痛みを感じさせるメリットはなんだろう?
と思った。

振り返ると
痛みを理由にいろんなやりたくないことを
断ってきた。

断る理由に痛みを使ってきた。

そして自分が何も提供せず
お金を受け取る罪悪感みたいなザワツク気持ちの代償にしてた感じも思い浮かぶ。

痛みをいろんな気持ちの引き換えに
使ってきたのかも。

わたしの価値を感じられない事への理由に
使ってきたのかも。

でも今は、頭では
わたしの価値は何ものにも代えられず
測れるものでもない。
存在自体が価値だと思ってる。

だからこそ、感情を目安に
この思考は違うと気付けるようになってる
とも思う。

今は痛みを理由にしなくとも
やりたくないことをやらない選択が
出来るようになってることも多い。

まだ使うこともあるけど
そこに罪悪感みたいなものはあまりない。

でもまだ痛みはある。

続いて、お金のことが浮かんだ。

入ってくる予定だったものが入ってこず
いつだいつだと半年以上
思い出しては不快に感じてたもの。

それがふと
「わたしのベストなタイミングで入ってくるんだろう」と思ったその日に
入金完了の連絡が来た。

執着してたのか、と思った。

そして手放したらこんなに
事象化が早いものか、とも思った。

他にもあったな。

今から会う予定の人にこう言われたらイヤだ、と思って不快を感じてて

どうしてそう言われたらイヤだと思うのか
どうしたいのか?
を自分に問いかけつつ
その手放しをその度に意識した。

会う前には、なんと言われようが
わたしの価値には関係ない。
そしてわたしはやりたくないことは断る。
こう言って断ろう。

どうするを決めたら
気持ちがスッキリして、その人に会った。

実際会ってみたら
思い悩んでた事は一切起こらず言われず
想像以上に早く帰れる展開となった。

これも執着を手放して
相手がどんな反応しようと
わたしはハートに従った選択をするだけだと
決めたからかな。

そしたら痛みも
望みとは反対のエネルギーを出してしまってる執着があるのか、と思った。

そうなんだろう。

引き続き
わたしは自分にどんなメリットがあって
痛みを感じさせてるのか
自分に問いかけしておいて

執着のエネルギーを出してないか
気付くたびに手放すよう意識して

どう在りたいかを決める事を
意識してみようと思う。