『憲法九条を世界遺産に』太田光・中沢新一/集英社新書 | 砂場

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太田 光, 中沢 新一
憲法九条を世界遺産に


珍しく流行の本を読んでみた。憲法に対する認識をもっと深めないといけないなと考えさせられた。日本はどういった方向に進むべきなのか、もっと議論が必要なのだろう。まあ「その場しのぎで」という方向も選択肢のひとつだとは思うけど。

対話形式のため引用しづらかったので、まとめてみた。重要な意見はこんな流れかと思う。

田中智学に傾倒した宮沢賢治。田中智学の世界をひとつにするというユートピア思想「八紘一宇」は第二次世界大戦での日本の海外侵略を正当化する標語として使われた。感動的な童話を書いた宮沢賢治と、日本を戦争へと向わせた思想に心酔する宮沢賢治。賢治の研究者は、こういった彼の政治活動を無視するかたちで童話のみを評価する。だが、中沢新一と太田光は宮沢賢治の政治活動と童話制作を同一線上のものと考える。正義や愛を求めることは、人と殺すことや戦争への危険も併せ持つ、と。一部を無視したり全てを否定するのではなく、こうした矛盾を受け入れることによって真の反省や自己検証ができるはず。つまり、日本はあの戦争を全否定してしまったため、自己検証ができていないのだと指摘する。

そして、日本国憲法というものはアメリカの押し付けだと捉えるのではなく、あのタイミングでしか生まれなかった奇跡の憲法であるという認識を示す。敗戦後の日本の後悔と反省、この国を二度と戦争を起こさせないというアメリカの思惑と理想、両者の思惑が絶妙のタイミングで合わさったからこそ生まれた憲法。さらに、平和憲法をつくったアメリカ人の思想には、アメリカ先住民の考え方が色濃く影を落としていて、それは環太平洋の民族が持っていた理念とも繋がると言う中沢氏。日本国憲法はアメリカに押し付けられたものというよりも、その精神の底流を流れるのは、もっと大きな人類的思想の流れであるのだと。

確かに憲法九条は現実の国際政治などとてもやっていけない内容であると、二人とも認めている。その存在を、俗世を離れた修道院やチベットの僧院のようなものと例える。修道院とは、普通の人間は違う厳しい条件の中で、理想を求めて生きている人達がいる場所。現実のしがらみの中で毎日を生きている町の人が、ふと見上げると、そこで立派な生き方をしようとしている人がいる。そういう場所があるということで、人の心は堕落しないでいられる所に修道院の存在価値がある。日本国憲法は世界に対して、そういった存在に成り得るのだと。

日本国憲法は他国からは弱気弱腰とか批難されるが、その嘲笑される部分にこそ、誇りを感じていい。「ドン・キホーテ憲法とサンチョ・パンサ現実政治の二人が二人三脚をしてきたゆえに、日本は近代国家の珍品として、生き抜いてこられた。だからこの憲法は、まさに世界遺産だと思うのです。」と、中沢氏は言う。