もうあと何回これを繰り返すんだろう…

玄米をごりごりこすって洗い、水に浸す

 

弁当のおかずがなくなりそう…

何、作ろうかとキッチンで棒立ちする

 

食事を作るとはなんて面倒なんだろう

と途方に暮れた

 

だけど、今ご飯を作り

食べるということへの

めんどくささが無くなった

作るという現実は変わらない

だけど、目的をもった

ということが

自分の中で変わったようだ

 

お恥ずかしい話、35まで実家を出たことがない。

家に帰れば、必ず食べられるものがあった。

 

 

家を出ることになり、当たり前に食べていたご飯を

自分が作るようになると、

毎日作るとは

なんと面倒なんだろうと

たまげた

 

 

冷蔵庫を開けても、ご飯は出てこない

気が付いたら、ご飯はなくなっている

作りは、減り

また作る

 

これをあと何度やるのだろうと

途方に暮れていた。

 

 

毎日面倒で仕方ない食事について、気が付くことがあった。

ある講座がきっかけで、

自分が1番大事にしていることは

“家族でご飯を食べること”だと分かった。

 

 

 

 

思い返せば、自分の思い出のほとんどに

食事は必ず入っている

 

年末に就職試験に落ちて、大泣きした時も

保育士を辞めたいと言った時も

目の前には

母が作ったご飯があった

 

 

 

 

自分の大事にしたいことが

食事

だと気が付いた時から

作ること、食べることへの意識が変わった

 

 

 

日常生きているから

米も研ぐし

ご飯も作る

表面上は何も変わっていない

 

だけど、途方に暮れていたことが

苦痛でなくなったのは

 

自分が、食事を大事にして

生きていきたい人で

自分の心が喜ぶことだと

意識が変わり

目的ができたからだ

 

 

苦痛だと思えば、嫌なことが起き

喜んでいると思えば、うれしいことで日常は溢れている

 

 

 

「一緒に食べてあげようか」

「偉そうに」

ぶつぶつ言いながら、

いつも通りの

ご飯と味噌汁を並べる

 

 

ただ、食事の時間を大事にしたい目的をもち

「ご飯を一緒に食べる時間が欲しい」

と家族に話した

 

 

ただそれだけで

いつもの日常は

穏やかで

自分の心もしあわせで

 

ああ、今日も生きているな

自分がたいそう喜んでいます。