杏桃太ですセキセイインコ青

 

震災の日に想うことを 朝のブログに綴りました

読み返したら 杏桃太がその場にいたような文章になっていて

自分でもどうしたんだろう・・・と思ってしまいました

 

実際に杏桃太がいたところは沿岸ではない場所でしたが かなり揺れました

そして1週間近く停電と断水の中 介護生活も続けました

今まで出来ていたことが何も出来ない日々が続きました

 

津波などの威力を知ったのは 電気が復旧し

テレビが観られるようになってからでした

 

街頭で都心の人々が津波の映像を黙って見上げている姿

ヘルメットを被ってニュースを読んでいるアナウンサー

杏桃太がしらない所では こういう事があったんだ・・・と思いました

 

杏桃太一家は 沿岸に大津波がきたことも火災があったことも 

何も知らずに過ごしていました

 

テレビが停電の影響もなく見られるようになると

普通にバラエティー番組が流れてる局もあり違和感を覚えました

 

当時は親は 車いす生活だったので 喀痰吸引などのケアがなかったのですが 

いかに現代社会は電気に頼っている生活なんだと改めて知りました

 

寒いと言われてもヒーターもエアコンも使えません

温かいお粥を・・と思っても電子レンジも電子クッキングヒーターも使えません

 

借りてきた反射式ストーブで 何とか温めて親の分の食事は作っていましたが 

沸騰することがない反射式ストーブ・・・

ケアの時のお湯なども温めつつ洗浄や清拭をしてあげていましたが 

夜間は ロウソクの灯りでケアするのは大変でした

 

そんな中 やっぱり親も今までの介護生活と違うので ストレスをためていたんだと思いました

意識喪失して救急搬送されました

 

病院へ到着してそのまま入院となりました

自宅にいるよりも(自家発電で病院は何とかなっていたようなので)安心した記憶があります

 

当時は雪がまだあって とても寒い日でした

余震の度に飛び起きた記憶があります

入院までの数日間は 親の様子も気にになり 

寒いために親の体がどんどん固くなっていった記憶があります

 

同じように現在逼迫しているの介護や医療現場は 石川県なんだな・・・と震災当時を思い出しています

どんなに心細いだろうなぁ・・・と

働いているスタッフご本人も家族も被災したのに・・・頭が下がります

 

電話が繋がらなくて(震災時)それを端にLINEが出来たのは有名な話ですが 

当時はとにかく連絡の取りようがなく 安否確認ももどかしかったと思っています

(黒電話だけは繋がったそうですが)

 

今に感謝して 今日過ごしていることに感謝です・・・

 

 

 

 

 

ありがとうございました

 

最後まで読んで頂き 

ありがとうございましたねこクッキー

いつも乙女のトキメキいいねや音譜コメントキラキラ

ありがとうございますセキセイインコ青