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九州の豪族、熊襲の地を
散策です。
熊襲とは諸説ありますが、肥後国から大隅国「九州南部の熊本から鹿児島あたり」を居住した部族で大和朝廷と争い、臣従し、隼人として仕え、勇敢な部族であったと云われております。
和氣神社に参詣です。
小さい神社ですが
柔らかで心安らぎました。
和氣神社 由緒より
御祭神 和氣清麻呂公命
「わけのきよまろこうのみこと」
御神号 護王大明神
奈良時代の末、769年
宇佐八幡神託事件に際し
和氣清麻呂公は、勅使として、
宇佐八幡宮の御神前に祈り戴いた
真の御神託を復奏し道鏡の
野望をくじかれたが、
道鏡の怒りを買い大隅の国に
流される。1853年薩摩藩主
島津斉彬は日隅二洲巡視の折
霧島山下、犬飼瀧付近に籠を駐め、
手づから一樹の松をて植え、
その後八田知紀に命じて
和氣公の遺跡を精査せしめる。
この結果現地中津川犬飼瀧付近
と確定された。
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こちらは別日に参詣した霧島神宮
三種の神器と稲穂を棒持して高千穂に天降りました天孫ニニギノミコトの聖地
鹿児島、良いところです。
今度は二泊くらいして散策します。
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