I am “the” black guy. | カリフォルニアで人生を遊ぶ女。ルビー!

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美味しい人生の作り方語ってます。味見も自分で。酸いも甘いも、明るい陽射しのロスアンジェルスからお届けします!

少し前のブログで我が家はこっぴどい差別を受けた経験があまりない、ということを書きました。



もちろん、マイノリティーとしてこの国に住んでいれば、


ちょっとした、こめかみがピキっとするような発言や態度を取られたりってのはありますけど、


そんな事いちいち気にしてたらやってらんないし。


ほざけカス!と思うぐらいです。
(そんでそーゆーこと言うのホントに社会の底辺にいるような人間ばっかです)


それでもムカつくような事も昔はあったと思うからまた思い出したら書きますね!(もの忘れ激しい、ハハハ)


さてさて、うちのダディーの話。


彼はlaid back、日本語ではゆったりとか気立てが良いとかになるのかな?どんな相手とでも気兼ねなく話しかけたり打ち解けられるタイプ。


それはビジネスの場でも、娘の学校の父兄とでも、旅行中の知らない土地でも道歩いててもそう。



そして会話も気が合いそうな人たちとだけじゃなく、全く正反対の意見の人とでもしらっと討論とかしています。


そんなダディーがマジうらやましい〜!


私は日本人の間や英語がネイティブじゃないグループの間では結構おしゃべりさんなんですが、


英語がネイティブの、特に白人の多いグループの間では借りてきた猫のように大人しくなりますニコ


ダディーが社交家なのは彼のフレンドリーで明るい性格のせいだと思ってたんですが、


:mo:さんのブログを読んでそれだけじゃなかったのかも?って。




:mo:さんの旦那さまの生まれ育った町は黒人と白人の比率が半々ぐらい。


近隣の町からも離れた所にある町で、住人はみな人種関係なく同じような家計状況。


そんな狭い社会の中、人々はお互いに寄り添って暮らしていたそう。


そこには人種間の隔離も差別もない。


:mo:さんは、旦那さまが白人中心の社会に溶け込んでいるのはそういった環境で育ったからだと思ったそうです。


もしそれが、白人と低所得層の黒人が通りを隔てるくらい近い距離でも全く交わりなく別々に暮らしている環境だったらそうはいかなかった。


それを聞いてあっ!と思いました。


ダディーの故郷はワシントンD.C.。


アメリカの首都で、まあ言うなれば都会ですが、かなり特殊です。


まず、最近まで全人口の過半数が黒人でした。


政府の機関が集中していて、ということは公務員という安定した仕事が多くある。


もちろん、政治家や各国大使、ジャッジなどが住むのはジョージタウンやRock Creek Park に程近いお屋敷街だけど、


普通のオフィスワークなどをする公務員たちは市内の少し離れたところにある住宅地に住んでた。


前にも書きましたがダディーのお父さんも陸軍の内勤の公務員で、ダディーの小さい頃に街中から郊外の住宅地に越してきました。


ダディーと婚約して初めてDCに行った時に会った幼なじみたちはみんな黒人だったから、周りみんな黒人という環境で育ったのかな、と思ってたんですが、


違った!びっくり


下はダディーより一学年上の幼なじみの小学校のクラスの写真です(お借りしてま〜す😋)。




黒人と白人の子供たちの比率が約半分づつ。


ちなみに幼なじみ君は一番左側の前から三列目です。


白人の子も黒人の子もやっぱり親が公務員が多くて、


裕福ではないけどみんな似たようなインカムの家庭。


通ってた教会も近所のバブティスト教会で人種もミックスで牧師さんが白人だったそうです。


だから白人とも気兼ねなく普通に付き合ってた。


まあでもだんだん黒人の家族が移り住んでくると白人たちはもっと郊外に引っ越して(逃げて)いくんですが。


それでもダディーの高校の卒業アルバムを見る限り、まだ白人の子が三割弱いましたね。


これは高校生の時の写真。



黒人の男子生徒のFraternity 、同好会?みたいなの。


この写真もお借りしてますがダディーも写ってます。最後列の変な帽子かぶってる奴🤣



このような人種間でほぼ対等に育ってきたダディーたちの両親は南部の出身。戦後にDCに越してきました。


お母さんは子供達に、「人と話す時はそれが誰であろうと、顔を上げて、相手の目を真っ直ぐに見て話しなさい。」といつも言っていたそうです。


Mama’s Boyのダディーはそれをちゃんと守ってきた。


今考えると、昔は、または両親が育った南部では白人と目を合わせることが許されなかったのかもってダディーが言ってた。


そんな環境としつけのおかげか、この白人社会でこれみよがしな差別を受けることなく、比較的トントン拍子でここまできたダディー。


でも彼が言うには良くも悪くも、自分はいつも、


「I’m THE black guy.」


それはビジネスの場でも、娘の学校の父兄とでも、裁判の陪審員の中でも、オフの友達グループ内でも。


その集合体の中に一人だけの黒人。


(まあいつもいつも彼一人だけってことはないでしょうけど。)


それがこの国での彼を指す形容詞だって。


それは彼の外見だけでなく、バリューをも示す形容詞。


う〜ん、それを彼が言った時私はなんと答えていいかわかりませんでした。


でもそれはオジさん世代だからなのかも。


今の子供達は人種関係なく友達付き合いしてるみたいし(少なくともロサンゼルス近辺では)、人種とバリューは関係性がなくバリューは個性であると認識されているんではなかろうか。


この調子で人類がお互いの違いを理解した上でそれを尊重しながら本当の意味で心を開き合える関係になる日が来ることを願っています。


頼もしい若い世代に超期待してるよ!