昨夜、つけっぱなしにしていたニュース番組から、
米国下院議員であり公民権活動家のジョン・ルイスが亡くなったことを知りました。
去年の暮れに末期のすい臓がんに罹っているということが分かったのですが、
治療中もワシントンD.C.に残り、
最近もジョージ・フロイドさんの事件やその一連のことがによるプロテストについてのインタビューを積極的に受けていらした。
インタビューを見る限り、いつもの穏やかな物腰ですが彼の内側から燃え盛る炎が感じられました。
ホワイトハウスに面した一画がBlack Lives Matter スクエアと改名され、その名をペイントされた場所に赴き、自身の両足でしっかりと立っていた。
ですが80歳の高齢ということもあったのでしょう。
もう少し長生きしてここの社会がシフトするのを見届けて欲しかったです。
ジョン・ルイスは黒人差別の酷い南部のアラバマ州で生まれました。
11歳の時に叔父さんと親戚の住むニューヨーク州のバッファロー市(余談ですが私の故郷金沢市の姉妹都市よ)に行った時に、
白人と黒人の子供達が同じ学校に通うのをみて、南部の差別の酷さを思い知ったようです。
その後、15歳の時にキング牧師のことを知り、黒人のローザ・パークズさんが白人専用のバスの席を譲らなかったことが発端のモンゴメリーのバスボイコットに多大な影響を受けました。
そして18歳の時から彼が師と仰ぐキング牧師と出逢いキング氏のように牧師になるために神学校に入ります。
当時南部ではジムクロウ法による人種隔離が合法で、黒人はコーヒーショップと呼ばれる食堂やレストランに普通にお客としては扱われなかった。
そこでジョン・ルイスをはじめとする黒人の若者達が昼食時の食堂のカウンターに座り注文をとってくれるまで黙って席を立たないという静かな抗議運動を行いました。
怒り狂った白人達に席から引きずり落とされようと、後ろから殴られようと非暴力、無抵抗。
そして21歳の時にワシントンD.C.からニューオリンズまでグレイハウンドバスで旅をするフリーダムライダーの最初の13人の一人となりました。
それは勇気ある黒人と白人の学生達のグループ。
当時南部では、黒人が白人が隣同士にバスの席に座ることが法律で禁止されていたんです。
旅の途中でジョンは白人の男たちに殴る蹴るの暴行を受け怪我をします。
それでもその2週間後にはまたフリーダムライダーとして参加します。
そしてアラバマ州では他のライダーと共に待ち受けていた白人のグループにより暴行を受け瀕死の重傷を負います。
警察に暴行を加えた犯人をチャージするかと聞かれましたが、ノーと答え、ノンバイオレンスを貫くのです。
1963年にはキング牧師と共にワシントンでのマーチに参加。23歳で最年少のスピーカーとなります。
そして1965年3月7日。
投票権と投票妨害の阻止を求める運動の一環としてのアラバマ州セルマからモンゴメリーのマーチに参加。
ジョンは先頭を切って歩きます。
背中にはリンゴが二つと歯ブラシの入ったバックパックを背負って。
それは逮捕されて刑務所行きを覚悟の上。
そして死をも覚悟の上の抗議のマーチ。
そしてジョンを含めマーチに参加した人たちは
エドモンド・ペタス橋を渡ったふもとで待ち構えていた警官たちによって暴行を受けたのです。
ブラディーサンデー(Bloody Sunday)事件です。
先日ブログに書かせていただいたライトスキンの南部出身の黒人女性キャロラインさんの祖先、
そして同時に敵でもある南部連合の名士、KKKのEdmund Pettusを讃えた橋での出来事。
この悲惨な事件、無抵抗の人々が暴行を受けている映像がテレビで報道されて、
その二週間後、テレビを見て怒りを覚え、いても立ってもいられなくなった人々が全国から集まり
全長380メートルの橋を埋め尽くしたのでした。
この流れで時の大統領、リンデン・ジョンソンが選挙権法を制定しました。
私とか、普通に考えたら大人になったら与えられる権利だと思っていた選挙権ですが、
ほんの50年ちょっと前までは、黒人達はこんなにまでして改革を訴えなければいけなかったなんて。
私も米国民一年生として心して、清き1票を投じたいと思います。
ジョンは下院議員となってからも積極的にプロテストに参加していて、これまでの逮捕歴なんと通算45回!
2016年に銃規制を求めてなんと!議会中に抗議の座り込みを決めるのです!
共和党のポール・ライアン議長は国会のテレビ中継をカットするのですが、この映像はFacebookライブなどで流れてもっと臨場感たっぷり!
この民主党の議員達による座り込みは25時間も続いたそうです。
それだけじゃない、2013年には彼の視点から公民権運動を捉えた「マーチ」という漫画本を出版。
サンディエゴで開催されるコミコンに、ブラディーサンデーのマーチの時のステンカラーにコートにバックパックという自身の「コスプレ」で登場!
子供達のハートをギュッと掴んだのでした。
実は彼の訃報がテレビで流れたときみーゆの方が先に気づいたんですね。
「オーノー、マミー!私学校で彼の本を読んだところだったのに!」
そして二人でテレビに見入っていると程なくみーゆの携帯にメッセージが。そして鳴り止まない!
見るとたくさんの友達がジョン・ルイスの死を悲しんでメッセージを送り合っていたのでした。
正直、びっくりしました!
子供って大概政治のことには興味ないのに、
彼の偉業が子供達の心を動かしたんだって。
人種差別をなくすために、
弱者の自由と権利を守るために、
自分の一生を捧げてきたジョン・ルイス。
無抵抗、非暴力で訴えるという信念を貫いた。
その優しさと強さを忘れないで、
その意志を受け継いで、シフトしていこう!
若い世代と一緒にね。だからどうか見守っていてください。