて大学へ通い始めるが、そこでもうまく馴染めない。そんな中ではじめて親友と呼べる友達ができるが・・・。
「成長」の意味を問い直し、「言葉」の意味を問い直し、「意味」の意味を問い直して、すべてがよくわからなくなる。わからないけど、今時の文学って感じで面白い。
スラム街のような所で暮らす双子(ニムは暴力的で、シバは夢見がち)と、行方不明になった失語症の娘を探す父親の物語が交互に語られる。お互いの立場を入れ替えることによって、双子の片方(ニム)の精神が不安定になっていく。少女がスケッチブックに描いた絵をみることで、ニムはかろうじて現実にしがみつくような状態になる。そして、少女を失ったことで、完全に壊れてしまう父親。
喪失と欠落を幻想的な世界観で描いた前衛的な小説。帯の推薦文が村上龍なのは、この物語が「限りなく透明なブルー」に通じるものがあるからだろう。暴力的でありながら繊細な内面というあの主人公を二人に分離して描いたようにも見える。ひとりの人間の多面性を、様々な要素を持つということではなく、喪失と欠落というマイナスの要素を内在させることによって描いている。全体がとっちらかったような印象もサーカスっぽくていいと思う。
ドラッグ中毒の人たちの、最低の生活を等身大に描く。知り合いや友人が死んだり、恋人にDVをしたり、ものを盗んだり、善悪の判断が欠落した世界で、すべてがグダグダとゆるゆると進んでいく。悲惨な状況もドラッグによって平坦な日常になり、喜びもドラッグのために奥行きがない。これは反面教師を求める道徳小説ではなく、もちろんドラックの素晴らしさを歌った小説でもない。ドラッグを通して人間の内面描き本当の姿をさらけだす、といった小説とも思えない。
ドラッグを常習している人間が「こんな面白いことあってさ」という話を聞いている、という印象がもっとも近かった。内容的に不謹慎だけど、ものすごい話し上手の人なので面白く聞いてしまうという感じ。






