『ゲーテ格言集』ゲーテ/新潮文庫 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

ゲーテ, 高橋 健二
ゲーテ格言集


斉藤孝『座右のゲーテ』がベストセラーとなり、この本もよく売れた。『座右のゲーテ』ではエッカーマン『ゲーテとの対話』を読み解いているのが、気軽に読める本ではないので、読みやすいこちらの本がよく売れたのだろう。読みやすいいっても、ゲーテの言葉は奥が深く、一読しただけで分かったと言えるものではない。読み返すたび、新たな発見があり、そこから読み取った意味すら変わっていく。

以下、個人的に気になったかところを引用。今回から「…」としてコメントも書くことにする。

前進する行動においては、個々の何が賞賛に値するか、非難に値するか、重大であるか、微小であるか、は問題でない。全体においてどんな方向を取ったか、それから結局個人自身にとって、身近な同年代にとって、どんな結果が生じたか、そのため未来にとって何が望めるかが、問題である。
…政治家やマスメディアの人たちに読んで欲しい格言。

われわれは結局何を目ざすべきか。
世の中を知り、これを軽蔑しないことだ。
…知識や経験を増やしても、そのことによって世の中を軽蔑するだけで満足している人たちがいる。なんのための知識や経験なのだと思う。

生活はすべて次の二つから成立っている。
したいけれど、できない。
できるけれど、したくない。
…ほんとに。

奇妙な身振りをして、
人は浮き身をやつす。
何かになろうという人はなく、
みんなもう何かになったつもりでいる。
…すごく詩的で美しい言葉だと思うが、「奇妙な身振り」というところでデューク更家が目に浮かんでしまった。あと、国際弁護士の湯浅学とか。彼らは何になったつもりなのだろうか、未だによく理解できないでいる。

少年のころは、打ちとけず、反抗的で、
青年のころは、高慢で、御しにくく、
おとになになっては、実行にはげみ、
老人となっては、気がるで、気まぐれ!――
君の墓石にこう記されるだろう。
たしかにそれは人間であったのだ。
…今回読んで、この言葉が一番心に残った。こういう風に生きたいということではなく、「人間であった」という言葉によって、人生の全てを肯定しているように使われているところが、人間という存在そのものを肯定しているように思えるところが好きだ。


 
齋藤 孝
座右のゲーテ -壁に突き当たったとき開く本