〔日本的思惟に於ける「公け」〕
日本の伝統的思考においては「公け」とは「大親家」であった。われらの生命は大生命より出で、大生命を大親として、そこより発して国家の形成となり、祖先、父母を通じて、大生命の流れを汲んで個人にいたるのである。大親なる大生命(天照大御神)のいのちの流れは国家の生命となり、祖先の生命となり、父母の生命となり、子孫の生命となる。ここに大生命→国家の生命→個人の生命は、一貫して一体であり、「公け」に尽すとは、自己の生命の本源のうち最も本源なるものに尽すことになるのであります。ところが、この占領憲法に於ては、公け(公共)とは、個人主義者の集団なるただの社会を意味するだけであり、「公共のために尽す」ことは、必ずしも国家の興隆のために尽すことではなく、国家をつぶしても「吾ら全般の福利のために尽す」という意味になっているのであります。そこに革命運動の種子が蒔かれているのであります。(谷口雅春師『私の日本憲法論』所収「占領憲法の非真理性とその影響」より)