大相撲10年半、ちゃんこ屋を苦節13年の
それから何年後かに、兄弟子の倉地さんから
元力士の観点から大相撲を語ります!
第十五回目は「琴富士」
平成三年の名古屋場所では幕内最高優勝を
した実力者であります。
ちょっとした逸話として…
琴富士関が優勝した場所で、同じ部屋の
琴錦関が、一生持って写真を撮ることは
ないと天皇賜杯を持って、偶然その時に
支度部屋に入れて貰っていたウチの奥さん
に写真を撮ってもらい送ってほしいと言って
いたら、なんと琴錦関本人が次の九月場所で
優勝したという話…
入門二年目に、大阪場所で鳳凰関の付き人で
立っていると琴富士に呼ばれて…
「おいお前、二所か?フィリピーナか?」
私:「いえ日本人です」
と言うのがファーストコンタクトでした…
引き継ぐ形で、可愛がってもらえる様になり
部屋は違いましたが、東京、地方巡業など
関係なくしょっちゅう一緒に出かける様に
なりたした。
琴富士関の後援会の方にも紹介してもらう
機会もあり私のシコ名は常寶(とこたから)
というのですが、そんな時は説明も長くなる
ので琴寶(ことたから)ですと名乗って
いました。
琴富士関は、私と一緒でプロレスが大好きで
恵まれた体格に、あのジャイアント馬場さん
も惚れ込んでいました。
現役中に、リングに上がらせてもらい練習
もしていたそうです。
もしかしたらプロレスラー琴富士がいたかも
琴富士関は、あのスタン・ハンセンと友達で
を持ってよく一緒に行きました。
何度か、一緒に飲みにも行かせて頂きました
プロレスの大ファンの私には、夢見ごこち
でございました。
ちなみにこの写真の後、ジョニー・エースと
私が、酔い喧嘩になりスタン・ハンセンに
チョップされ止められるなんて珍事も…
一緒にプロレス観戦に行ったり、焼肉を
食べに行ったりしました。
当然ですが、いつもデーモン閣下は素顔に
サングラスという出で立ちでした。
に向かう時に、私と私の友達とデーモンさん
と三人で先乗り込みする事になりました…
お願いして「蝋人形の館」をデーモンさん
のライト演出で歌って頂き贅沢な時間を
過ごしす事ができました。
それも、琴富士関のお陰でございます。
話は、琴富士関に戻しますが…
私の中の琴富士関は一言で「タフガイ」。
夏の地方巡業で、毎日の様に巡業中の夜の
街に繰り出していましたが、巡業後半には
私の体力もギリギリでした…
その日も、一通り飲み歩き〆に焼肉屋さんへ
私は、牛タンを焼きながら疲れで寝てしまい
オイと起こされ、すいませんと牛タンを焼く
牛タンをレモン汁に漬けて疲れで寝てしまう
オイと起こされ、すいませんと牛タンを口に
入れたまま疲れで寝てしまいました。
でした…
一緒に何軒ものショーパブに行き、ショーに
出たのも懐かしい思い出です。
いつか恩返ししたいな〜。