■本当に自分に自信がある姿とは?
例えばハーレダビットソンショップに行って
『エレクトラ・グライド・ハイウェイキング』を見せてもらおう。
カラーはハイファイオレンジとハイファイマゼンダ。
世界に1750台(日本には114台ずつ)しかないという。
見てほしいのはその堂々たる姿だ。
彼らが堂々としているのは自分たちが希少種だからではない。
彼らは自分たちが世界で1750台しか作られていないということを知らない。
自分たちが1台、373万7,800円であることも知らない。
それでも彼らが堂々としているのは、
彼らが歴史ある本物の『ハーレダビットソン』だからだ。
ハーレダビットソンジャパン株式会社の社員さんならば、
日本での国産車メーカーの動向を気にしているかもしれない。
しかし、ハイウェイキングは動じない。
他のメーカーの動向などを聞かされても全くの「無視」である。
ハイウェイキングに生まれた事に感謝!なんてこともしない。
誰も買ってくれなかったらなんてことも考えない。
ただ、ハイウェイキングは生まれた時から堂々と、そこに鎮座しているだけである。
■「どうしたら自信が持てますか?」の質問の答え
女性や若者男性で「どうしたら自分に自信が持てますか?」と気にしているのを
YouTubeやSNSの投稿で見かける。
現在それに対する多くのノウハウも公開されているが、どれもいまいちという人も中にはいるだろう。
最近、「バイク女子」というワードで例えばInstagramで検索すると、たくさんのバイクを楽しむ女性たちの姿を楽しむことができる。高級車から希少車、メジャーなものまで様々なバイクたちが羨ましいツーショット姿で写っている。
ここでそれらの記事を眺めてみると、バイク自慢や充実した自身のバイクライフを賛美する内容が多い気がする。
バイクは確かに生活必需品とは言い難いとちらかと言えば贅沢品だろうから、「バイクを所有する」ことを自分のステータスやライフステージを高める喜びや自信を見い出す手段とする気持ちは当然の心理だろう。
だが、贅沢品を買えるから自分に自信を持てたというのは少々カッコ悪い気がしないだろうか。
昔、ネットワークビジネスの勧誘で女性が「私頑張ってるんで応援してほしいんです!」と必死に電話してきたことがあるが、同じカッコ悪さを感じた。
それは、彼女の語る「努力する自分」、「自立する私」が「特別に扱われるべきものだ」という信仰心が彼女に小物感を漂わせていたからだ。
そのような信仰心では、目標をいくつ達成しても次の不安感が芽生えるだけで本当の自信は生まれないのではないか。
■自信はストリート(物語)から生まれる
ハイウェイキングが生まれただけで堂々として、乗る者もまたがるだけで自信たっぷり感を味わえるのは、生まれて間もないハイウェイキングにその親であるハーレーダビットソンブランドの歴史があるからだ。彼は生まれながらにして「努力」も「自立」も持っている。
彼の「努力」や「自立」は、彼が自分で頑張って獲得したものではない。彼を生み出すために費やされた歴史、すなわち「誕生ストリート」が彼に堂々とした自信あふれる振る舞いを強要している。その「強要」されたストリートを自分の物語として背負いつつ、かつそこから先は自分の代の物語として新しい歴史を紡いでいく気高さが、彼に「ハイウェイキング」の魅力や尊敬、そして、堂々とした態度と自信を授けている。
■自信の裏にある、背負わされた歴史の重圧との闘い
ハイウェイキングの堂々とした姿と自信。それは大変羨ましいものだが、そこには彼なりの闘いがあると思う。強要された歴史は、彼に「ハーレーダビットソンの名を汚すなかれ」という心の重荷を背負わせる。彼は生まれながらにしてスーパースターだが、自分ひとりでは耐え難い心の闘いをこれから戦い抜かねばならない。
彼にとって「周囲の応援や期待」は必須であり、ただ感謝の対象としてだけでなく、心のストレスでもある。
もし彼が周囲の応援や期待のストレスから離れようと現代流に自己肯定感を高め、独りよがりな「自分らしさ」を発揮して独自路線を進みだしたなら、彼は自信家には成り得るが、人々の信頼を徐々に失って自信をも打ち砕かれていくだろう。
自信家には自分を肯定するストリートしかない。ただ一時の心のストレスに蓋をするストリートを肯定すてしまうことが種全体にとってどれだけ悪い影響を及ぼすかを考えないこと、これは最も信頼に値しないものだ。
自分が犯したその種族として犯してはならない「間違い」を、自分と同じ経験を持つであろう同種と肯定して分かち合うことで正当化したストリート。自信家の彼らにとっては蜜の味である。
しかしその蜜の味の本質は、独自の正当化によって調合された「はちみつが甘い」という普遍の真理ではないため、彼らの間で一時的に甘くても、結果的にみんなで分かち合ったその蜜は種全体を亡ぼす毒という本性を現す。彼らが分かち合っているのは蜜ではなく毒だが、最初に広めた一人がこれは「毒」だと認識していないので、蜜が毒だと気づくのは、毒が種全体にまわりだして死人が出始めてからだ。
■歴史の教訓に従うことによる心のストレスは、その人に本当の自信を育てる
現代は、ストレスというものは何でも「ダメなもの」として排除する風潮があるように思える。
近年の「Z世代」と呼ばれる人たちは、自分はそう感じていなくても「周りの人の気分を害する可能性のあるもの」は排除する傾向が強いと言われ、彼らの間では、それは「一体感」とか「価値観の一致」として尊重すべきものとして扱われている。
一見すると、それは良い風潮のように聞こえる。しかしその前提としてあるのは「私たちは弱い」という思い込みではないだろうか。『ストレスは人を弱くするものでしかない。だからその可能性のあるものは全体から排除する、または既存のルールを変える「努力」をし「みんなで実現する」のが良いことだ』と信じているように見えはしないか。私たちは弱いから助け合うのだろうか?否、溺れている人に溺れている人は助けられない。心が病んでいる人に、同じく心が病んでいる人は助けられない。これと同じで、「自分たちは弱い」と信じている人たちが、自分たちを救うことはできない。
「Z世代」の彼らにはうつ病になるものが非常に多いと聞く。働き方改革。ワークライフバランス。彼らの精神の信仰者は様々な運動を通して「自由」の名の下に現代社会から精力的に「社会のストレス」を取り除いてきた。だが結果として、ストレス耐性の非常に低い個人が大量発生している。現代の起業家ブームは社会の小さなストレスを取り除くことをビジネス化しているが、逆にその空気が、離婚、いじめ、孤立、貧困などを増加させ、人々から自信を奪う事態を悪化させていないか。
現代は様々なものが生み出されているが、どれもまだ歴史が浅い。信頼するには脆弱であるが、ストレスに弱いと定義づけられた現代人は、今の目の前のストレスを何とかしようそれらのものに大金をはたいででもすがろうとする。「自分の感情を信じよ」と誰もが叫ぶようになり、個人の一存で自由に行動できるようになった。だがそのような、ものをよく考えない態度がかえって状況を悪化させ、自信を喪失させているのではないか。
■自信のなさに対して「反脆弱性の精神」を回復することの大切さ
歴史を懐古することは、そのストリートを通じて喜びも苦労も、歴史の登場人物の生き様を体験させてくれる。
ハーレーダビットソンのバイクは所有することで満足感を得ることができるが、まず購入すること自体が自身の脆弱性克服へのチャレンジとなる。
ハーレダビットソンを買ったらそれを維持管理していく責任から逃れることはできない。だが逆に、ハーレーオーナー、またライダーとしてそれを維持管理をしながらそれまでの自分からライフステージを上げていく「脆弱な自分との決別」にこそ、このバイクを所有する醍醐味があると私は思う。
そしてそのライフステージチェンジの前提にあるのは私たちの心は「反脆弱性」、どんな困難も克服することができるという精神だ。家族の心配や、家庭内での家事とのバランス、ツーリングの付き合いやお財布事情の変化まで、自分の努力で変えられる範囲だけを変えても状況が苦しくなるなど、はじめは楽しいバイクライフでもそう時間がただずに「現実に引き戻された思い」になることを経験するかもしれない。しかし、人生それが当たり前だ。
ハーレーダビットソンが中年以降の紳士の乗り物のイメージがあるのは、苦労の連続だった人生を乗り越えて、人生後半になってそれまで得てきた富をようやく楽しむことができるようになったという、購入者一人一人の歴史を労うストリートを思い起こさせるからだと思う。
人間の心はもともと反脆弱性、すなわちストレスのある環境に置かれるとその環境に慣れ適応していく性質がある。人間の免疫系がアレルゲンやウィルスを克服する過程でその抗原にさらされる必要があるように、心の自信も、自信のない環境にさらされながらその環境に慣れ、適応していくことで獲得していくものだ。
近年登場した「嫌いなものは避けてよい」や「人間関係をリセットする」の風潮は、ストレスに極めて弱く、仕事が長続きしないことをはじめとする本来なら誰もが通る自然に克服できる困難にも向き合うことができない、成長する機会を徹底的に排除された脆弱なままの心の人を今後も増やしていくだろう。
そのようにして「誰かに頼らなければ生きていけない」前提で、コミュニティーとして寄り集まっても、心のどこかでいつも誰かの助けを必要とする脆弱さが克服できず、自分はどこかのコミュニティーに属していなければならないという恐怖に支配されるだけで、本当の自信は育たないのではないだろうか。
若すぎる人がハーレーダビットソンに乗っていたり、一発屋の芸能人や有名スポーツ選手がハーレーダビットソンを購入したりするのに違和感を覚えたりするならそのためではないか。
ハーレーダビットソンの精神、歴史などは無視してとにかく自分の満たされない「何か」をこれが埋めてくれるに違いないとの思いでハーレーダビットソン車を購入すると、その心の弱さがハーレーダビットソンの「本物感」との違和感として外見ににじみ出て、非常に不相応に見えることがある。目の前の相手に敬意を払えない余裕のない脆弱な心が、ハーレーダビットソンに宿るイメージにしがみついて「満たされないこの心の隙間をどうか埋めてくれ」と助けを乞うている様を想像させるからかもしれない。
■「本物」の「凄み」に触れて、自信ある様を感じよう。
日本の侘び・寂び文化のように、「本物」にはいくつもの時代を超えてきた一貫した精神と、それをバトンリレーのようにつないできた歴史がある。
「本物」が紡ぐ歴史ある営みの一部に自分が招かれる経験は、人生でそう多くはないだろう。
だから、招かれたらそのご縁を大切にしよう。そして縁をつないでいただいたなら、その「本物」の在り方を傍で見、触れ、できるかぎり真似てみることを通じてそのものからかもしだされる「自信」の本質を感じ取り、モノにしようと努めよう。
「本物」は誰であっても拒絶しないでその深い懐に抱きとめてくれる。心地よいときもそうでない時も、けしてあるべき姿に逆らわず、途切れることなく流れ続ける川の流れのようなものだ。
「夢中になる」は「好き」を芽生えさせるという。「好き」は自信の芽だ。「本物」が営むその大きな時間の営みの魅力に夢中になる姿はきっと、これまで身を置いてきた人生の、どの時間と比較しても最も「自分らしい」人生のはずだ。そのようにして「私らしく」を手に入れた人の生き様に「自信がない」なんてことは、きっとない。
