リストクラッチ・エクスプロイダー -41ページ目

そんな時、私は。

そんな時、私は。

記憶にとどめておくために書きます。


たまたま、あるビルに立ち寄る寸前でした。

風が木を揺らしていたからか、キンキン、と音がしていて。

何かおかしいな?

「揺れてる!」

近くにいたおばちゃんが叫びました。

え?地震か?

周りを見たら、段々とグラグラ揺れてきました。

久々に地震が来たか。いつもそんなのんきな感じな私でしたが。

いや!違う!!(◎_◎;)

凄まじい勢いで、ガッタンガッタン!と揺れ出したのに驚きました。

咄嗟にその近くにいたおばちゃんに袖、掴まれましたが。。。私も遠慮なく掴ませてもらいました。こんな時、相手が誰かは、もう関係ない。

さらに、お婆さんが近くにいて、掴まれました。

長い時間、揺れは収まらなくて、

私「・・しゃがみますか。」

上を注意しながら、しゃがみこみ、様子を伺う。

地面が割れてもおかしくないくらいの連続の揺れは、数分続きました。

・・・やっと収まった(ーー;)

収まって、お二人の袖を離し、お互いに礼を言い、別れました。

私はある施設に入り、用を済ませようとしたら、また同じくらいの揺れが短く。

「やばい、やばい。」

(確かに、TVで東北あたりを中継してました。まだ、そこまで甚大な被害になるとは思ってませんでした。)

用が終わり、駅に向かい始めると。

ある病院では、外に沢山の方が出て来て騒いでいます。

ある商業ビルでは、店員が数百名、避難して出て来てました。聞いたら、停電であると。上を見ると、エレベーターも停止していて中には人がいる。

ビルのある場所からは水が吹き出して。。やはり、かなり、まずい状況?

そして、駅前では、数百人の方がざわざわと騒いでました。


改札に行って、わかりました。

駅全面閉鎖です。

シャッターが既に降りてました。

「そうか。ここまで酷いんだ。。。」

まだ楽天的に捉えてたんです。

これは、かなりまずいと情報収集や、電話してみました。電話やメールは、誰にも通じず。

「やばい。やば過ぎだ。」

小一時間、そのあたりをウロウロ。

色々考えて、駅のアナウンスを聞いて考えました。

ショッピングモールも既に閉鎖。

映画館も、ゲームセンター、カラオケ店も閉まる。

飲食店も次々閉まる。ガスが使えないからだろう。

マッサージ店も閉まり始める。

徐々に夕方になるのに、居場所がなくなりつつある。

駅は何度行っても、シャッターが閉まったまま。

「はー・・・自宅、帰るの無理かも。」

他県で、また自宅から遠い場所なんで、早々あきらめました。

動かない時は動かないもんだ。
明日仕事があれば、何がなんでも帰りますが、明日は休日。

近くのホテルに行き、空いてるらしいので、その場でチェックイン。エレベーターは止まってますから、階段で5階以上登りました。不謹慎かも知れないが、早々眠りにつこうと思ってました。

携帯を充電しながら、久々にTVを見ることに。

ガタガタと余震が何度も。

すると・・・

次々に写る凄まじい映像に愕然としました。

人がいない畑とは言え、凄まじい勢いで津波が全てを飲み込んで破壊していく。止まらない。

何故か集まった数十台の車に渦巻くようにして津波が囲む。車が軽々とぶつかり合う。

海岸のコンビナートらしき場所で、火災、というか、爆発。

「・・・な、なんなんだこりゃ?」

暫く唖然として目が離せませんでした。

会社からは、IP電話で連絡有り。携帯同士では繋がらなかったのです。

「作業は済んだので、帰社せず、このまま泊まります。」

TVをずっと見ながらツイートで、知り合いの状況確認やらしてました。

夕飯も用意。コンビニは既にあんまり物が無かった。みんなちょっと買い溜めしたんだろうな、とは軽く思いました。

部屋にいたら、救急車のサイレンの音が止まない。

日が落ちて、数時間後。

窓から、なんだか形の変わる明るい光が見えました。

近くで火事でした。。。!(◎_◎;)

数百メートルは離れてましたが、確実に火事だとわかりました。

「大丈夫なのか?この街でさえ、こんな感じで。」

友人や、家族からメールがあり、わたしの大体の知り合いは無事だとわかり、一安心。

しかし、そこはかとない不安を抱えてました。

TVからの映像は、かつて外国で見た被災地の様子に近いものの、さらに高画質な感じがして、かなりショックでした。

余震が続く中、眠りにつきました。


早朝。

「悪夢だ。。。夢であって欲しかった。」

そうしみじみ思ってました。

TVを見ても、さらに悲惨な状況がそこにあり、また、繰り返し強烈な映像を写してました。

電車が動き始め、私も食事を済ませながら自宅へ。

ゆっくり、ゆっくり。

途中、混雑する区域は歩いて駅間を移動。

閑散とした都内の喫茶店に寄ったり。

建物の上の方を見ながらゆっくりと歩きます。

最後は、電車。朝の満員電車とあまり変わらず。乗車率200~300パーセント。おっさんばかりでないのが違うところ。

なんとか、自宅に到着。

CDが、多少散乱。懐かしいサインとか、ポスターが崩れてた程度。

まあ、大したことなかったけど。

その後、TVで被害とかについて話してて。

日本中が頑張ってるのを見てて。

ちょっと、正直滅入って来ました。

TV切って、違うこと考えて。

やることやりながら、少し今後を考えました。

次の日は仕事。余震がありながらも、なんとか寝ました。


それから一週間、なかなか大変でしたが、山はひとつ乗り越えました。皆さんとは、かなり濃いメッセージを交換しました。ありがとう。

その時はどうなるか、全くわかりませんでしたが、

いや、いまだにわからないですけど、

いつも同じ思い。

くだらないけど、くだらないなりに命はある。

命がある意味はわからない。

だから、私らしく生きよう。

私を全うしよう。

そんな気持ちです。

ラムジ兄さんコメント、アンプラグドライブ。

こんな話が、阪神大震災当時ありました。

前編http://ameblo.jp/arikaoakan/entry-10778990958.html

まだ被害状況もわかってないし、まだまだ余震、火災、津波も続いてます。

ですが、こんな記憶を紹介させてください。

阪神大震災の2日後に、当時の全日本プロレスは大阪府立体育館では試合を開催しました。

そんなアホな、と思うでしょ?

私も当時週刊プロレスの記事で知り、特にメインを争った川田、小橋の60分ファイトが素晴らしかったと知りました。

後編http://ameblo.jp/arikaoakan/entry-10778991863.html

確かにイベントは中止すべきものですが、これも、判断。

家が倒壊した人も、原チャリで駆けつけたとか週刊プロレスの記事にはあった。

みんな、励まされたかったのでしょうね。

気落ちしている方には、ぜひ読んで欲しい。