三島由紀夫の杜◆制作ノオト
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再録■三島由紀夫没後40年アーカイブス◆「春の雪」に隠された隊列の音

お久しぶりです。

からっ風です。

松江市民となりましてから今日で28日、そして二・二六事件から80年という不思議な巡り会わせにある種の感慨を覚えずにはおられない小生が今ここにおります。

過去に「イザ!」というサンケイのブログサービスがありまして、今回は小生が過去に投稿した記事を再録したく存じます。

それでは、二二六の将兵の熱き思いを初心に今後ともよろしくお願いいたします。


三島由紀夫氏没後40年という節目の年に、「豊穣の海」を通して読み返した。


前回読んだのは私の年齢が三島氏の生涯の年齢を超えた5年前、奇しくも三浦重周氏が自決した年であった。


恥ずかしいことだが、今回の読書で初めて、春の雪というこの作品の題名を理解することができた。初読以来30年が過ぎたが「豊穣の海」は私が今までの生涯で一番多く、繰り返し読んできた文学作品である。


にも関わらず私はずっと、春の雪とは清顯と聡子が雪の朝、車に乗って逢い引きをし、初めての接吻を交わしたあの美しくも印象的なシーンから取られたものとばかり思っていた。


この作品にはもう一つ印象的な雪のシーンがある。それは物語の終幕近くで、聡子会いたさに清顯が月修寺に通う場面である。


この場面の前後を時系列に並べると、物語は次のように展開している。年号は大正3年。


  • 2月21日   清顯東京を出発

  • 2月22日   帯解着 宿屋から車を雇い月修寺へ

  • 2月23日   午前と午後に月修寺へ 車は門前まで

  • 2月24日   月修寺へ 宿屋から徒歩

  • 2月25日   月修寺へ 発病

  • 2月26日   月修寺へ 車は門前まで 雪(風花) 深夜本多合流 病悪化

  • 2月27日   本多月修寺へ その日の夜行で帰京 意識混濁

  • 2月28日   午前6時新橋駅到着

  • 3月2日    清顯死去

お気づきの方もおられようが、2月26日は清顯が月修寺から最後の否を宣告された日である。


病に蝕まれた体にはもう寺に通う体力は残されていない。そして雪。


この雪を三島氏は作品の中でこう描写している。


「この日大和平野には、黄ばんだ芝野に風花が舞ってゐた。春の雪といふにはあまりに淡くて羽虫が飛ぶやうな降りざまであったが……」(単行本351頁)

清顯は車を門前に待たせ、喘ぎながら参道を往く。
「命を賭けなくてはあの人に会へないといふ思ひが、あの人を美の絶頂へ押し上げるだらう。そのためにこそぼくはここまで来たのだ。」(同354頁)

三島氏はここで初めて「春の雪」という言葉を使っている。この日付は偶然であろうか。春の雪には、ここまではっきりと日付がわかる個所は他にはほとんどない。例えば先にあげた雪見のシーンでも、日付は明確にされていない。前後の文章から、この日が正月から飯沼の卒業試験までの間ということがわかるので、おぼろげに、1月か2月であろうということくらいが読み取れるだけである。


命を賭けるべき絶対の美(天皇 聡子)、そして絶対の美からの峻拒。この主題は三島氏が金閣寺や二・二六事件に関する一連の発言の中で繰り返し訴えて来たことに繋がる。


◆三島に最も影響を与えた磯部◆

三島由紀夫 |磯部
◆磯部浅一◆
明治38年4月1日 山口県大津郡菱海村河原に生まれる。

大正15年陸軍士官学校卒業。安藤輝三と同期。行動力と情熱において二・二六事件決行の主導者の一人。事件後、長文の獄中手記を残し、昭和12年8月19日処刑。

戒名◆深廣院無涯菱海居士

辞世
国民よ 国をおもひて 狂となり
痴となるほどに 国を愛せよ

三十二 われ生涯を 焼く情熱に 殉じたりけり 嬉しともうれし

天つ神 国つみ神の 勅をはたし
天のみ中に 吾等は立てり


三島氏が二・二六事件を意識してこの日付を設定したかどうかは、今となってはわからない。


ただし、先にも触れたように、絶対の美、雅からの拒絶、雪、主人公の死、と並べてみると、偶然とは思えない。雪の2月26日に向けて、清顯は聡子に会いたいという執念を抱いて帯解に旅立つが、思いはかなわず19年の生涯を閉じる。それから22年後の同じ日に、国を憂える青年将校、兵士達は昭和維新を志して決起するが、ここでも思いは届かない。


第二巻の奔馬では、この二・二六事件とほぼ同時代を生きる主人公の飯沼勲が、昭和の神風連たらんとする。


小説「春の雪」は、二・二六事件へのオマージュであったというつもりはない。この二つの日付の一致はすでにだれかによって指摘されていることだと思う。


ただ、鈍感な私が最近初めて気が付いたというに過ぎない。


また、多くの読者にとって、題名の春の雪が、雪見の逢瀬からではなくて、帯解に舞った淡雪から取られていることも自明のことだろう。


◆二・二六事件決起主要青年将校◆

安藤輝三

◆安藤輝三◆
明治38年2月25日東京に生まれる。

大正15年7月陸軍士官学校卒業。歩三勤務中の秩父宮とは非常に親しく、部下からも敬愛され、二・二六事件の判決では首魁として断罪されている。

戒名◆諦観院釈烈輝居士

辞世
一切の 悩は消えて 極楽の夢

尊皇の義軍 敗れて寂し 春の雨

心身の 念をこめて 一向に
大内山に 光さす日を

國體を 護らんとして 逆徒の名
万斛の恨 涙も涸れぬ ああ天は


村中孝次

◆村中孝次◆
明治36年10月3日北海道旭川市に生まれる。

大正14年陸軍士官学校卒業。すでに大正時代から農民の窮乏に深く人間的同情を抱いており、教養深い知性が一挙に二・二六事件の首魁としての行動をとらせるに至る。昭和12年8月12日 北一輝らと処刑。

戒名◆自性院孝道義運居士

辞世
ただ祈り いのりつづけて 討たればや すめらみ国の いや栄えよと


野中四郎

◆野中四郎◆
明治36年10月27日青森県弘前市に生まれる。

大正13年陸軍士官学校卒業。二・二六事件前の2月19日、遺書を書き残しており、「蹶決趣意書」も野中の草案に村中が筆を加えたものである。昭和11年2月29日陸相官邸の一室で拳銃にて自決。「天壌無窮」と認めた絶筆が残されている。

戒名◆直心院明光義剣居士

辞世
我狂か愚か知らず 一路遂に奔騰するのみ


本年(2010年)は没後40年ということで、例年になく多くの三島本が出版された。そのすべてを読んだわけではないし、同様に特集記事で賑わった雑誌に関しては、気になるものを二、三本立ち読みしたに過ぎないが、失礼を承知でいえば、つまらない本も多かった。


ただし、生前三島氏と親交のあった方々も年齢を重ねており、歴史の証人としてもう残された時間が少ないということであろうか、そういった方々が文章を残すということの意味は大きかったと思う。



三島由紀夫研究会◆メルマガ会報 平成22年(2010)12月31日(金曜日) 貳 通巻第462号 | 小論■改めて気がついた『春の雪』の日付の意味 浅野正美より
構成◆Taro Matsui

審判

お久しぶりなのであります。

からっ風です。

今日で松江市民になりましてから24日が経ちますのであります。

何だかモヤモヤとしますね。

「審判」とタイトルを付けた限りは何かタロットの話をしなければなりませんよね。

私が師事しているのは伊泉龍一先生のテキストをベースにしている訳なのですが、「審判」ということでうーんと考え込んでしまいました。

その意味するところは「過去に意味を失ったものも、なにかの拍子に新たな意味で蘇ることがある」というものです。

今朝はメガネが歪み、昼近くに直してもらおうと街中へ出かけたのですが、行く先々でポリスが立ってましたね。

件の「竹島の日」ですからね。

で、メガネ屋はとかすかな記憶をたどり、ミナリさんっていうメガネ店に行きましたら、「内では直せない」と……。

で、殿町へ行き、反戦平和の署名活動をしているおばちゃんに署名を求められました。

ひと様に借りている部屋ですから、さらりとかわし、その場を立ち去り、今井書店隣りのメガネ屋に立ち寄り、そこでもダメ。

で、もと来た道を戻りましたら、署名活動をしているおばちゃんがおり、捉まったらヤバイなと思い、通り過ぎようと思いましたら、さっきのおばちゃんに捉まりまして、「イスラム国が何だ」と言われ、「メガネ屋さんはどうされたましたか」と聞かれ、メガネの三城へ行く羽目となりました。

で、何が「審判」なんでしょうね?

ええ、三城さんでは実に丁寧な対応をしていただきました。

相変わらず我が家ではラブリーズを流してますよ。

兎に角、混乱してるんですよね、頭が……。

確かに目の前に拡がる光景は覚えている。

三城の帰りにこの通りを行けば、自宅に帰れる。

それで、昨日、松江カトリック教会での古いお付き合いのあるコーチャンさんと夕方まで飲んだ記憶はある。

何なんでしょうね、人生って。

たまにおっさん1号さんには昨日買い物に誘うメールをいただきました。

何かピンと来るものがない。

やっぱり「中年の危機」でしょうかね。

一体、何か「審判」なんだ!

ちと、ヽ(´з`)y―┛~

じっくり考えないけませんね。

審判~

兎に角、目の前にあるものを食べましょう!

それから、今日の結論は出るでしょう。

一応、歯磨きを終え、ケータイを見ましたら、たまにおっさん1号さんからのメール……。

もぉー、どげでもよくなりました。

映画『真夜中のカーボーイ』でも観ましょうかね。

河合隼雄にタロットと心理カウンセリング、どう関わってくるのか、今ではさっぱり分かりません。

あっ、そう言えば、二二六事件の日が近づいていますね。

私なんぞ竹島より二二六の方が大事でござんす。

磯部浅一さんの霊が来ておりやすから。

遥か昭和は遠きになりにけりでござんす。

「泪罹の淵に 波さわぎ」が聞きたくなりました。

それでは、またお会いしましょう、さよならさよならさよなら。

あっ、これだったのね、「審判」って。

おー、ラブリーズから軍歌にCDを切り換えましょうか。

仲良くできんかね

みなさんにはお久しぶりのからっ風なのであります。

お陰さまで松江市民になってから18日が経ちました。

市役所へ行ったのが去る8日のこと。

その帰りに須衛都久神社でパシャリと……。

須衛都久神社

道々、思ったんですけどね、何だか物騒な所に来ちまったと。

県庁前だったかの芝生の電光掲示板には竹島の文字が点滅されておりまして……。

で、気づいてみると、来週の22日は「竹島の日」じゃあーないですかぁー。

何やら普段は静かな松江市内が物々しい雰囲気になる気配が……。

心が痛みますね。

と言いますのも、昨夜は昔買い求めたDVD『僕の彼女を紹介します』を観ておりまして、「自分の韓流の原点はこんなところにあったのか」と。



ですから、日本と韓国、仲良くできんかねと思った次第であります。

それでは、またお会いしましょう、さよならさよならさよなら。

みんな逝っちまう



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お久しぶりなのです、からっ風です。

今、チビチビ‘あったか家族’を飲みながらこれを書いておりやす。

何なんでしょうね、人生って……。

BGMはレスリー・チャンのアルバム。

今日はクリスチャンである小生は教会へ行って来ました。

そして、手許にあるのは小田イ輔著の『呪怪談』。

小生の好きな作家・漫画家の類はみんな気づいてみると、故人なんですね。

小田さんは健在ですが……。

山田花子にしろ三島由紀夫にしろ、そうそうこのレスリーにしろみんな逝っちまってる。

ちとヽ(´з`)y―┛~。

戻って参りました。

ソライブ切りましたよ、ウルサイから。

おー、映画『金枝玉葉』のテーマソングがかかっているではないですか!

あー、終わっちゃった。

トイレの芳香剤が音を立てました。

外の瓦は雨模様。

と思ったら、母からの長電話。

思いのほか、酔っている模様。

そろそろ晩ご飯を食べて、落ち着きたいですね。

兎に角、小田さんがお勧めです。

きむすめ

はいっ、またお会いしましたね、からっ風です。

今朝はなにやらモヤモヤとした不安を抱えつつも、田原総一朗がかつてメインキャスターをやっていた『サンデー・プロジェクト』の時間帯には、晩ご飯に備え、スマねぇーのお米を研いでおりました。

きぬむすめ

只今、美味しく炊き上がったご飯を食べまして、ジェントでくつろいでおるところです。

スマねぇー、かくも不思議な土地に再降臨してしまったと思っております。

まっ、イロイロとあったことをつらつらと書けば、キリがないので今宵はこの辺りで……。

それでは、またお会いしましょう、さよならさよならさよなら。
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