ときどきブログに登場していた大正生まれの私の婆ちゃん。
義理パパが亡くなる半年前の2017年の年末に亡くなった。
私が小さかった頃、盲腸をこじらせ腹膜炎になり、今晩が峠と言われたけど、乗り越え。
80過ぎで脳梗塞を発症。
脳幹という脳の中枢部のすぐ近くに梗塞が出来て、梗塞が少しでも大きくなったら危ないと言われたけど、また乗り越えた。
脳梗塞を発症した時、
誰も経験がなくて体調でも悪いんだろうと一晩おいてしまったため、右に麻痺が残ってしまった。
リハビリ病院では、朝から1人で自主的にリハビリし、かなり努力して奇跡の回復力でだいぶ体も効くようになったのに、退院後に誰もいない時、こっそり自分の部屋がある2階に上がり、最後で足が引っかかって1番上から落ちた。
せっかくリハビリを頑張ったのに、打ち身が痛くて、しばらく体を動かさないでいたら、体があまり効かなくなってしまったけど、手すりにつかまったり、四つんばいだったりしてもギリギリまで自分のことは自分でしていた。
お風呂まで1人で行こうとして、よろけてテレビ台の角に腰をぶつけ、圧迫骨折して入院。
2週間動かないでいたら、全く歩けなくなってしまい、近くの老人ホームに預けて、リハビリすることに。
リハビリしてくれると聞いたし、家から近くていい所に入れてよかったねと喜んでいたけど、リハビリなんてほとんどしてくれなかった💦
夜にベッドから立ち上がろうとして、転んで顔面を強打し、悲惨な姿に。そしたまた数日後、同じことが起きた。
表情が乏しくなり、打ち身で痛いのか、上手く飲み込みも出来なくなり、このままじゃ死んでしまうと家に連れて帰ることに決め、帰る予定日の明け方に2度目の脳梗塞💦
目の焦点も合わず、口もだらーん。
施設の人は高齢だし、病院に搬送すれば何かしら処置をされてご本人も苦しいのでは?と、救急車を呼ばないことを勧めたけど、母は脳の検査は苦しくないし、救急車を呼んで欲しいとお願いした。
病院に運ばれた時、ほとんど意識も朦朧としていて、ボケてしまったのか、私の事も可愛がっていたチビ助の事も分からなくなり、母が買い物に出ていた間に鼻管も入れられてしまった。
脳梗塞は2週間しか入院出来ず、次の転院先は老人病院を紹介されたけど、母は前回のホームで懲りたので、自分で何ヶ所かリハビリ病院に足を運び、直談判。
90過ぎで高齢ということで、なかなか受け入れてくれる病院がなかったのだけど、母の熱意で受け入れてくれるリハビリ病院が見つかった❗️
そこではスタッフの皆さんが一生懸命リハビリ指導してくれて、婆ちゃん96にして鼻管が取れた。
90過ぎたら、管は増えることはあっても取れることはまずないと、スタッフの方がビックリしていた‼️
ボケてしまったと思われた頭も一時的なものだったようで復活。半年の入院生活の後、家に戻れた。
退院時はドロドロのミキサー食だったのに、気づいたら、ふかし芋、アメリカンドック、天ぷらまで食べられるまで復活✨
夏には母と私の2人で鬼怒川へ小旅行に出かけ、秋にも旅行に連れ出してもらっていた。おそるべし、大正生まれ‼️
母の判断と行動力もすごいと思った。
ホームの人に言われた通りにしていたら、最後はホームで美味しいものも食べないまま、婆ちゃんの人生終わりだった。
鼻管入れられたり、婆ちゃんはしんどかったかもしれない。母も婆ちゃんに長生きして欲しいってのは、自分のエゴなんじゃないかと悩んでいたりもした。
でも家族みんなで協力して、婆ちゃんに出来る限りのことをやりきり、最後は老衰で眠るように静かに亡くなったので、これ以上の大往生はなかったんじゃないかと思う。
婆ちゃん、天国から見守っててね。
2019.04.02