釧路のむとうさんのラーメンは

幼少の頃によく食べさせてもらった

ラーメン屋さんで

母がたまに連れて行ってくれたり

麺だけを買ってきて、

家でラーメンを作ってくれたり

私のソウルフードの一つだった。


だいぶ昔に製麺所だけに代わったと噂に聞いていた。




すぐそばにラーメン屋さんがあって

昔のむとうさんの店舗をリフォームして使ってるような気がした。

50年以上昔の話


母と夫と食べてみた。


懐かしいような味がしたけどそれはやっぱり似て非なるもの

化学調味料に辟易する


気が済んだ。


思い出は思い出だけのために。


私は幼少の頃の記憶がはっきりとしていて


色んな出来事と場所を記憶していたから


その思い出をなぞるように


夫に車を走らせてもらった。


湖畔幼稚園から坂を上がり

住んでいた炭鉱住宅の長屋の面影など残っているはずもなく

この辺だったと立ち止まる




森を抜けて通っていた湖畔小学校も

昔のレンガ作りの校舎はとうに建て替えられていて

湖畔幼稚園から小学校が見えるほどの近い距離だったことに驚く


低学年だった私の足では途方もなく

遠い場所だったのに





角の床屋さんは代替わりしながら続いてきたのだろうか


坊ちゃん刈りにされて終わると白いベビーパウダーを鼻筋にぬられて「はい終わり」と高くした椅子から下ろしてもらった。


髪型を注文する時に

母に坊ちゃん刈りを指定されていたけど

「長くできたら長くしてください」と

床屋のおじさんにお願いすると、クスリと苦笑いされたもんだ。


あの眼鏡屋は昔呉服屋さんで

女優のマツシマトモコさんが、サイン会だかに来るとなり、近所のおばちゃんたちと母にキャーキャー言いながら連れて行かれた。


そこからずっと上り坂になる商店街からの

ある日の帰り道


荷物を両手で抱えた母に

「もう歩けない。抱っこして」とせがんだ

麻疹にかかって朦朧として

それでも引きずるように歩かされて

家に着くとへたり込んだなり

三日三晩意識もなく寝ていた

目を覚ました時のこともよく覚えている。


太平洋炭鉱の

この工場は

あの時のまま

時が止まっているようだ。





兄がこの工場を絵を描くと

小学校で表彰されて

炭鉱の広報部が取材に来て社報に載ったりした


私が当時の思い出を夫に聞かせるでもなく

独り言のように

話し出すと


「記憶力が尋常じゃないね」と言われた


記憶にベッタリと張り付いた感情まで思い出す。


春採湖だと見せても


母はふーんと不思議そうに頷く。


思い出は思い出だけのために。


気が済んだ。