ずんだもちが食べたいんだ

ずんだもちが食べたいんだ

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全然受からないし

気に入っていたと思ったデザインのとこが全然だめだし

じゃあ私の考えてるデザインはあまりいいものではなくて

それを受け入れちゃった会社は

間違えちゃったってことなのかな



どんなに運が良くても


どこに就職すればいいんだ




このまま一社も受からずにどんどん落っこちていくんじゃないか

っていう不安でぐずぐずしてたりするんだけれど


自分がしたかったことが違う会社で出来ないのか

って

違う業種で出来ないのか

って

よくよく考えたら違うよなーって思ったりして


デザインを続けたいってのは

できると思う


自分が絵を描いている限り

新しいデザインは生まれると思う





四角でも丸でも三角でもいいのね

どんな形だって受け入れる自信くらいもってる

もう大人だから

この先こんな風になるんだろうなあ

なんて予測さえ出来て

言葉の端に隠れた些細なメッセージさえ

読み取れてしまう

だからって何かできるわけじゃない

自分のためにしか泣けな自分ににだけ嫌気がさしてる

もうこんなに生きてきて私は

自分がまだ子供でありたいなんて思ってる

頼りたいってずっと思ってる

いつ死ぬのかわかっているのとわかっていないのと

どっちがいいのか

わかったら生き方が変わるなら

いまの生き方はどのくらい生きるための生き方なんだ



もし死にたいって友達が言ってしまったら

嘘だろってやめなよそんなことって言うだろうけど

でも本当に助けたいなら

もっと違うことを言わなきゃいけない気がして

黙っちゃうんだろうな

誰かを助けることは自分には荷が重いけど

もし本当に困っていて頼りたくて

奥中でもいいよっていうんなら

奥中は頑張れるよ

ほんとだよ

相手が自分に期待している答えをわかっていても

わざと知らないふりをすることだってある

でもそんな癖ついちゃったから

気付かないふりをすることだって上手くなっちゃって

それが悪いとも思わなくなっちゃうんだろうね

私が大人になったのは

自分の大好物を友達にわけてあげられるようになってから

自分の持ち物がだんだん減っていっても

惜しいと思わなくなってしまって

自分の持ち運び財産は大したものじゃなくなって

ずいぶんいまは軽くなってしまったな




ブログが消えたことのショックでもう朝からいやね

つまりさっきのブログで言いたかったことは

もう消えてしまったんだけどいいたかったことは

自分に関わっていることのほとんどの選択は何かが誰かが決めてくれているってことで

自分はそれに大抵満足していて

思い通りにならないことがたくさんの世の中なんじゃなくて

思い通りにしていないことがたくさんというか

お前なんだかんだ言ってる割には、自分に関係してる大抵のことを自分で決めちゃあいないんだよ

それもあえてそれをお前はその決めないという選択肢でさえ選ばずして

何の考えもなしにお前のまわりや、はたまたお前自身がそうやって過ぎて行っているんだよ

ということが言いたかったの

こんな乱暴な言い方じゃなかったけれど、つまりはそうだな

上手いこと理屈づけるのが理由をつけるのが好きな奥中は

でも直接的な物言いで理由という形に感情を綴りたいだけなんだけれど

そんなかんじで気に入った文章が消えて行ってしまうのが嫌い





約束していたことは簡単にやぶっちゃうし

決心は曲がりくねっちゃうし



前日になっても旅行の準備は終わらないし

賞味期限の切れた卵はまだ冷蔵庫にある



悔しくて泣いてみたり子供だなって思ったり

どうしてもっと大人に寛大に許して穏やかに出来ないのって

自分に怒ってみたり



思い込んでるだけで楽しかったりするんだ




好きな人ができたんだ







考えてたこと




○ひとに教える時こそ自分は何も知らないふりをするげきだ


○一般常識を常識だと思ってるやつのつまらなさったら


○ご飯と恋の関係について


○おっぱいがあってなんか可愛い女子


○面白くない女って恐ろしく面白くないほど面白い


○自分のことを信じすぎて迷子になる




たくさん考えて今はもう忘れてきてしまたなー



○自分が傷つけられたことに気付けるだけ




ご飯と恋の関係はね

とってもシンプルで掴みどころしかないから

手放すことはないし、それでいて満足もできるわけないんだな

似たものどうしなのね


ふと気が付くとさみしくて

いてもいなくても私の生活は変わらないけど

知らないとこで私にしか影響のないところで

私を変えていくわけよ




どうして誰かに影響を与えることに

鈍感になってしまうんだろうね









このままずっと大学生の間このひとのこと好きだったらどうしよう
もう背中ぞわってきたよ

一度好きになったひとのことは大抵嫌いにはならないし
逆もまた然りだし

毎回毎回こんな悲しいことが生きているうちで起こるものなのか、と
人生最大の影響を主張するんだけど、
毎回毎回人生最大だから日々更新されていってるのね

次もそのまた次があることも奥中は知っているけど、
知っていたくなかったのね
50m走は50m地点がゴールだと思っちゃだめなんだけど、奥中はほんとは、もっと到達地点は近いと思っていたかったの
それでも道のりは長く厳しいななんて思っていたかったの

でも
よーいどんで一緒にスタートしたはずなのに、いつの間にかゴールが違ったりするでしょ

高校のとき教室の黒板めいいっぱいに「神様は不公平」って書いたひとがいて、
そのぐらい格好良ければ不公平なんて言葉も言えるんだけど、
奥中どうしたって言えない

でも相変わらず楽観的で
こんなことを考えてる自分も嫌いには絶対ならなくて
情けないところも意地悪いところも全部大好きだから安心しているのよ自分に自分で

自分のこと嫌いな人間なんていないなんて言うけど、
それは嘘で、しっかり嫌いだと思うよ
大切にしていることと好きなことは別でしょうね





じゃあさ、お前はさ




愛した人が大量殺人犯だったらそのひと見捨てるのか

自分のおじいちゃんちが段ボールだったらお年玉貰わないのか

大好物の賞味期限が切れてたら食べないのか



つまりはそーゆう大袈裟なことなんだよ

おんなじなんだよ



私は全部捨てられるほど普通じゃない人間じゃないんだよ

捨てられるほどの勇気とか決断力とかないんだよ



私は自分の猫が死んだら悲しいし

友達のハムスターが死んだって泣くことはできるよ


でも私は自分のおじいちゃんちが段ボールだったら話しかけようとは思わないけどね












なんで母親が子供に干渉するのかってさ

いってるひとがいてさ

そんなん自分の人生の中で自分が選択した結果なんだからさ

むしろ母親の所有物といってもいいのに

こんな勝手に行動しちゃってさ

あげくのはてに自分の人生くらい自分で決めるよなんて

都合がよすぎるよね

誰の人生だと思ってんだってね

自分も母親になったらさ

自分も母親になっちゃうのかな

母親っていう名前になっちゃうのかな

自分が産み落としたものに今は興味なんてないんだけど

私も私じゃないものをつくれちゃうんだよね

こわいよね

小さいころって母親ははじめっから母親だと思ってるじゃん

母親にも母親がいることも、小学生だったときがあったことも知ってるけど

生まれた時から母親なのねあのひと

よくわかんないけど

あのひとも一人の人間でわがままでめんどくさくって

でもそれが当たり前なのに

変じゃんね

なんかそれ考えてたら少し泣きそう