- 小谷野 敦
- 帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて
「ついに、あの男が帰ってきた! 一度は結婚し、裏切り者呼ばわりもされたが、今また、独り身になり、より弱気になって帰ってきた。」という紹介文が見返しのところに書かれている。無駄にテンションが高いところが微妙な笑いを誘う。前作から約6年の歳月が流れている。その間、小谷野氏は結婚をして離婚した。その結婚生活については、元妻の雇った弁護士から「書くな、書いたら訴える」と言われているらしく、まったく触れていない。かなり弱気だ。
内容としては、前作『もてない男』に対する反論についての反論が多いが、意見の食い違いを指摘しているだけの不毛なものだ。読みどころは出会い系サイトと結婚情報サービスの利用体験記だ。出会い系サイトではサクラのメールに翻弄され、結婚情報サービス会社に行けばその場で契約を迫られてしまう。こういう世界にも向き不向きがあるのだろうが、小谷野氏はあきらかに向いていない。出会い系サイトや結婚情報サービスのおかげで理想の彼女と出会えましたなんていう展開はあり得ないのである。さすが僕らのヒーロー「帰ってきたもてない男」。
以下、気になった文章を引用。
それにしても、現在にいたるまで上野、伊藤公雄(京大教授)をはじめとするフェミニスト連は知らんぷりを決め込んでいるのだが、そもそもラディカル・フェミニズムというものの有名なテーゼは「個人的なことは政治的だ」というものである。
…もてない男の敵はフェミニストらしいので、そのあたりの論争が多い。フェミニズムついてはまったく知識がなかったけど、そういう理屈だったのか
そこへいくと、ただでさえ運動音痴なのに、好きな音楽はクラシック、趣味は歌舞伎と落語、などという方向へ行ってしまった私が、同時代の女性から浮き上がってしまったのもやむをえないか、とは思う。(中略)
カラオケへ行っても持ちネタはアニメと軍歌という私では、そりゃあもてまい。
…前回は開き直りともとれる強気発言が目立ったが、今回は弱気になってしまって少し悲しい。でも、軍歌って。
一つの固有物を選ぶとき、人は自ずから、他のものを排除している。もし人をモノ化するのが罪ならば、恋愛や結婚といった形で、一人と他人と排他的に親密な関係を結ぶこと自体が罪なのである。これはずっと昔に、お釈迦さまが発見したことだ。
…中島義道『不幸論』に通じるものがある。幸福は盲目な人しか味わえないけない。
適当なところで妥協して家族などつくるくらいなら、美と知性を備えた第一級の女に、すっぱーん、と振られてとぼとぼ家路につくことこそ、被虐の快楽の極地と言うべきである。本田は、美少女ゲームの快楽を知らない者たちを啓蒙しようとしているが、むしろ本田には被虐の快楽がわかっていない。まあ、趣味は人それぞれでいいのだが、私は、人から笑われても、理想の女を追い求めて挫折に挫折を重ねる男の人生が、美しく思えるのだ。
…もてない男の美学は様々だ。この本田とは『電波男』で恋愛至上主義を否定してオタクこそ勝ち組だと宣言した本田透のことである。
春日武彦は『不幸になりたがる人たち』のなかで「たとえ悲惨であったり不幸であろうと、それが具体的であればかえって安心感につながる場合がある。曖昧であったり、不確定であることは、何よりも人の心を不安に駆り立てる。ペンディングを強いられるよりは、なんらかの現実的で具体的な事象に直面するほうが心の負担が少ないと考える人は多い」と言っている。「もてない男」を「不幸」と置き換えて考えてみると、「もてない男になりたがる人」とは、もてないという現実を具体的な理論や美学で確定させ固執していると言うことができる。逆に「もてない男になりたがらない人」というのは、もてないという現実を拒否して不安に駆られながらも、もてる方法を試行錯誤するということだろう。
関連書籍
- 本田 透
- 電波男
- 春日 武彦
- 不幸になりたがる人たち―自虐指向と破滅願望