今日は、亀戸七福神めぐりだそうだ。(ダンナの計画したことに、反対の余地なし)

・・・私、二日酔いなのに・・・。でも、歩きたいから、いいか。


「常光寺 じょうこうじ」   寿老人

 異国風な人がいた。バリ島みたいな。



「東覚寺 とうがくじ」  弁財天


 
 
 「香取神社 かとりじんじゃ」    大国神・恵比寿神

慶の昔、平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願した。乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、勝矢と命名された。
この古事により、1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられている。
歴代の天皇をはじめ源頼朝、徳川家康などの武将達、また剣豪塚原卜伝、千葉周作をはじめとする多くの武道家達の篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていた。
このような由来から、亀戸 香取神社は「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げている。
 



 
  
 みんな、自分の力を出し切れればいいね。


 
  
 香取神社の脇の、歩道橋を渡ってきたんだけど、

階段の段差が、微妙に低い。親切で、低めなんだろうけど、なんだか、歩きにくかった。

で、降りるとき、つんのめって、転んだ。

「落ちるーーー」と思ったけど、階段に崩れ落ちる形で、右すねをぶつけただけで済んだよ。

キセキだ。そして、痛くなかった。泣き所なのに。酔いがぬけてないから??

で、タイムリーにここに来たので、右すねに、たくさん、お水を掛けさせてもらいました。

あと、頭。 ばかに歯止めがきかないから (^^♪



 
 ヒヨドリの赤ちゃんが、水浴びをしていた。かわいい~~。

親鳥が、「近くに変なおばさんがいるよ」と、教えると

ぱっと、少し移動して「わかってるよー」と返事してた。

でも、逃げないで、水浴びに夢中になってて、親鳥の心配が、痛いほどわかったおばさんなのだった。


「普門院 ふもんいん」   毘沙門天

元和2年(1616)に豊島郡石浜三股城内(いまの荒川区南千住3丁目)から移転してきたと伝えられています。その移転の際に誤って梵鐘を隅田川に落としてしまいました。そこが鐘ヶ淵(墨田区)の地名の由来となった言われています。
 墓地には、歌人の「伊藤左千夫」や幕末の名横綱「秀ノ山雷五郎」の墓などがあります。


 
 
しっとりと、まったり、優雅な人がいた。

 
 
にゃんこ~~

あまり手入れをされてない感じだったけど(いろいろ事情があるのかな)

この、寝ているにゃんこの後ろには、蚊取り線香が焚いてあったの。

なんだか、ほっこり。優しい人で、よかったね。


 
 雨樋から、たくさんの雑草が生えている。

その後ろには、新しいマンション。

亀戸は、古い、新しい、が、入り混じった、町でした。


「天祖神社 てんそじんじゃ」   福禄寿


 
 
たくさんの童。・・・・・・ちょっと、コワいな・・・(;´・ω・)


 
  
ウケる ( *´艸`)

さっきまで、ちょっと怖かったのに、ワロた。 オムツしてやって。

カンチョー、したくなる。

 
 

すごく、ごつくて立派な岩の上にいる狛犬くん。



 
 夏の花が咲いてる。




 
 

どこ歩いていても、見えるスカイツリー。なんだか、変な感じ。



「龍眼寺 りゅうげんじ」    布袋尊

龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。

その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。

江戸初期には、住職が百種類もの萩を諸国から集めて境内に植えたことから、通称“萩寺”として多くの文人墨客が訪れ、「江戸名所図会」には萩を愛でる人々で賑わう様子が描かれています。

境内に咲く四季折々の花々は、訪れる人の心を和ませ、松尾芭蕉、落合直文など文人墨客の句碑が昔の風情を偲ばせます。



超福耳★

 
 
でたっ!!!!!!

布袋さんの、この笑顔!!!!つられるっ (*^▽^*)


 
 スケベじじぃにも見える、この笑顔。

歯並びいいなぁ。・・・やっぱ、つられっ (*^▽^*)

 
 萩の季節に、是非、訪れたいですなぁ~~。


 
 
足跡。

ちょこっとだけ開いていた隙間から、笑顔。


 
 ここで、七福神めぐりは、終わりました。



「亀戸天神社」


 
 
 
 
 原道真公をお祀りする当社は下町の天神さまとして広く知れわたり、多くの方々に親しまれております。
古くはご本社にあたります九州太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」と称されておりましたが、明治6年に東京府社となってより亀戸神社と号し、昭和11年に現在の亀戸天神社と正称いたしました。

正保三年(1646)九州太宰府天満宮の神官でありました菅原大鳥居信祐公(道真公の末裔・亀戸天神社初代別当)は神のお告げにより、公ゆかりの飛び梅の枝で天神像を刻み、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもって、遠くは日光または盛岡などの諸国を巡り歩かれ 、そして江戸の本所亀戸村にたどり着かれ、村に元々ありました天神 の小さなほこらにご神像をお祀りいたしました。
当時徳川幕府は、本所の町を、江戸の大半を焼き尽くした明暦大火の被害による復興開発事業の土地とさだめ、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公はその鎮守の神様としてお祀りするように現在の社地を寄進されました。
そして、寛文二年(1662)10月25日に太宰府の社にならい、社殿、回廊、心字池、太鼓橋などを営み、以来約350年後の今日まで東国天満宮の宗社として崇敬されてまいりました。


 
 合成写真みたい ( *´艸`)


 
 

 
  
 いろんな形の亀。まーーー、たくさんいたわ。

ここは、藤の頃に、来なきゃだわ。

初めて来たのに、来たことある??と思ったのは、「寅さん」だったー。

寅さんが八千草薫とデートしたとこだわね。

寅さんといえば、昨日のニュースで、江戸川で鰻が釣れるか?をやっていた。

確か、寅さん、江戸川で釣ってたよ。

あのシーンって、脚色?何??と疑問だったんだけど、(鰻がいるとは思えなかったから)

本当に、いたんだね。

あ、でも、私の寅さんブームは、今、だけど、よく考えたら、寅さんが鰻を釣ってたの、

40年位前になっちゃうのかなーーー??昔昔の話だったわな。



そして、帰路へ・・・。


と思ったら、途中下車。



「日蓮宗 大本山中山法華経寺」


当山は鎌倉時代の高僧日蓮聖人が最初に開かれたお寺であります。
日蓮聖人は四つの大きな法難に遭われておりますが、その一つ松葉ヶ谷の焼打に遭われた折、大信者でありました若宮の領主富木常忍公(日常聖人)と中山の領主、太田乗明公は当地に聖人をおつれして百日百座の説法御弘通をお願いし、聖人自ら釈迦牟尼佛を安置し開堂入佛の式を挙げられました。これが法華経寺のはじまりであります。

その後文永元年(1264)11月11日、日蓮聖人は東条の郷小松原の地に於て、御難に遭われ眉間にきずを追われる危急の際、鬼子母神が出現したまい、その救護によって一命が救われ、中山に御避難された折、疵の養生のかたわら鬼子母神霊験に深く感じ、その尊像を自ら彫刻開眼されたのであります

今日中山の鬼子母神さまとして天下泰平、五穀豊穣、万民快楽、子育守護等の祈願成就の御尊体として広く全国信徒の信仰を集めるに至ったのであります

近年その御霊験を慕う人にて育生会を組織し入会者が全国に広まっておりますまた、日常聖人は日蓮聖人のお書きになられた御書の散逸を逃れるため 置文や目録を作成し 今日に至っております(聖教殿)

 



 
 
美輪さんが、節分の時に来ているなーーー、と思ってるだけだったとこ。

こういう所を、巡る夫婦になろうとは、思わんかったよ。

巡るのが目的じゃなくて、歩いていたら、あちこちにお寺、神社があるから、回ってみるか、という流れなんだけど。


 「 祖師堂」



 
 
 



銅像なのに、眼力がすごいって・・・。
本当に、こんなに濃い顔立ちだったのかしらね??

 
懐かしいおもちゃ屋さん。子供の頃を思い出す。

ダダこねても、買ってもらえなかった、悲しい思い出。

 
かわいいイラスト。ブタ君、プリティー。牛君、ニヒル。

あれっ。ニヒルって、死語???


そして、やっと、やっと、帰ったのだよ。 17000歩くらい。





本日のお土産ーーー。


 親ガメ、子ガメ、孫ガメ。
ダンナが、どうしても買いたかったパン。



「まぜてぇ~~~~~」
親ガメ「・・・・・・なんか、来たっ」

 
 「よいしょ、よいしょ。」
親ガメ「・・・・・・お、重っ・・・・・・。しかも、他人じゃねーか!」

 

  
 うっかり、色々買っちゃったけど、大喜びしてくれるちびっこは、SUN家には、もはや、いないのだった・・・・・。かなしーーー。

しばらく、専業主婦でいくつもりだけど、出かけたとき、ちょこっと何か買うときに、

ダンナのお金だ・・・と思って、気が引ける。

そういう時、専業主婦に、向いてないな、と思うよ。



あー。
久々のアップ。疲れた。

接続、やっぱり、切れるし。