盗まれたアメリカン・ドリーム。 | カリフォルニアで人生を遊ぶ女。ルビー!

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去年コロラド州で起こった警官による若い黒人男性の殺人事件。



もうほんとうにイヤになる。この事件のこと、私は::mo::さんのブログで知ったのですが、このような事件は表に出てこないだけで日常茶飯事。



彼を殺した警官たちは不起訴に。でも今回のBLM運動の影響でこの事件の再調査が行われることになったらしい。


それは喜ぶべきことなのかなとは思うけど、


亡くなったElijah McClainさんの命は戻ってこない。



今アメリカ各州や市単位、そして国会でもポリスの組織の改革や法改正が進められていて、


そのことによって理不尽な理由で拘束されたり殺されたかもしれない人が減るのは歓迎します。いったい何人の命が救われるのでしょうね。


だけどこれは単に社会を改善するための最初の一歩でしかないと思います。


この国に染み付いたシステミック・レイシズムをぶち壊すにはまだまだ大仕事が残ってる。


一筋縄ではいかない大仕事すぎて途方に暮れる...。



前のブログでうちのダディーはひどい人種差別を受けたことがなかったということを書きました。


それはたまたまで、ほんとラッキーだったんだと思う。


強いて言うならいろんなラッキーが重なったのかなぁとも思う。


それは彼の人生を取り巻く環境が大きかったんじゃないかしら。


ダディーの両親が添い遂げたこともそのうちの一つだし、


両親、特にお母さんがすごく信念の強い人だったからってことも。


そして家族と彼が子供の頃を過ごした環境。


ダディーのお父さんはCCC (Civilian Conservation Corps) から軍隊に入り戦後ワシントンD.C.でお母さんと共に家庭を築きました。


最初に住んでいたのは職場にほど近いダウンタウンの家。


この家をどうやって手に入れたのかは聞いていないのですが、多分退役軍人専用のローンが下りたのかと思います。


今はDCのダウンタウンといえば若いプロフェッショナルに人気の地域ですが(NYでいえばハーレムのような)


昔は治安の良くない地域だったそうで、


ダディーの一番上のお姉さんがまだ子供の頃に犯罪に巻き込まれてしまったことをきっかけに、


もっと治安の良い郊外へと引っ越すことにしたんですね。


そこは白人の住宅街。


売家を見つけたダディー一家、でも不動産のエージェントは黒人家族を相手にしませんでした。


だけど、その家の持ち主が、「このファミリーに買ってもらう」と言ってくれたそうです。


それはダディーがまだ小学校に上がるか上がらないかの頃だったけど、持ち主の「Mr. Powell」という名前を今でも覚えてました。


この近所ではダディーの家族が最初か、二番目の黒人の住人だったそうです。


そうこうするうちにダディーのファミリーのように親が政府で働いている黒人のファミリーが沢山越してきて、


ダディーが高校生の頃はまだ白人の同級生もいたようですが、最終的には黒人の中流家庭のエリアになりました。


そこで沢山の友達に囲まれた平和な幼少期を送りました。



彼は6人兄弟の5番目で、お母さんはもともと小学校で教員補佐をしていたそうですが、専業主婦で子育てをして、


基本的にお父さんが家族の大黒柱。


兄弟たちはティーンになるとお小遣い稼ぎのために新聞配達や庭掃除などのアルバイトをしていたそう。


決して裕福ではないけれど典型的な戦後のアメリカの家庭。昭和の日本の家庭っぽくもありますね。


もう一つラッキーだったのは、退役軍人の子供は大学に行くと補助金が下りたということもありました。(現在は法律が変わっています)


言い換えれば大学に行くというオプションがいかないオプションよりも有利ってことです。


ダディー達は6人兄弟のうち4人が大学に行きました。


ついでに子育てから手が離れたお母さんもダディーと同時期に大学に卒業し、晴れて正式に教員として社会に戻ったそうです。


先述のダウンタウンの家は人に貸して少しですが家賃収入源になってました。


今思うとダディーのお母さん、かなりのやり手だったのかもですね。


その恩恵か、子供達は持ち家があるということが経済的に安定につながるということを自然と学んだんでしょう。



さて、ダディーと私が家を買ったのは結婚して2年後のことでした。



1997年です。


それまで私達はダウンタウンの歴史ある建物を改造したアパートに住んでいて、


食料品を買い出しによく行っていたシルバーレイクに家を買いました。


その時は私たちは不動産売買のことには超疎くて、


オファーが受け入れられてから実際にクローズするまでに半年近く時間がかかったこと以外は全く問題なし。


(後で気付いたんですが、これはショートセールの物件だったらしく、売り手と売り手側の銀行間の交渉に時間がかかってたみたい。)


人種差別なことはなかったはず。


当時はアメリカ不動産バブルが弾けに弾けまくったどん底で、家が余りまくってたからなのかな?


それからずっとこの家に住んでいます。


知らないうちにここ、エンタメ業界の人たちに人気のエリアになり、家の価値が上がっていって、


ローンを組み直してその利益から家のリモデルをしたり新たに投資物件を買ったりして、


日本は大都会以外は家の価値って上がらないから、


こんなふうに暮らしが豊かになっていくのはアメリカならではなのかな、としか思ってなかったです。


でも、今回アメリカの住宅ローンの歴史やシステムの事を知って愕然としました。


そういえば、ろくに貯金もなかった私たちがローンを組めたのはダディーの仕事が安定の公務員だったことだし、


うちの地域はもともとは白人のエリアだったけど、私たちが引っ越す前の10年ぐらいの間にゲイの人たちが多く移り住んできて住人の人種や文化が多様化されていたからこそ人種のことでの嫌がらせはなかったのかも。


だけど同じロサンゼルスでほぼ同じ時期に家を購入された


大学を出て、ビジネスをしていて、気立てもルックスも良くても黒人というだけで今の時代でも差別を受ける。


結婚して(しなくても)家を買う、というのは典型的なアメリカンドリームの一つ。


とはいえ、昨今は夫婦両方に学生ローンをまだ払い続けているせいで収入はあっても頭金がたりなかったりする。


そこで多くの白人を始め持ち家のおかげで経済の安定を得た親からお金を借りて頭金に当てることが多いのです。


あとおばあちゃんの住んでた家を受け継いだりね。


ということは、いくら逆境に負けず頑張っていい大学を出ていい仕事についても、


多くの黒人たちは政府の政策自体やそれが原因の差別的な行為によって何世代経ってもまだスタート地点に立ったままなのです。


彼らのアメリカン・ドリームは盗まれたまま。


そして政策の恩恵を受けてきた白人の子孫たちはずっと先にいてる。


先にダディーの家族のことを長々と書いたのは、ダディー兄弟は両親のおかげで一世代分の経済的基礎ができていた例として挙げたかったからです。


ダディーは親からびた一文も貰いませんでしたが、他の兄弟たちは家を買う際など何らかの援助を受けました。


まとめますと、ダディー家のラッキーは、

南部出身の両親がワシントンD.C.に移り住んだこと、
お父さんが政府関係の安定した仕事に就いたこと、
白人のMr. Powellが家を売ってくれたこと、
平和な子供らしい幼少期を過ごしたこと、
補助金が出て大学にいったこと、
不動産が経済的安定の鍵だと気づいたこと、

他にもありますがこんなとこでしょうか。



そして、兄弟のうち一人だけ持ち家じゃないのはあの、犯罪に巻き込まれたお姉さんです。


(このことはダディーは最近まで知りませんでした。両親が子供達には内緒にしていたから。いまだに知らない兄弟もいます)


事件のトラウマで精神を病んで職に付けない/付いても続かなくなってしまい、結婚して家庭に入りましたが離婚後シングルマザーとなり家を買うどころではなくなってしまったから。


システミック・レイシズムに関する記事や解説を読んでもあまりピンとこない方にわかっていただけるといいなと思い実例をあげました。


とりとめのない記事になってしまいましたが最後まで読んでくださってありがとうございました😊