翌日シェアハウスへMarcoとJavierを迎えに行った。

主人とJavierが両脇を支えながら車に乗せた。

Marcoは足を地面に着ける事も出来なかった。

Marcoを再び病院へ⋯

車椅子に乗せるととても器用に車椅子を操った。

車椅子でなければ移動はできない。


怪我は救護テントで見たよりもとても酷い⋯

この状態では完治に時間が掛かる事が分かった。

両膝の傷はとても深く大きい。

Dr .に任せるしかない。


Dr.の判断で膝の専門医へ紹介して頂いた。

ランチの後再び病院へ⋯

私はチームの関係者に連絡をして私が全て決めて良いのか聞きました。

私に全て任せますとの返事でした。

それは私を信頼して下さったからでしょう。

私はMarcoに万全な方法を尽くさなければならなかった。

紹介された病院には膝専門のDr.がおられてとても安心した。


Dr.は英語が堪能だった。

診察室に入り傷跡を見たJavierはその酷さや痛がるマルコムを見て気分が悪くなり診察室から出てしまった。

いくつかの検査を済ませDr.が説明を始めた。

右膝の骨折⋯手術の必要がある。

Marcoは呆然とした。

全治3か月⋯

Marcoは母アルゼンチンへ帰りたがった。

しかしアルゼンチンの医療より日本の医療の方が発達しているのは明確だった。

Dr.はMarcoの選手生命をとても重要視されていた。

ロードレーサーにとって膝の怪我は致命傷になりかねない。

ここで動かすとMarcoの選手生命は終わる。

MarcoもJavierも納得せざるおえなかった。

Marcoのアルゼンチンへ帰りたい気持ちは痛いほど分かる。

Marcoはまだ終わりたくないと・・・

私もMarcoの選手生命をここで終わらせたくはない。

絶対に日本で復活させようと決めました。


Dr.は手術日をすぐに決め急いでくれた。

しかしMarcoは英語が得意ではない。

Dr.や看護士さんが手術日や入院中の事に尽力して頂いた。

Marcoは日本食が食べれない。

魚も食べれない。

Marcoには特別なメニューが出された。

それでも無理だった。。。


Marcoを復活させる事だけを考えていた。

MarcoとJavierと頑張らなければ⋯


Marco の入院の前日私達はすき焼きとしゃぶしゃぶを食べに行きました。

いつもと変わらないMarcoとJavierの笑顔⋯

乗り越えられる絶対に乗り越えると信じた。


入院当日MarcoとJavieは準備をしてシェアハウスで待っていた。少し不安そうに見えた。

入院の手続きをして病室へ⋯

二人部屋で外が見えていい感じでした。


食事は出来るだろうか?

不自由な事はないだろうか?

看護士さんとコミュニケーションはとれるだろうか?

多分私はMarcoより不安だった。


突然Javierが話し始めた。。。

僕たちはお金を持っていないよ。

病院にお金を払えないよ。

僕たちは月に25,000円の食費で生活しているから⋯

えっ⋯嘘でしょう?

他にもらってるでしょう?

もらってないよ。25,000円だけ⋯

とても信じられない。

本当に25,000円だけだけ????

そんな⋯契約書持ってるでしょ?

持ってるよ。

見せて。。。


契約書には食費として25,000円

しかも自転車に必要な消耗品はチームからはサポートは無く

彼らが支払う。

しかも日本語でした。

何?この契約書は!!

25,000円⋯1日830円。。。

とんでもない信じられない。

なぜこんな事になってるの?

分からない・・・

頭の中は??????でしか無かった。


彼らはギャラの話は日本に来てしようと言われそれを信じて日本に来ました。

まさか日本のチームがノーギャラなどと彼らは思いもしなかった。

なぜ言わなかったの?

あなたにとても良くしてもらってるのに迷惑がかかると思ったから。

チームの外部の人間だからそんなの関係ないよ。

大変な問題ですよ。

でも中山氏とは波風立てないで⋯

なぜ?

中山氏に何をされるか分からないから。。。

大丈夫だから。。。

MarcoとJavierを守らなければ⋯

ママは息子を守る。

MarcoのママもJavierのママもきっと守るはず・・・


今までの出来事を彼らは話し始めた。

それはとても辛く悲しく怒りを覚えざるおえませんでした。

彼らは日本に来てすぐに中山氏と金銭トラブルになった。

彼らは中山氏と会う度に喧嘩になった。

そうなのか・・・中山氏は彼らと逢いたくないので私を買物に行かせたのか・・・そう思えて仕方ない。

うまい具合に使われたのか?

私を選んだのは間違ってた・・・かもね。。。


MarcoとJavierを守る。。。