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2013年5月7日 16:30 (Number Web)

 F1で日本人エンジニアの
 バトルが!
   松崎淳と小松礼雄の
     頭脳戦を覗く。



 White Catのブログ-F1で日本人エンジニアのバトルが!
 バーレーンGPの決勝レース。前を行くフォース・インディアの
 ディ・レスタと、それを追うロータスのロマン・グロージャン。
  photograph by Getty Images (Number Web)


 バーレーンで、2人の日本人エンジニアが、レース終盤に表彰台を賭けて戦った。

 ひとりはフォース・インディアに所属する松崎淳である。フォース・インディアに移籍する前、松崎は日本の企業に所属していた。F1がやりたくて選んだ会社がブリヂストンだった。

「就職活動をしていた大学4年生のころ、1冊の本に出会って、モノづくりの面白さを再確認したんです。それは本田宗一郎さんの著書で、F1への思いが強くなりました」

 大学で物理を専攻していた松崎は、機械工学科の学生たちが多く採用される自動車会社ではなく、タイヤ会社を選択。当時、ブリヂストンはまだF1に参戦していなかったが、面接官とのやりとりから「近い将来、F1へ挑戦する計画がある」ことも確認していた。

 松崎が入社して4年後、ブリヂストンはF1へ参戦。松崎もF1用のタイヤの構造設計に携わった。その後、松崎はスチュワート・チームの担当となって1年間グランプリの現場を経験。さらにミシュランとタイヤ戦争を繰り広げていたころにはフェラーリとの共同開発を行うという重要な任務にも就いた。


フォース・インディアに
    移籍した松崎の不退転の決意。

 しかし、ブリヂストンは2010年限りでF1から撤退する。

「ブリヂストンを辞めるかどうか、かなり考えました」という松崎の背中を押したのは、妻だった。ブリヂストンを退社する決心がついた松崎は、F1チームへ移籍するため、ビザを取らなければならなかったが、松崎が取得したのは就労ビザではなく、永住ビザ。不退転の決意だった。

 2011年にタイヤ&ビークルサイエンス部門のシニアエンジニアとしてフォース・インディアに加入した松崎は、テクニカルディレクターの直下のスタッフとして、トラックエンジニアリング部門、ビークルダイナミクス部門、エアロダイナミクス部門、サスペンション部門など、タイヤに関わるあらゆる部署と連携を密にし、徐々に存在感を高めていった。昨年の最終戦でニコ・ヒュルケンベルグのトップ快走を支えていたのも、松崎の功績に因るところが大きい。

 その松崎がバーレーンで自信を持って授けたレース戦略が2ストップ作戦だった。バーレーンは19戦中、屈指のリアタイヤのデグラデーション(パフォーマンスダウン)が大きいサーキット。ほとんどのチームが3ストップを採ってきた。


2度目のタイヤ交換で
    松崎が選択したのはハードだった。

 しかし、松崎はブリヂストン時代に培った経験とフォース・インディア加入後に築いたノウハウで、2ストップで走りきれるセットアップをマシンに施し、レース中は無線を通して、表彰台圏内を走行していたポール・ディ・レスタにテレメトリーを見ながら、ドライビングの指示を細かく送っていた。

「どこかのチームが『ダウンフォースがありすぎて、今年のタイヤは使えない』って言っていますが、それは言い訳。もし、私がピレリのスタッフなら、圧倒的に反論します」

 判断が分かれたのが、レース後半、2度目のピットストップ時だった。

 2番手を走行していたディ・レスタを逆転しようと3番手を、同じ2ストップ作戦で走行していたキミ・ライコネン(ロータス)が先にピットイン。逆転を阻止するには、すぐにピットインしたいところだったが、松崎は確実に表彰台を獲得することを優先。最後のスティントを短くするため、2周待ってからディ・レスタをピットに呼んだ。そして、そのとき装着させたタイヤがハードだった。

「ウチのクルマとセットアップなら、軟らかい方のミディアムでも行けたかもしれない。でも、ライバルたちのタイヤのタレ具合がひどかったので、安全策を採ってハードにしました」


ロータスの小松も
    2ストップ作戦を考えていたが……。

 残り21周。3位が確実かと思われた松崎の前に、立ちはだかったのが、もう1人の日本人エンジニアだった。

 ロータスの小松礼雄である。

 ロマン・グロージャンのレースエンジニアを務める小松もまた、バーレーンで2ストップ作戦を念頭に置いてスタートさせていた。だが、スタート直後に前方で起きた接触事故で飛び散ったパーツがグロージャンのサイドポンツーンとブレーキダクトに入り込んでオーバーヒートしたため、そのパーツを取り除くために予定より早くピットインしなければならなくなる。

 ここで小松は2ストップから3ストップに変更した。予選でわずかにミスを犯して11番手からスタートしていたグロージャン。ライバル勢と同じ3ストップ作戦で上位を目指すためにはコース上で抜いていかなければならない。しかし、今年のピレリタイヤは必要以上に攻めすぎると、あっという間にタイヤが機能しなくなる。前を追いつつ、タイヤに負担をかけないギリギリのペースを、小松はグロージャンに毎周のように無線で指示した。

 それは最後のピットストップを終えて5番手でコースに復帰した43周目も同じだった。

 3番手を走行しているディ・レスタまでのギャップは8秒。残りは14周。

 一気に差を詰めたいところだが、小松は冷静だった。


予想外のアクシデントと
    冷静な判断が順位を分けた。

「向こうはハードで、こちらはミディアムのニュータイヤ。だから、焦る必要はなかった」という小松は、ディ・レスタを射程圏内にとらえてからはじめて、ゴーサインを出し、同時にミクスチャーを変えてエンジンのパワーを上げさせた。残り6周でディ・レスタをオーバーテイクして3番手に浮上すると、その後はディ・レスタとの間隔を確認しながら、タイヤを労るよう指示。今季初の表彰台を手にした。

「ロマンには去年の終盤とは違ったプレッシャーがあったと思います。去年のベルギーGP以降はぶつけてはいけないというプレッシャー。でも、いまはそれに加えて結果を残さなくてはならないプレッシャーがある。しかも、今回は予選で失敗し、レースでもスタート直後に不運があった。それを乗り越えて表彰台に上がったこの3位は大きな意味を持つ」

 F1はドライバーの戦いであると同時に、チームの戦いでもある。ドライバーズ選手権とコンストラクターズ選手権があるのは、そのためだ。ドライバーラインアップから日本人は姿を消したが、F1で戦う日本人はまだまだいる。彼らの戦いにも、注目していきたい。


(尾張正博 = 文)

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