ある雑誌をパラパラと見ていた。
すると、「学生時代からずっと日記をつけてきたから、今もひとりだけど明るく次のことを考えられる」と書いている人がいた。
毎日思いをつづることで、落ち着いて前向きにモノゴトを判断できるということだろう。
1日の記録をつづることは、その日のことを思い返し、嬉しかったこと・腹が立ったこと・悲しかったことなど、いろんな思いを書くことになる。
決していい話ばかりではない。
あとから読み返して、さらに辛くなることもある。
わたしはとてもいやなことがあったとき、苛立ちを書きつづることがある。
すぐに話す人がいないからという理由もあるが、自分のなかで昇華することが大切だと考えている。
愚痴ばかり言っている人と話したい人はいない。
そんなわけで、思いを文字に起こして、発散しようとすることがある。
書きながら、もっともっと思いが強くなり、眠れなくなることもある。
結果、なぜ思いを書いてさらに苛立っているんだろう…、書かなければよかったと感じることもあった。
そう考えると、「日記をつけてきたから前向きに考えられる」とはならないだろう。
わたしはこんなふうに考えた。
知り合いの90歳の方は、もう半世紀ほど日記を毎日書き続けているという。
とても温厚でユーモアのある話上手な90歳。
いつも笑顔で楽しそうにものごとを語ってくれる。激しさがまったく感じられない。
この方も「わたし、日記をつけているでしょう。どうでもいいくだらないことばかり書いているけど、亡夫のこととか読み返すとやっぱりすばらしい人だったと思う。」と、前向きな姿勢を示す。
今も亡夫を尊敬し、愛していることが伝わってくる。
長年の日記=前向きになれるということではなく、辛かったことの日記については、人に話さないだけだろうか。
やはり辛かった日記を目にして、当時の思いが蘇って辛くはならないのだろうか。
今日はこんなことを考えて過ごしていた。
わたしはあえて手書きで日記をつけない選択をしている。
辛いことは考えず、前だけを向いて行動したいと思う。