小橋建太という男 1 | リストクラッチ・エクスプロイダー

小橋建太という男 1

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2008年の3月の記事です。

今も昔も、小橋には励まされてます。

彼ががんになる以前、足の手術で1年半に渡り休み、復帰した時には、武道館に見に行きました。

前の試合が終わった瞬間から小橋コール。

その凄まじさといったら、ライブもぶっ飛ぶぐらいの1万人のうなり。

そのファンの熱さに、珍しく私も感涙。

いやいや、恥ずかしながら号泣に近かったと思います(^∇^;)

もうだって…10年以上見て来てますからね。

いちいちこいつは…あほやろというくらいまっすぐで、熱い!w( ̄▽ ̄)w

しかし、ここまで凄かったら、もう素直に認めるしかない。

プロレスという枠にはめておいては勿体ない存在です。

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◇道は開ける、病気やいじめにあっている人に伝えたい

 人気、実力ともに日本を代表するプロレスラー、小橋建太さん(40)が腎臓がんを克服してリングに帰ってきた。がんで腎臓を片方取って現役復帰したプロスポーツ選手は前例がないという。プロレスやその生き様を通してたくさんの人を勇気付けている小橋さん。不屈の闘志を支えるものは何なのだろう?

 「こばしーーーっ!」

 叫ぶような声が日本武道館のあちこちから聞こえてくる。今月2日夜に行われた「The Second Naving.’08」。得意技のマシンガンチョップや剛腕ラリアットが決まるたびに、観客から「お~~」という歓声が地鳴りのように響く。リングの上では、汗でぬれた鍛え上げられた体がライトに照らされ、光を帯びている。復帰第8戦を飾った小橋さん。コールや拍手が鳴りやまない。会場が一つになっていった。
 小橋さんは両親の離婚で父の姿を知らないまま育った。母はパートなどを掛け持ちして、小橋さんと兄の2人を1人で育てた。経済状況は苦しかった。家は雨漏りし、畳がへこみ、床底が抜けた。しかし、母は愚痴ひとつ言わずに必死で働いた。「母が胸を張れる立派な人間になりたい」という思いが強くなった。
 早く自立したくて高校卒業後は京セラに入って工場勤務をした。しかし、自分が置かれた状況が見えてくるに従って「本当にこれがしたかったことなのか?」という疑問が心を占めるようになった。

 そのころ、小さな新聞の記事が目に入った。米国のプロボクサー、マイク・タイソンの活躍を伝えるものだった。恵まれない環境に育ち、一時は少年院にまで入っていた同い年の男が、好きなボクシングでのし上がっている。「自分にとってのボクシングはなんなのか?」。「プロレスラーになりたい」。子供のころの夢がよみがえった。

 退職してウエートトレーニングに取り組み、全日本プロレスに入門願を出した。しかし、実績がないことや20歳という年齢を理由に入門を断られた。交渉して何とか入門したが、上下関係が厳しい先輩たちとの共同生活や付き人としての苦悩など、苦労は絶えなかった。リングデビューは88年。熱いファイトスタイルや不屈の強さで、徐々に存在感を増していった。

 たくさんの賞を取り、前シーズンではチャンピオンになっていた06年6月。降ってわいたかのようにがんが見つかった。所属する「プロレスリング・ノア」の健康診断でのことだった。