ここのところ、

この本の記事を書いているのですが、自分用メモから自分なりにまとめて投稿しようかと思ってましたが。もうメモのまま載せちゃおうと思います。訳がわからないと思いますが、ある程度トランサーフィンシリーズを読んだ方には、少し面白いかなと思います。


今となっては入手困難、高級品になってしまった本です。とりあえず自分用メモ公開しておきます





自信の無さは目的を達成しようとする内的意図をあらん限りの力で締め付ける。自分自身と状況をコントロール下に置こうとする欲求、そのために余計うまくいかなくなる。不安や心配となった自信のなさはそのまま振り子の餌になる。自信のなさからくる予感は悲観的なものとなる。不安、心配、恐怖というのは悪い予感を生み出す強力なジェネレーター。そして悪い予感は実現される。

罪悪感も自信を失わせる源泉。
罪悪感は劣等感、凋落感、屈辱感からなる花束。一般に罪悪感は人生を惨めで虚しいものにしてしまう。

この罪悪感をなくそうとして、人は自信を持とうとする。だが根拠のない自信が他者の可能性との対比で持ち出されたら依存関係が生ずる。自分と他者との比較に基づく自信は過剰ポテンシャルとなる。特に他者への軽蔑に基づく場合はそうなる。自信過剰とは臆病の裏返しだ。

自信は、自己暗示によっては得られない。アファメーションをしたとしても無駄。それは原因を取り除かないまま病気の症状と闘うのと変わりない。
一定時間効果が出ても、振り子が挑発を始め自信の波から転げおちてしまう。

自信のなさは内側にある原因と、外からの評価を不相応に高めたことからくる原因と二つある。
では自信を持つためにはどうすればいいか。

自信を持つことを諦めること。
自信とは単なる一時的な過剰ポテンシャルにすぎない。自信とはマイナスの符合がついた自信の無さ、どちらも根っこは同じ。だから、エネルギーを消費するだけ。
外部要因と状況への依存性だ。

振り子のゲームを無視し、闘わない自由があれば、自信は必要ない。
もし重要性がないのであれば守るべきものも、奪い取られるものもなくなる。
いかなるものも過度な意味を持たないなら、世界は過剰ポテンシャルによって歪むことはない。闘うことを放棄し、流れに沿って進む。自分は無の状態なら掴みかかれることもない。

自分の存在意義を守ろうとするとき、人は何をするか。
自分の正しさを証明する、腹を立てる、自らを守る、弁明する、いざこざを引き起こす、横柄な態度を示す、軽蔑を表す、1番になろうとする、などなど。
こうした行為をなくしていくと、周囲はあなたの存在意義を感じていく。存在意義はすでに高いレベルになり、縁を断ち切ったはずのものを手に入れることになる。


どうすれば苛立たないでいられるか。それは振り子とゲームすること。
不愉快な知らせに対しては、嫌々反応するのではなく、わざと意気込んで陽気に反応すること。不適応な反応をすることで、振り子はリズムを狂わすので、振り子は何ももらえなくなる。これが振り子とのゲームで、胸躍ることになるだろう。


何らかの忌々しい状況に出くわしたとき。「ストップ!いいか、これは粘土人形を相手にする単なるゲームだ!まぁいい、粘土人形ども一丁揉んでやるか」何があってもポジティブな調子に合わせ、あなたがその出来ごとに喜んでいるフリをしよう。(粘土とは他の人達のこと。目の前の人を粘土人形と見なしていけば、それは怖くなくなる)

腹立たしいことの中にポジティブなかけらを探してみよう。失敗を喜ぶという馬鹿げた習慣を身につけよう。
ポジティブに対処すれば、他の不快事から逃れられたことになる。
人生のシナリオが変わったら、その変化を受け入れて同意すること。慌てて不満を表したり、状況と格闘してはならない。
シナリオのコントロールを手放したら、シナリオをコントロールできるようになる。


やるべきことは調整の法則を使うこと。調整は実践によってのみ身につくので、見張り役は常時動いていなければいけない。
それぞれの出来事をポジティブなものとして迎え入れると、いつも好ましい分かれ道に入り、幸運の波と遭遇することが多くなる。
幸運の波にのっても、意図的かつ意識的に行動すること。空想にふけってはならない。


罪悪感をなくすには、弁明をやめること。それでも屈辱感や、怒りが出てきたときは、そんな自分を許すこと

信念を持つことをやめ、それを知っていると思うこと。

アファメーションを用いて自分自身に話しかけることは無駄なことだ。いくら繰り返しても逆に疑念が大きくなるだけ。
魂は曖昧さを許さない。「すっかり信じられるわけではない」というのを、魂は「全く信じられない」に変えてしまう。魂は「はい」「いいえ」でただ知ってるのだ。
だからこそ「信じる」から、それを「知る」に置き換えるのだ。所有する決意を持って、それが実現化することをただ知っている。


時々不可解な形で物事が変化していくように感じることがある。理性には予見する力も実現方法もわからない。なのでいつもの固定観念に押し込めようとするのではなく、目的手段と道筋は外的意図に任せよう。バリアントの流れを信じるのだ。そうすれば知らないうちに目的へと近づいていくことになる

危険なのは問題そのものではなく、問題に対してあなたがとる態度にある。もし問題の重要性を受け入れると、それはつまり振り子にエネルギーを与えることになる。そうなると問題に対して全力で戦ったり、または鬱状態になるように必ず振り子は要求する。どちらの要求にも応じてはならない。しかし心の支えが失われ、自信も根底から覆されたらどうすればいいのか。その時は振り子があなたを支配し、エネルギーを頂こうと企んでいることについて自分は理解しているのだという認識の中に支えを見出せるだろう。

意識して腹の中でにたりと笑い、「振り子よ、いい加減にしたらどうだい。お前さんにあげるエネルギーはないんだよ。私につかみかかりたい性分なのはよくわかるが、無駄だと思うね。その問題が重要だと思わせようたって、そうはいかない。私には選ぶ権利があるんだ。お前さんからの自由というものを選ばせてもらうよ」

トランサーフィンによって状況を改善することができる。だから年齢問わずチャンスがあるのだ。
失敗の憂き目にあったら喜びたまえ。あなたは成功の途中にいるのだ。自分を責めたり、愚痴をこぼしたり、人生の不変不満を並べ立てたりすると、失敗に見舞われることになる。あなたにとって不必要とされる体験は目的とする人生ラインへ向かうのに必ず役立つのだ。

「私は欲せず、期待せず、意図する」