ノイエ・ギャラリーの顔といえば
グスタフ クリムトの
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I」
です。


目にする機会の多い 有名な絵ですね。


煌めく金箔と 
様々な文様の中に 
退廃的な表情の 美しい女性の上半身の
肌が出ている部分だけが 
リアルに浮き出ていて 圧倒されます。
神経質そうに 組まれた手の表情も
印象的でした。

どこか 日本の金屏風を思わせる絵です。
文様の使い方も 似ているからでしょうね。


私は この絵が ここに飾られている経緯を
全く 知りませんでした。


ミュージアム ショップで 購入した本によると


「Portrait of Adele Bloch-Bauer」($30)

アデーレは クリムトのパトロンだった
フェルディナント・ブロッホ=バウアーの
妻で 1925年に43才で 亡くなりました。
その2年前に 夫へ
 所蔵しているクリムトの絵は
「ウイーンにある オーストリア美術館へ
    寄贈するように。」
と 遺言書を残していました。


その後 ブロッホ=バウアー 家 一族は
ユダヤ系だった為
ナチス・ドイツの侵攻、迫害を受け、
フェルディナントは スイスへ亡命します。
クリムトの絵を含む 全ての資産は
脱税をしたとして、
ナチスに没収されてしまいます。

1945年 ナチス・ドイツ降伏後に
フェルディナントは 遺書を 書き換えました。
そこには クリムトの絵を 夫婦の姪にあたる
マリア・アルトマンに遺贈すると
明記されていました。

(夫妻に子供はなく、
妻同士が姉妹、夫同士が兄弟の
カップルなので 血縁の濃い 甥・姪です。
マリアの両親の結婚式で 
アデーレ達夫婦は 出会ったそうです。)


ドイツに占領されていたオーストリアは
政権を取り戻した後、
ドイツによる没収を無効化する法律を
制定しました。
クリムトの絵も 
当然 所有者に返還されるはずなのですが、
オーストリア政府は 
「アデーレの遺言」が 優先する
と いうことで、
そのまま 絵画は
オーストリア(ベルヴェデーレ宮殿)
に残ることになりました。

1998年になって
ジャーナリスト Hubertus Czernin が
ベルヴェデーレの書庫を 調査したところ、
クリムト絵画の所有権を疑問視させる文書を
発見し、記事を発表します。

ここから 絵画の返還を求める
マリア・アルトマンとオーストリア政府との
長い裁判が 始まるのです。

この実話をもとにした
「黄金のアデーレ 名画の帰還」
という映画を見ると 、
経緯がよくわかるそうです。
(史実とは異なる点が あるそうですが、
興味深いので 近いうちに観たいです。)






ナチスの迫害で 
アメリカへ亡命したマリアが
クリムトの絵を 取り戻したことで
現在 ニューヨークで見ることが
できるのですね。

彼女は 勝訴後 、すぐ
ロナルド・ローダに
(エスティ・ローダの息子)
絵を 売却したので、批判を受けたそうです。

でも マリアは
「誰でも見られるように、展示すること」
という条件で 売却したので
アデーレの遺志にも 
沿っているのではないでしょうか。

当時のアデーレが 
ユダヤ系人々の行く末を 知るはずはなく、
(まさか、祖国からそんな仕打ちを受けるとは)

「個人の占有となることなく
多くの人々と 美を共有すること」を
願っていただろう、と 私は思うからです。


ただ オーストリア国民のショックは
いかばかりか、と 察せられます。


単純に 「美しい〜」と感嘆した絵に
こんな悲しい 複雑な背景があろうとは
全く 知りませんでした。



日本でも 今 最大級のクリムト展を
やっていて いいですね。



私も 「ユディト」が 観たいです ‼︎

〈おまけ〉

写真撮影可の地下に
子供達の絵が 飾られていました。



「ADELE IN AMERICA 」
(アメリカにいる アデーレ)

ウイーンの公立校の生徒達が 宿題で書いたそうです。自由な発想が 楽しいですね。
過去を振り返りながらも
未来を前向きに見て 進んでいきたいです。