今、障害児の放課後デイサービスで働かせてもらってるいる。

小学校から高校まで知的障害も発達障害も様々な子供達が利用している。

対人恐怖症とかいろいろあるので、
人とあまり話せない。
コミュニケーションをとるのが下手である。
スタッフさんとは、挨拶程度。
でも、子供達と接しているときの私は
半ば別人のように、
笑って素で接していたのだよ。

普段は、
自分が幽体離脱しているかのように
体がズレているような
自分が掴めず ボッーとしているのだけど、
そのズレ感は変わらなくても、
ずっと楽に楽しく話して、接している。
私にとっては、友人と話しているような時間。
そのラフさは、逆に私ってこんな性格だったけ?
と不思議になる。

子供達といる時、

私は警戒心がなくなっていた。

素の自分で 話し、接することが
自然に引き出されているのだ。

大人には、思惑や、その人の常識や価値観で人を見られる。そこからはみ出した時、
理解できない人、へんな人となる。
人のそんなジャッジに過剰に反応してしまう。
無意識に、自分の意見を全部捨てていた。
逆らえない従順な犬のように。
目の前の人の意見を飲み込みます。

そんな体の仕組みができてしまった。
パブロフの犬のように条件反射です。
人とぶつかることが
こわい、ので、考えるより早く体が動く。

まず、無意識に起きている『反射』を
意識していくこと。
それから、できるなら、ちょっと待つ。
反射を認識して、動こうとする体を動かないように留まる。

そして、その私のもつ『反射』こそ
私らしいことなんだ!
と最近、ある人の言葉で気がつきました。
私のもつ本質。
私の人生でついた傷のようなパターン。
それが、
私らしさの一片。

なんて発想だろうと思った。
本質という表現から
説明できる人生があった。

これを知った時、やっと後悔が消えた。