マイケルが亡くなって早いもので8ヶ月もたってる。
ここ最近マイケルがいないことが前にもまして淋しい・・・・
マイケルが無くなった日を鮮明に覚えている。
自分はファンじゃなかったし、今ではこの騒ぎに乗ったニワカな私・・・。
なぜもっとはやくマイケルを愛してるといえなかったんだろう・・・・。
自分はマイケルが死ぬと、ここ最近はそう感じていたというのに。
裁判でやつれていくマイケルに対して、哀れな自分と重ね合わせ、同情していたのに。
あと一歩でもマイケルに気持ちをもって行くことが出来たかもしれなかった。
悔しい。昔を想い返してみても、たどり着ける要因がやはり無いのだ。
だからいつも頭の中で昔からマイケルが好きな自分を想像する。
そうすると少し救われた気持ちになることがある。
マスコミはくそで、でもマスコミが罪にたいして謝罪や償いはしない。
それは自分も同様。
マイケルが死ぬことで一番苦しいのはもちろんマイケル、マイケルの身近な人、だ。
でもマイケルを無くし、損って言ったらおかしいけれど、自分たちの宝を自分たちで無くしてしまい、
いままでマスコミがしてきたことは、マスコミ自身の宝を壊したことに他ならない。
マスコミ自身もTHIS IT に感動して売りまっくったのだから。
詩 【最後だとわかっていたなら】
という9.11の時に書かれた有名な詩があるが、切ない気持ちになる。好きな部分を抜粋すると、
『微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間をどうして惜しんだのかと
忙しさを理由にその人の最後の願いとなってしまったことを
どうしてしてあげられなかったのかと
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・
あなたを愛してると私は 伝えただろう』
ほんまやで・・・・。言いたいことはこの詩とだいたい同じ。
話が変わりますが、ニシデラサンの「マイケル・ジャクソン」というひねりのない気合に満ちた題名の本が
もう少しで発売されますネ。777円ぐらいだと思うので、安心の値段。
今は凄くそれが楽しみだ。