中国の十八番は戦略的入植だけではない。
心理的に軍事的脅威や生命への危機感を与え、人心を揺さぶることで言論を左右するのも
ロシアや北朝鮮などと同様に、独裁主義国家にとって常套手段である。
沖縄近海などでは、中国船籍と思われる不審船の領海侵犯も日常茶飯事だが、
恐ろしいことに、無断で『原子力潜水艦に』不法越境されたことすらある。
これは「その気があれば戦略海域にできる」という意味である。
元より戦争嫌いの日本人は外敵に脅威を感じた時、安易に白旗を振る場合がある。
誰でも危険からは逃げたいと思うし、新聞などのメディアもそれを後押しする。
それでも沖縄はまだいい。
日本の領土であるため、台湾よりもそれらの直接的な脅威からは比較的守られている。
しかし台湾の場合はもっとストレートだ。
中国は台湾を自国領とみなしており、台湾が独立を宣言した場合には
「国家の分裂を防ぐという大義名分」により武力攻撃を行うことを認める国内法
『反国家分裂法』を2005年に既に成立させている。
つまり「独立したら殺す」と国内法で決めた、と言っているのである。
ちなみに1995年、1996年には実際に台湾海峡にミサイルを放っている。
さらに数千発のミサイルを台湾に向けて恫喝し続けているのである。
中国の野心の一部について簡単にみてきたが、
軍事的恫喝を受けているのは海の向こうの台湾だけではない。
恫喝されているのは、我々全ての日本人も同じなのである。
我々日本人が知らされていないだけで、中国の夥しい数のミサイルは
東京・大阪・沖縄など、日本のほとんどの主要都市に向けられている。
日本政府に正常な国防意識があるならば
「ボタン一つで数千万の日本国民が死ぬ」という状況を
放置すべきではないのは当然だ。
国家に国民を守る意志があれば
「いかにして日本を守るか」「いかにして“ボタンを押す自由”を奪うか」について
何らかの方策が確立されるまでは国家の最優先議題になっていてしかるべきである。
だが現在の日本はそのレベルにすら達していない。
世界中の誰がどうみても「軍隊にしか見えない自衛隊」、それも英語表記では
『Japan Self-Defense Forces(日本自衛軍)』という組織をいまだに軍隊とは認めず、
新聞等のメディアは“自衛を考えること”だけで「右傾化」と揶揄する。
(※自衛することは思想でも何でもないので、右派や左派などの概念とは無関係である)
戦争や軍備どころか、地域紛争や揉め事を「極度に」恐れて逃げ続けているのである。
「考えたくない、議論したくない。面倒臭いし」という風潮は、メディアが嬉々として
「考えるべきではない、議論すべきではない。……アジアに信頼されるために」という
無責任で、いかにもそれらしい、一見すると平和的な言葉に変えてゆく。
だから言われっぱなしであり、言う側からすれば、言い放題なのである。
いくら経済や技術や文化が立派でも、そんな弱腰では
二流どころか三流の北朝鮮のような国からも馬鹿にされ、
核やミサイルで恫喝されるのも当然の成り行きである。
戦争反対!と「願うだけ」では戦争がなくならないことは歴史が証明している。
“侵略者を撃退するため”だけに武器を持つのではなく、
“侵略を思いとどまらせるために”抑止力を持つ、であるとか、
“侵略を思いとどまらせるために”多国間で軍事同盟を持つ、等の
「前向きな行動」を起こさなければ戦争を避けることはできないのである。
戦争をしたくないからこそ、インドは考え、核を保有した。
その途端にインドと仲の悪かった中国は態度を180度豹変させた。
中国はインドにちょっかいを出さなくなり、近接した関係を築くことになった。
「核を持ち、戦争をしない」
これがインドが自ら選んだ「行動」である。
戦争をしたくないからこそ、イギリスのチャーチルは考え、
1946年3月、有名な「鉄のカーテン演説」の中で
米英の永久軍事同盟を提唱した。
これはイギリスとアメリカが同盟し、強大な軍事力によってソ連を牽制していれば
ソ連のスターリンの「野心と冒険心を誘うといった事態」にはなりえず、
結果的には米英同盟の“強大な軍事力を使うまでもなく”安全が保障されると
考えたからである。そして、それは完全ではないまでも実現された。
「同盟を組み、戦争を避ける」
これがイギリスが自ら選んだ「行動」である。
日本は早急に、そして十分に議論しなければならない。
メディアを正して、国民一人一人に考えさせなければならない。