https://youtu.be/M0K4coCFHIo?si=k487EWCh6amLVCXJ 





高天原(タカマガハラ)を追放された須佐之男命(スサノオノミコト)は、出雲国の肥河(島根県斐伊川)の上流の鳥髪(現在の奥出雲町鳥上)に降り立った。
箸が流れてきた川を上ると、美しい娘を間に老夫婦が泣いていた。
その夫婦は大山津見神の子の足名椎命と手名椎命であり、娘は櫛名田比売(クシナダヒメ)といった。

夫婦の娘は8人いたが、年に一度、高志から八俣遠呂智(ヤマタノオロチ)という8つの頭と8本の尾を持った巨大な怪物がやって来て娘を食べてしまう。
今年も八俣遠呂智の来る時期が近付いたため,最後に残った末娘の櫛名田比売も食べられてしまうと泣いていた。

須佐之男命は、櫛名田比売との結婚を条件に、八俣遠呂智退治を請け負った。
まず、須佐之男命は櫛名田比売を櫛の姿に変えてしまい、自分の髪に挿した。
そして、足名椎命と手名椎命に、7回絞った強い酒(八塩折之酒)を醸し、8つの門を作り、それぞれに酒を満たした酒桶を置くようにいった。
準備をして待っていると八俣遠呂智がやって来て、8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。
八俣遠呂智が酔って寝てしまうと、須佐之男命は十拳剣で切り刻んだ。
この時、尾を切ると剣の刃が欠け、その後尾の中から出てきた「草那芸之大刀(くさなぎのたち)」を天照御大神に献上した。

八俣遠呂智を退治した須佐之男命は、櫛に変えた櫛名田比売を元の姿に戻し、彼女と暮らす場所を求めて出雲の根之堅洲国(現;島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこで「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と詠み(求婚し)、めでたく結ばれ、幸せに暮らしたとさ(^^)d

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この神話の意味するところについては、ヤマタノオロチを斐伊川そのものであると捉え、オロチ退治の意味するところを洪水を繰り返す斐伊川の治水事業のことではないか…とする言い伝えがあります。

斐伊川は、山陰地方の島根県東部および鳥取県西部を流れる一級水系斐伊川の本流のことです。
前述のように、古事記にも肥河(ひのかわ)として記述が見られ、日本における代表的な天井川(砂礫の堆積により川底が周辺の平面地よりも高くなった川)として知られています。
このため古くから度々洪水を繰り返す河川で、これが八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったという説があります。
すなわち、八岐大蛇の8つの大きな首とは、斐伊川の上流域にある8つの大きな支流、8本の尾というのは下流域にある8つの大きな支流…という意味です。
斐伊川の上流部、下流部とも支流がたくさんあるので、まさにいくつもの頭と尻尾を持った八岐大蛇と見なされていたのでしょう。

また、洪水の一番の原因は斐伊川の上流が風化しやすい花崗岩質の地域を貫流していることから、その花崗岩の風化物が大量に流れ込んで、それらが川底に堆積し、水深がすぐに浅くなるからです。
また、堆積した砂は川にたくさんの砂州を作りました。その砂州があたかも大蛇のウロコのように見えたのではないか…とも思われます。
さらに、斐伊川の上流には鉄の鉱脈があって、昔から砂鉄が多くとれたところなのですが、その砂鉄は酸化により酸化鉄に変質していました。
酸化鉄は赤い色をしていて、その赤い酸化鉄が混入した水の色が血の色のように思われたことも八岐大蛇(ヤマタノオロチ)伝説の元になったのではないか…とも思われます。
実際、古くから山陰地方の山側では砂鉄の採取が盛んであり、斐伊川の上流もそうでした。
出雲地方では昔からその砂鉄を用い、“たたら”による製鉄が盛んだったようなのですが、その山に見える製鉄の赤い火が大蛇の赤い眼のように捉えられたのかもしれません。

これが斐伊川=八岐大蛇説なのですが、このように斐伊川はたびたび洪水を起こし、そのたびたびに斐伊川は下流域において川の流れを変え、その都度流域の住民を苦しめたわけです
(これが8つの尻尾の意味。尻尾は下流域で川が幾つもに分かれて、洪水のたびに形を変えていたことを意味します)。
そこで登場してきたのがスサノオノミコト率いる治水能力を持った技術者集団でした。
彼等が出雲の斐伊川の治水工事をやって、洪水を防いだ…というのが、この神話の元になっていると思われます。

ちなみに、一説には、当時この川の上流域で製鉄を製鉄をしていたのがオロチ族と言われる一族で、彼らは砂鉄を採るのに大量の水を流す方式を採っていた事、また製鉄には大量の薪が必要となるので山の木の伐採は避けられず、必然的に山の保水力を奪い、洪水の原因になったという言い伝えもあります。
これも分かりやすい説です。一方、そのオロチ族と争っていたクシナダヒメ(櫛名田比売)は「櫛稲田姫」とも書かれていることがあり、どちらかというと下流域で稲作を中心に行っていた民のこと。
なので、お互いが相容れずに長い争いを繰り返していたと思われる…という説もあります。
この場合は、スサノオノミコトはクシナダヒメの側についてオロチ族を成敗した武将、あるいは調停役ということになりますが、私には前述のスサノオノミコト=治水工事説のほうがスッキリと納得がいきます。

このように日本では古くから龍(や大蛇)は雨や川と言ったものと深く関係する“水の神”だったわけです。

こういう背景もあって竜王(竜神)を祀った八大龍王も昔から雨乞いや治水の神様として祀られ、日本各地に八大龍王に関しての神社や祠が点在しています。
主に九州の宮崎県や近畿地方の奈良県に多いのですが、関東地方にもあって、それが埼玉県の秩父市にある秩父今宮神社。

そこに八大龍王宮があります。


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で、上記のヤマタノオロチとスサノオノミコトの話をはじめ、龍に関する話は、ほとんど秩父今宮神社の塩谷宮司さん達から伺った話です。
八大龍王を祀っている神社の宮司さんがおっしゃるわけですから、そりゃあ他のどなたから聞くよりも説得力があります。
なるほどなぁ~…って感じがしました。

さらにこんな驚くべき話もお聞きすることができました。
あの3年前に起きた東日本大震災において、古くからあった神社はどこも津波の被害を受けていないというのです。
その後、私が調べたものを含めて、解説します。


東北地方には出雲神社や八坂神社という神社が多いのですが、このどちらもスサノオノミコトを祀った神社で、おそらく出雲系の治水に関わる技術屋集団がいろいろなところで治水の仕事をして、その一環として神社も建てたのではないかと思われるとのことなんです。
その目的は地域コミュニティの中心となる集会場としての役割を果たすための場所が第一。それ以上に大事な役割、というか目的があって、それが「避難施設」。
いざ洪水や津波が襲って来た時には、この神社があるところまで逃げろ!…ということだったようなんです。

だから、スサノオノミコトを祀った出雲神社や八坂神社はたいてい高いところ、さりとて、さほど高くはないところに位置しているのがほとんどです。
洪水が押し寄せて来ても、津波が押し寄せて来ても、その神社の下、ギリギリのところで止まるようなところ、そこに逃げ込めばなんとか助かるという絶妙のロケーションのところに立地しているわけです。
だから、あの東日本大震災の時の津波でも一つも津波の被害に遇っていないんです。
いかに歴史的経験を踏まえて建てられているかってことですね。

(いっぽうで、寺院は高い山の上などに建てられていたりしますが、寺院はあくまでも修行の道場ですから、なかなか人が近づけないような高いところにあってもいいのです。)

この話には、正直、驚きましたね。
そう言えば、神社と言えば“鎮守の森(杜)”。
神社には本殿を取り囲むようにして鬱蒼とした森林があることが一般的で、それが鎮守の森です。
参道や拝所を取り囲むようにして森があることもあります。
その土地の自然そのものが信仰の対象になっていた日本の神社神道においては、御神木というものがあるように元々その土地に生えていた自然の木々に対する畏敬の念からその森に極力手を加えないようにして、森を守ったから、神社の周囲には森があると思って来たのですが、こういうお話をお聞きすると、この鎮守の森にだって、そのこれまでの私の認識とは少し違った一面が見えてきます。

そもそも“鎮守”とは、“鎮め”“守る”と書くように、“なにか”を抑え込み、人々に危害を加えないようにするという意味です。
その“なにか”とは、おそらく自然の脅威のことだったのではないでしょうか。
鬱蒼とした森に囲まれているところは強風も遮ります。
その木が傘の役割を果たすことで、その下に入れば多少の雨だって遮ることができます。
また火災の延焼だってその森で食い止めることだって可能です。なにより、高い木がランドマークのようになって、近隣ならどこからでもその場所がどこにあるのかが一目で分かりますからね。
神社がもともと避難施設、防災施設だったという仮説を置いてみると、そういう見方もできてきます。
これって凄いことです。昔の日本にはそういう高度な防災知識や防災技術を持った技術者集団がいたってことですから。

こういうことから、私が推察するに、出雲系や八坂系といったスサノオノミコトを主神として祀った神社神道、さらには八大龍王をはじめ、龍や大蛇に関わるような神社神道のベースにあるのは“治水”。
神主をはじめそれらの神道に関わる人々の多くは、その昔は皆さん治水に関する技術者集団。
で、神社の置かれている場所は、最初はその治水のための現場事務所が置かれていた場所で、治水工事完了後にその地域コミュニティーの集会場を兼ねた避難場所として整備したもの。神社神道はそういう“仕組み”を後世に残したのだと思います。
だとしたら素晴らしい! 現代に も通じる防災の1つの考え方を見た感じがします。

(言ってみれば、その昔、出雲系や八坂系の神社や宮司というのは、今でいう鹿島建設や大林組、大成建設といった公共工事を行うゼネコンのような存在だったのかもしれません。)

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私は前々から「気象は理学」だが「防災は工学」。理学は分析思考で、工学は目的思考。
従って、同じ理系であってもアプローチの仕方に関して似て非なるところがある…と考え、弊社ハレックスは気象の分野に理学ではなくて、敢えて工学のスタンスで臨む…という考え方を表明していたのですが、それが間違っていないってことを確認できた気がします。
そうなんです、防災は工学なんです(^^)d 弊社ハレック スは工学的アプローチで防災気象に取り組みます! ……と言っても、論理の飛躍があり過ぎて、なんのことかお分かりいただけないと思いますが、少なくとも私は強く腑に落ちて、納得しちゃいました。

皆さんがお住まいの場所の近くに出雲系や八坂系といったスサノオノミコトを主神として祀った神社、または八大龍王をはじめ、龍や大蛇伝説に関わるような神社がありませんか?
もしあるのなら、大雨や洪水、津 波といった水に関わる自然の脅威が接近した時、いざとなったら迷わずそこを目指して避難されることをお勧めします。
先人の高度な知恵が、きっとあなたを守ってくれると思います。

そうそう、秩父今宮神社の塩谷宮司さんに私が気象情報会社の社長だとお話しすると、「そういう方には是非これを常に身に付けておいていただかないといけません」と言って、秩父今宮神社の八大龍王のお守り札をいただきました(一番上部の写真です)。
「洪水除け・水難除け」のお守りなんだとか。「自然の脅威の来襲から人々の生命と財産をお守りするための情報を提供すること」をミッションとする気象情報会社の社長としては、世の人々のため、このお守りを常に身に付けておかないといけません。
一応、首からぶら下げるようになってはいるのですが、なんとなく邪魔くさいので、今は常にポケットにしのばせるようにして持ち歩いています。

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https://www.halex.co.jp/blog/ochi/20140807-3927.html 




気象情報会社の社長さんか
なら

山が森が大切なものなのに

太陽光発電パネルの山にされてるのに

お守りの他に情報発信してるのかなぁ

2014年、もう10年過ぎてる、お元気かしら、そっちの方心配かな(・・;)


八大龍王
検索したら
江差町に鎮座する八大龍王神八江聖団本宮があるけど
本州のと繋がりあるのだろうか
修行には行ってるのでしょうね