去年、興味惹かれて読んだ本に『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』がありました。
かなり端的にいえば、アルフレッド・アドラーが提唱したアドラー心理学の説明書です。
ずいぶん多くの人が読んでおり、ベストセラーにもなっていた本です。
わたしもやっと去年、借りてきて読むことができました。
哲人と青年の対話形式で、小説のようにストーリーをもって、アドラー心理学の考え方を説明して行きます。
青年にとっては実践の場にもなっているので、読む側も疑似体験ができる気分でした。
この2冊を読んだ後、アドラーという人に興味が沸き、心理学の説明ではなく、自身の伝記を探してみました。
そんななかで、こんなタイトルの本を見つけました。
『アドラーをじっくり読む』(岸見一郎 著)
上記2冊の本と同じ著者の作品です。
このなかに、「アドラーの人生と執筆活動」という章があります。
この章を読んでみたいと思い、この本を購入しました。
パラパラとめくり、購入前に少しだけ内容もかじりましたが
「まえがき」を読んでいると、わたしが直感的に感じていたことがそのまま書いてある一部分がありました。
これまでに読んだ『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』と、『アドラーをじっくり読む』を読んだ感想の違いについてです。
両方ともアドラー心理学の考え方について説明するものですが、読後は印象が異なります。
印象というより、理解度でしょうか。
わたしが感じたという一部分は…
「一方的に話を聞くのではなく、問答をすることが真理に到達するためには必要です。読者は哲人と青年の対話の現場に立ち会っていると感じられるでしょう。」というところです。
対話形式だと、読む方は青年と哲人双方の思いに触れることができ、スムーズに理解できます。しかし一方的な説明文では、読む人が感じた疑問に立ち返ることはできず、アドラーの考えを取り入れてみようと努力するので、理解して自分のものにするにはまだ時間がかかるといったイメージです。
わたしはこれを、とても強く感じました。
自分のこととしてイメージできるかどうかで、理解度が変わってくるのです。
対面形式の2冊を読んだうえで、この本に出会えたので、先にアドラー心理学の概要を押さえていたことがよかったと思います。
もう少し読み進めてより理解が深まって、自分を変える勇気が出てくればベストだと思います。