『ひらめき脳』茂木健一郎/新潮新書 | 砂場

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本の感想と日記。些細なことを忘れないように記す。

茂木 健一郎
ひらめき脳

また脳内の快楽だけでなく、現代社会においてひらめきは、莫大な富をもたらす源泉にもなりつつあります。大げさにいけば、これからは「国内総ひらめき」を高めることを目標にすることが国益にも結びつくのではないでしょうか。そのためには、ひらめきの快楽をいかに文化として根付かせるかということが大事になってくるはずです。(本文より引用)


ぜひ、茂木先生には「ひらめき大臣」に就任して欲しい。もしくは「国内総ひらめき推進委員」を発足させ委員長を茂木先生に。「大げさにいえば」と言いつつも、かなり本気で言っているのではないかと思わせる茂木先生のキャラが大好きだ。「国内総ひらめき」というフレーズを思いついた時の茂木先生の笑顔が目に浮かぶ。

茂木先生の本は「脳整理法」についで二冊目だが、本書のほうが分かりやすくて内容のバランスも取れているようなので、こちらのほうがおすすめ。

以下、気になった文。「脳整理法」にもあった内容は省いているので気になる方はこちら参照

Ⅰ ひらめきの時代

「学習」というと。知識をいかに頭に詰め込むかが勝負と勘違いする人も多いのですが、学習とは、外の情報をそのまま取り入れることではありません。どんな学習でも能動的に気づく、つまりひらめくというプロセスを経ないと定着しません。詰め込み教育がダメな理由はそこです。

Ⅱ ひらめきを生む環境

リラックスできる環境は、表現を変えると退屈な時間、退屈な場所でもあります。しかしどうやら脳は退屈が嫌いではないようなのです。むしろ「退屈という空白」を補おうと、自発的に作りだそうとします。だからこそ、ひらめく。

古代ギリシャの哲学者、ソクラテスは、自分がいかにものごとを知らないかという「無知の知」の大切さを説きました。ひらめきの大切さを味わうためには、まず何よりも自分が気づいてない数多くの大切なものの存在に目を向けることが必要なのです。

Ⅵ 記憶の不思議

子どもの描くヘタクソな絵は、脳の中で記憶が編集されていることを証明しています。写実的ではないからこそ、記憶が変化していることを表している。人間の姿をただ機械的に記憶していたら、ヘタクソな絵は描けません。脳内で記憶が編集されているからこそ、シンプルで、しかし必要にして十分な絵が出来上がるのです。

Ⅷ 不確実性を乗り越えるために

私は、映画でも小説でも音楽でも、エンターテイメントの極意は、不確実性にかかっていると思っています。いかに「おもしろい不確実性」を観客に提供できるか。「オチ」が途中でわかってしまったら、エンターテイメントは成立しえません。

ある意味では、子どもにとって、言葉を学ぶなど、そういった個々のスキルを身につけることよりも、愛着の対象をいかに持つかの方が重要だと言えるかもしれません。そのような「愛着」の対象を持ち、「安全基地」に包まれてさえいれば、子どもは必要なことは勝手に探索し、勝手に学習していくということです。