そんな時、私は。
そんな時、私は。
記憶にとどめておくために書きます。
たまたま、あるビルに立ち寄る寸前でした。
風が木を揺らしていたからか、キンキン、と音がしていて。
何かおかしいな?
「揺れてる!」
近くにいたおばちゃんが叫びました。
え?地震か?
周りを見たら、段々とグラグラ揺れてきました。
久々に地震が来たか。いつもそんなのんきな感じな私でしたが。
いや!違う!!(◎_◎;)
凄まじい勢いで、ガッタンガッタン!と揺れ出したのに驚きました。
咄嗟にその近くにいたおばちゃんに袖、掴まれましたが。。。私も遠慮なく掴ませてもらいました。こんな時、相手が誰かは、もう関係ない。
さらに、お婆さんが近くにいて、掴まれました。
長い時間、揺れは収まらなくて、
私「・・しゃがみますか。」
上を注意しながら、しゃがみこみ、様子を伺う。
地面が割れてもおかしくないくらいの連続の揺れは、数分続きました。
・・・やっと収まった(ーー;)
収まって、お二人の袖を離し、お互いに礼を言い、別れました。
私はある施設に入り、用を済ませようとしたら、また同じくらいの揺れが短く。
「やばい、やばい。」
(確かに、TVで東北あたりを中継してました。まだ、そこまで甚大な被害になるとは思ってませんでした。)
用が終わり、駅に向かい始めると。
ある病院では、外に沢山の方が出て来て騒いでいます。
ある商業ビルでは、店員が数百名、避難して出て来てました。聞いたら、停電であると。上を見ると、エレベーターも停止していて中には人がいる。
ビルのある場所からは水が吹き出して。。やはり、かなり、まずい状況?
そして、駅前では、数百人の方がざわざわと騒いでました。
改札に行って、わかりました。
駅全面閉鎖です。
シャッターが既に降りてました。
「そうか。ここまで酷いんだ。。。」
まだ楽天的に捉えてたんです。
これは、かなりまずいと情報収集や、電話してみました。電話やメールは、誰にも通じず。
「やばい。やば過ぎだ。」
小一時間、そのあたりをウロウロ。
色々考えて、駅のアナウンスを聞いて考えました。
ショッピングモールも既に閉鎖。
映画館も、ゲームセンター、カラオケ店も閉まる。
飲食店も次々閉まる。ガスが使えないからだろう。
マッサージ店も閉まり始める。
徐々に夕方になるのに、居場所がなくなりつつある。
駅は何度行っても、シャッターが閉まったまま。
「はー・・・自宅、帰るの無理かも。」
他県で、また自宅から遠い場所なんで、早々あきらめました。
動かない時は動かないもんだ。
明日仕事があれば、何がなんでも帰りますが、明日は休日。
近くのホテルに行き、空いてるらしいので、その場でチェックイン。エレベーターは止まってますから、階段で5階以上登りました。不謹慎かも知れないが、早々眠りにつこうと思ってました。
携帯を充電しながら、久々にTVを見ることに。
ガタガタと余震が何度も。
すると・・・
次々に写る凄まじい映像に愕然としました。
人がいない畑とは言え、凄まじい勢いで津波が全てを飲み込んで破壊していく。止まらない。
何故か集まった数十台の車に渦巻くようにして津波が囲む。車が軽々とぶつかり合う。
海岸のコンビナートらしき場所で、火災、というか、爆発。
「・・・な、なんなんだこりゃ?」
暫く唖然として目が離せませんでした。
会社からは、IP電話で連絡有り。携帯同士では繋がらなかったのです。
「作業は済んだので、帰社せず、このまま泊まります。」
TVをずっと見ながらツイートで、知り合いの状況確認やらしてました。
夕飯も用意。コンビニは既にあんまり物が無かった。みんなちょっと買い溜めしたんだろうな、とは軽く思いました。
部屋にいたら、救急車のサイレンの音が止まない。
日が落ちて、数時間後。
窓から、なんだか形の変わる明るい光が見えました。
近くで火事でした。。。!(◎_◎;)
数百メートルは離れてましたが、確実に火事だとわかりました。
「大丈夫なのか?この街でさえ、こんな感じで。」
友人や、家族からメールがあり、わたしの大体の知り合いは無事だとわかり、一安心。
しかし、そこはかとない不安を抱えてました。
TVからの映像は、かつて外国で見た被災地の様子に近いものの、さらに高画質な感じがして、かなりショックでした。
余震が続く中、眠りにつきました。
早朝。
「悪夢だ。。。夢であって欲しかった。」
そうしみじみ思ってました。
TVを見ても、さらに悲惨な状況がそこにあり、また、繰り返し強烈な映像を写してました。
電車が動き始め、私も食事を済ませながら自宅へ。
ゆっくり、ゆっくり。
途中、混雑する区域は歩いて駅間を移動。
閑散とした都内の喫茶店に寄ったり。
建物の上の方を見ながらゆっくりと歩きます。
最後は、電車。朝の満員電車とあまり変わらず。乗車率200~300パーセント。おっさんばかりでないのが違うところ。
なんとか、自宅に到着。
CDが、多少散乱。懐かしいサインとか、ポスターが崩れてた程度。
まあ、大したことなかったけど。
その後、TVで被害とかについて話してて。
日本中が頑張ってるのを見てて。
ちょっと、正直滅入って来ました。
TV切って、違うこと考えて。
やることやりながら、少し今後を考えました。
次の日は仕事。余震がありながらも、なんとか寝ました。
それから一週間、なかなか大変でしたが、山はひとつ乗り越えました。皆さんとは、かなり濃いメッセージを交換しました。ありがとう。
その時はどうなるか、全くわかりませんでしたが、
いや、いまだにわからないですけど、
いつも同じ思い。
くだらないけど、くだらないなりに命はある。
命がある意味はわからない。
だから、私らしく生きよう。
私を全うしよう。
そんな気持ちです。
記憶にとどめておくために書きます。
たまたま、あるビルに立ち寄る寸前でした。
風が木を揺らしていたからか、キンキン、と音がしていて。
何かおかしいな?
「揺れてる!」
近くにいたおばちゃんが叫びました。
え?地震か?
周りを見たら、段々とグラグラ揺れてきました。
久々に地震が来たか。いつもそんなのんきな感じな私でしたが。
いや!違う!!(◎_◎;)
凄まじい勢いで、ガッタンガッタン!と揺れ出したのに驚きました。
咄嗟にその近くにいたおばちゃんに袖、掴まれましたが。。。私も遠慮なく掴ませてもらいました。こんな時、相手が誰かは、もう関係ない。
さらに、お婆さんが近くにいて、掴まれました。
長い時間、揺れは収まらなくて、
私「・・しゃがみますか。」
上を注意しながら、しゃがみこみ、様子を伺う。
地面が割れてもおかしくないくらいの連続の揺れは、数分続きました。
・・・やっと収まった(ーー;)
収まって、お二人の袖を離し、お互いに礼を言い、別れました。
私はある施設に入り、用を済ませようとしたら、また同じくらいの揺れが短く。
「やばい、やばい。」
(確かに、TVで東北あたりを中継してました。まだ、そこまで甚大な被害になるとは思ってませんでした。)
用が終わり、駅に向かい始めると。
ある病院では、外に沢山の方が出て来て騒いでいます。
ある商業ビルでは、店員が数百名、避難して出て来てました。聞いたら、停電であると。上を見ると、エレベーターも停止していて中には人がいる。
ビルのある場所からは水が吹き出して。。やはり、かなり、まずい状況?
そして、駅前では、数百人の方がざわざわと騒いでました。
改札に行って、わかりました。
駅全面閉鎖です。
シャッターが既に降りてました。
「そうか。ここまで酷いんだ。。。」
まだ楽天的に捉えてたんです。
これは、かなりまずいと情報収集や、電話してみました。電話やメールは、誰にも通じず。
「やばい。やば過ぎだ。」
小一時間、そのあたりをウロウロ。
色々考えて、駅のアナウンスを聞いて考えました。
ショッピングモールも既に閉鎖。
映画館も、ゲームセンター、カラオケ店も閉まる。
飲食店も次々閉まる。ガスが使えないからだろう。
マッサージ店も閉まり始める。
徐々に夕方になるのに、居場所がなくなりつつある。
駅は何度行っても、シャッターが閉まったまま。
「はー・・・自宅、帰るの無理かも。」
他県で、また自宅から遠い場所なんで、早々あきらめました。
動かない時は動かないもんだ。
明日仕事があれば、何がなんでも帰りますが、明日は休日。
近くのホテルに行き、空いてるらしいので、その場でチェックイン。エレベーターは止まってますから、階段で5階以上登りました。不謹慎かも知れないが、早々眠りにつこうと思ってました。
携帯を充電しながら、久々にTVを見ることに。
ガタガタと余震が何度も。
すると・・・
次々に写る凄まじい映像に愕然としました。
人がいない畑とは言え、凄まじい勢いで津波が全てを飲み込んで破壊していく。止まらない。
何故か集まった数十台の車に渦巻くようにして津波が囲む。車が軽々とぶつかり合う。
海岸のコンビナートらしき場所で、火災、というか、爆発。
「・・・な、なんなんだこりゃ?」
暫く唖然として目が離せませんでした。
会社からは、IP電話で連絡有り。携帯同士では繋がらなかったのです。
「作業は済んだので、帰社せず、このまま泊まります。」
TVをずっと見ながらツイートで、知り合いの状況確認やらしてました。
夕飯も用意。コンビニは既にあんまり物が無かった。みんなちょっと買い溜めしたんだろうな、とは軽く思いました。
部屋にいたら、救急車のサイレンの音が止まない。
日が落ちて、数時間後。
窓から、なんだか形の変わる明るい光が見えました。
近くで火事でした。。。!(◎_◎;)
数百メートルは離れてましたが、確実に火事だとわかりました。
「大丈夫なのか?この街でさえ、こんな感じで。」
友人や、家族からメールがあり、わたしの大体の知り合いは無事だとわかり、一安心。
しかし、そこはかとない不安を抱えてました。
TVからの映像は、かつて外国で見た被災地の様子に近いものの、さらに高画質な感じがして、かなりショックでした。
余震が続く中、眠りにつきました。
早朝。
「悪夢だ。。。夢であって欲しかった。」
そうしみじみ思ってました。
TVを見ても、さらに悲惨な状況がそこにあり、また、繰り返し強烈な映像を写してました。
電車が動き始め、私も食事を済ませながら自宅へ。
ゆっくり、ゆっくり。
途中、混雑する区域は歩いて駅間を移動。
閑散とした都内の喫茶店に寄ったり。
建物の上の方を見ながらゆっくりと歩きます。
最後は、電車。朝の満員電車とあまり変わらず。乗車率200~300パーセント。おっさんばかりでないのが違うところ。
なんとか、自宅に到着。
CDが、多少散乱。懐かしいサインとか、ポスターが崩れてた程度。
まあ、大したことなかったけど。
その後、TVで被害とかについて話してて。
日本中が頑張ってるのを見てて。
ちょっと、正直滅入って来ました。
TV切って、違うこと考えて。
やることやりながら、少し今後を考えました。
次の日は仕事。余震がありながらも、なんとか寝ました。
それから一週間、なかなか大変でしたが、山はひとつ乗り越えました。皆さんとは、かなり濃いメッセージを交換しました。ありがとう。
その時はどうなるか、全くわかりませんでしたが、
いや、いまだにわからないですけど、
いつも同じ思い。
くだらないけど、くだらないなりに命はある。
命がある意味はわからない。
だから、私らしく生きよう。
私を全うしよう。
そんな気持ちです。
こんな話が、阪神大震災当時ありました。
前編http://ameblo.jp/arikaoakan/entry-10778990958.html
まだ被害状況もわかってないし、まだまだ余震、火災、津波も続いてます。
ですが、こんな記憶を紹介させてください。
阪神大震災の2日後に、当時の全日本プロレスは大阪府立体育館では試合を開催しました。
そんなア ホな、と思うでしょ?
私も当時週刊プロレスの記事で知り、特にメインを争った川田、小橋の60分ファイトが素晴らしかったと知りました。
後編http://ameblo.jp/arikaoakan/entry-10778991863.html
確かにイベントは中止すべきものですが、これも、判断。
家が倒壊した人も、原チャリで駆けつけたとか週刊プロレスの記事にはあった。
みんな、励まされたかったのでしょうね。
気落ちしている方には、ぜひ読んで欲しい。
まだ被害状況もわかってないし、まだまだ余震、火災、津波も続いてます。
ですが、こんな記憶を紹介させてください。
阪神大震災の2日後に、当時の全日本プロレスは大阪府立体育館では試合を開催しました。
そんなア ホな、と思うでしょ?
私も当時週刊プロレスの記事で知り、特にメインを争った川田、小橋の60分ファイトが素晴らしかったと知りました。
後編http://ameblo.jp/arikaoakan/entry-10778991863.html
確かにイベントは中止すべきものですが、これも、判断。
家が倒壊した人も、原チャリで駆けつけたとか週刊プロレスの記事にはあった。
みんな、励まされたかったのでしょうね。
気落ちしている方には、ぜひ読んで欲しい。