昨今、禅とサウナと言う言葉を眼にします。
サウナにおける「ととのい」と表現される感覚が、禅におけるある種の感覚と共通するからなのでしょう。
僕も確かに共通するものを感じています。
禅との出会い
僕自身は、悩み多き10代の思春期に禅と出会います。
交通事故による父の入院と、その後も入退院を繰り返す日々。口うるさくなっる母親。
学業も疎かになり、悶々と過ごす日々は苦しいものがありました。
そんなある日、テレビを通して目にした禅の光景と、「喜怒哀楽は全て心の出来事〜」と語る禅僧の言葉に、大袈裟ですが一条の光明に道を見た気がしました。
「悩んだり苦しんだりと、四苦八苦しているのは自分の内なる心の出来事であって、どこか他所にあるものではない。」
簡単に言えば、「四苦八苦は独り相撲」と言うことなんですね。
これを知った瞬間、それまでの自分が少しバカらしく思えましたが、と言ってもそう簡単に道が拓ける訳でもなく見様見真似で坐ることにしたのでした。
心を沈め呼吸に集中して無心に坐るある日。
ふと気づくと、何も思わず、フワリとした感覚の中で、ただ坐っている自分がいました。
それまでの悩みに囚われていない自分がそこに有り、鳥の囀りや空気の流れさえ、聞くもの感じるものがはっきりしていて透明な時間と空間の中にいました。
どれ程経ったのだろうか。
気づけば数時間が経過していました。
この経験が、大きな切っ掛けとなりこの境地をより深めてみたいと思ったのでした。
気功との出会い
時は過ぎて28才の頃、仕事先で気功の先生と出会う機会がありました。
その方に会うや否や、センスを見込まれ個人的にも親しくなり、立ち方や呼吸、シンプルな基本動作を教えてもらいました。
その後、この基本練習が劇的に肉体感覚を変化させ、30半ばを過ぎた頃には、機会を見ては気功よるヒーリングや坐禅を人に教えるようになっていました。
サウナ体験
水戸に移住した高校当時の友人の誘いで、茨城へ出かけては、気功ワークなどの指導も行うようになったある日、現地で入った温泉が「初サウナ体験」と言って良いサウナ経験でした。
茨城北部のその温泉施設は、緑に囲まれ広々としていて、平日と言う事もあって空いていました。
それまでサウナに入る機会はあったものの、熱苦しい箱の中でする我慢大会程度の認識でしかなく、進んで入ることはありませんでした。
この時、友人がサウナに誘ってくれ無ければ、今日の自分も無かったかも知れません。
さて、友人が入り口の壁に貼られた説明書を指差して、入り方を簡単に教えてくれました。
入ったそこは割と広めで、空いていたので2人でゆったりと貸切状態です。
先ずは、余計な事を考えず、言葉も無くじっと座りました。
更に、頭や顔も暑いのでタオルで顔を覆うように巻きました。
空気が熱いので、自ずと呼吸はゆっくりと静かになりました。そこで少し腹式呼吸を意識してみました。
入浴は、最初は短めにして出るとすぐに体を水で流し水風呂へ。
友人とお互い「ひえ〜っ」と声をあげながら入る水風呂は爽快でした。
次いで、少し長めのサウナ入浴。
不思議でした、最初と違って熱さがそれ程気にならない。
適度に我慢して再び水風呂へ。
コレもまた不思議ですね。
先の時とは違って水風呂も刺激が柔らかい。
フワーッと染み入る感覚は何とも心地よい。
少しベンチで休んで3セット目。
あれほど最初は熱く感じたことが嘘のようで、発汗する自分が実に心地よい。
ゆっくりと腹式呼吸を楽しみながら、全身の感覚を楽しむのでした。
最後の締めの水風呂も実に気持ちよく。
皮膚の表面を柔らかな温幕が覆ってなんとも心地よい。
水風呂から上がりベンチへ。
今度は座るとまもなく来ました。
頭がフワーッと広がり、その感覚は更に全身へと拡がって空間に溶けるような不思議な感覚と脱力感。
その時思いました。
「まるで気功法をして、全身感覚を解放した時のあれをもっとダイレクトにした感じ〜」
その後に次いでやって来たのは無心でした。
「ただ在る」
そこに「在る」
何とも気持ち良い。
コレが、茨城に移住した高校当時から友人との初めてのサウナ体験でした。
こうして書くと、改めて禅とサウナのある感覚に共通点がある事に気づかされます。
思考感情の嵐が止んだ脱力感の中での心身の開放感がある種似ているのかも知れません。
おそらくこの時、個人差はあれども脳波はα波とかθ波レベルになり、副交感神経の働きがよくなり、リラックス状態になっていることでしょう。
少し長くなりますが、禅を経験すると肉体のコリなども、自分の思考感情の囚われによる現象だったりします。
坐りはじめ、腰や肩にコリがある。
しばらく坐って気づくと、コリや滞りがすっかり消えて、嘘のように身も心も軽くなると言うような体験をします。
つまり、仕事のストレスなどにより交感神経の働きが活発になり、コレが筋肉を萎縮させコリを形成していたものが、坐禅によって交感神経が休んで副交感神経が働き、心身が弛緩したことを表しています。
サウナの劇的癒し体験
ここで、あるサウナ経験をお話しします。
先のサウナ経験をしてしばらく後のこと、当時本業はイラストレーターで、傍、禅や気功などを教えていました。
広告関係のハードな仕事が続いたある日、その仕事も一段落、仲間と温泉に出掛けました。
「そう言えば最近仕事に追われてなかなかリラックスでき無かったな。今日はしっかりサウナでほぐそう。」
そう思い、温泉施設のサウナへ。
ところがです。
汗が出ない。
いっこうに出ない。
一緒に入っていた仲間が、心配そうに顔を覗き込む。
危険を感じて直ぐにサウナを出てぬる湯へ。
そう、気づかないうちに冷房病になって自律神経がおかしくなっていたのです。
気功をかじる人間が、自己管理を怠った事に恥いるばかりです。
ぬる湯に浸かりながらゆったり呼吸をすること数分。
じきにジワリと汗が額ににじみはじめました。
体の内側から何かが解けるように感じられてきたその時。
「今だ!」
サッと体を履いてサウナへ。
ジワリとにじむように吐き出す汗。
その感覚を、深く味わいながらゆっくりと腹式呼吸を続けました。
それまで滞っていた気の流れが再生して、大地を潤すように全身の毛穴と言う毛穴が開いて吐き出す汗。
「なんだ、どうなっていたんだ俺の体は」
全身の経絡(気の道)を意識して呼吸を通すように丁寧に繰り返しました。
すると嘘のように何かが体から抜けてゆき、細胞が生まれ変わるようです。
気功では、滞った気を濁気や邪気と呼びますが、それらが抜けて行くようです。
そして3セット目、「忙しかったので」と言い訳の反省と共に、全身が蕩けるようなコレまでに経験したことのない、極上の「ととのいタイム」を体験をしたのでした。
長々と書いてしまいましたが、サウナもただしく無理をせず、自分を味わう事を思って呼吸などを組み合わせて利用すると、実に深いリラックスした「ととのいタイム」を体感できます。
僕は、禅や気功ワークの考え方の柱に「人生は、自身を感じ味わい愉しむためにある」と言うことを据えています。
殆どの人は、仕事でも遊びでも色々と楽しんでいるようで、実はその本質を理解していないと思うのです。
例えば、温泉に入っている時。
「それは温泉を楽しんでいるのですか?」
「それとも、温泉に入っている自分を楽しんでいるのですか?」
そうなんです。
実は、「温泉に入って心地良くなった、自分の心と体の感覚を楽しんでいる」のです。
この事は、大変に深い意味を持っていて、この違いが理解できているかいないかで、禅も気功も呼吸法も、結果として起きることが全く異なってくるのです。
コレはサウナも同様で、自分に起きている感覚をしっかりと体感して味わうことを大切にしてみると、それだけで結果は随分と変わってきます。
そしてこの事は、人生のあり方そのものにも大変に大きな意味を持つことが理解できるかと思います。
「自分をよく感じ味わい愉しむ事は万事に通じる」
皆さんも是非試してみて下さい。
そして、もし興味がありましたら、お泊まりのお客様に禅と気功と呼吸法とを、プライベートサウナと合わせて体験いただける「禅と気功もサウナの総合ワーク」も提供しておりますので、是非ご予約の際にお申し込み下されば幸いに存じます。
お読みいただきありがとうございます。
by FLORA papa