わたしはとても大事に育てられた。
いわゆる過保護だと思う。先天性の病気のせいもあるが、母の性格も大いに関係する。
祖母は、さらに過干渉だった。
祖母から孫のわたしへの過干渉もすごかった。
大学時代は、アルバイトもダメ、門限は22時、泊まりはもちろんダメ、出かける前に必ずどこで誰と会うか、何時に帰ってくるか確認される。
本当に縛られた
何度も泣きながら喧嘩したけど、条件は緩和されず…
嘘をついてやり過ごしたこともあったが、自分の希望が叶っても気分は晴れない。
もう「どんなに訴えても惨めになるだけだ」と諦める気持ちが強くなり、会う人の名は適当に変えてデートもしていた。
つい先日まで、これが継続していた
こんなわたしだけど、このあいだは母が突然、「もう子どもに頼るような歳になってきたのに、私はまだあなたのお世話をしてる。うんざりすることもあるでしょう」って。
休日になると、何かと「◯◯行こう」と誘ってくる母。「これもよくないのよね、ホントは。私が子離れできてないのよね」とへこんでた。
そして、「あなたの好きにしていいのよ」と
やっときづいてくれたと思ったのも束の間。
毎日、わたしの朝食、昼弁当、夕食の準備を万全にする。
「仕事で帰りが遅くなるから、夕食は食べてていいよ。
あとからレンチンして温めて食べるし、正直ゆっくり味わう気持ちの余裕がないから…」と話してみた。
だがやはり、わたしの帰りに合わせて炒め物や焼き魚を調理する。
わたしは逆にイライラしてしまう。
意識しすぎなのかな
ほっといて!!と思ってしまう
そして、友人とお酒を飲んで遅く帰る日は「あんまり遅いと駅まで迎えに行けないから。遅くなる時は、自分でタクシーで帰ってきてね。」と言われる。
言われなくても、母に来てもらうつもりはないのに
最近見つけた本。
『気づけない毒親』(高橋リエ著)
激しく「毒親」を否定する意見もあり、決めつけ過ぎなところもあるのではないかと感じたが、やはり母との関係で悩む女性が多いことがわかった。
大学時代の束縛は、当時の友人たちからは当然ネタにされていた。悔しくてその場で泣きそうになることも、何度も何度もあった。
わたしが帰ることで、飲み会がお開きになることがほとんどだった。
支払いがあると、自分だけがそっと帰れないことにもとてもイライラしていた。
友人からも心配され「駅まで送ろうか」と言われてしまう始末。
わたしは何しに行ったんだろう。
本当に情けなくつらかった。
飲み会があるたびに、母にイライラしていた。
そして今、母自身がわたしに対して過保護・過干渉だったと認識して「自由に」していいも言うが、今はわたしの方が切り替えられなくなっている。
何かと決断する際、母が背中を押してくれるまで決められない。何でも相談しなければ落ち着かない。
自分で決める責任を取れないということなのか。
こんな自分にもうんざりしている
仕事でうまく堂々と振る舞えなかったり、オドオドした口調になってしまうことがあるが、決断力がない、自信をもって回答できないことが原因である。
落ち着いて考えれば充分理解していることを、人に説明できない。
わたし、何を学んできたのだろう。
母のせいにしたくない自分と、やはり母のせいとしか思えない自分もいる。
こんなことを悶々と考えた月だった。