アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』――【連載】全体は部分に優先する(3) | 読んで効く、日常のNLP 実践レポートと徹底考察 by 中浦ジュン

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昨年末、俺は「全体は部分に優先する」をカテゴリーとして独立させた。以前から興味をもっていたこのテーマにじっくり取り組んでみようという気になったからである。
それと前後して、急にポリスの「ゴースト・イン・ザ・マシーン」が聴きたくなった。これは単なる偶然だったのであろうか?
まもなく、このタイトルは本書『機械の中の幽霊』の原題であることに気がついた。検索してみて、この本には「全体と部分」のことが書かれていることを知った。

・要約

第一部 秩序
物 質のミクロな構造、生物体、心、言語、社会、天体など、およそ構造をもつものは「階層的秩序(OHS)」に律せられている。部分の組み合わせがサブシステ ムを作り、サブシステムの組み合わせが上位のサブシステムを作り、このサブシステムの組み合わせがさらに上位のサブシステムを作る。このステップを上位の 方向と下位の方向へそれぞれ連鎖させると「階層的秩序」になる。各ノードは一つ上の階層からみれば「部分」、一つ下の階層からみれば「全体」という性格を もち、この性格のゆえにホロン(全体子)と名づけられる。
一面では各ホロンは「全体帰属的」な傾向をもち、上位ホロンの部分としてふるまう。上位 ホロンは下位ホロンに対してきわめて簡潔な命令を下し、細かい手順は下位ホロンに「委譲」する。すると下位ホロンはそのホロン固有の規則にのっとって具体 的な手順を立案し遂行する。その過程で生じたエラーはこのホロンの責任で補正されるから、上位ホロンは具体的な手順を知る必要はなく、命令が遂行されたと いう事実だけを知ればよい。
一方で、各ホロンは「自己主張的」な傾向をもち、同位のホロンとの間で競争関係になることもある。
そして、以上のような階層構造の存在を認めず、全体は部分の総和にすぎないと考える要素還元主義者たち(とくに行動主義心理学者たち)の論理を、著者は「地球平面観」と名づけて指弾する。

第二部 生成
進 化論が主要テーマとなり、まず「突然変異」と「自然淘汰」だけで進化を説明しようとする正統派ダーウィニズムが批判される。ランダムな突然変異によって進 化は説明できない。ランダムな突然変異が単独で存続することは考えられない。なぜなら他の諸器官と協調しないかぎりそのような変異は個体の生存を危うくす るからだ。とはいえ、ホロンのもつ自己補正能力によってそのような変異(エラー)の影響は消去される(これを「内部淘汰」と呼ぶ)。すると、進化には方向 性があると考えざるを得ない。生物体が一定の方向で準備をすすめたすえに、偶然の突然変異が起こってその準備過程を完成させる(裏を返せば、準備されな かった突然変異はエラーとして消去される)というわけである。
科学史上の大発見は、しばしば複数の者によって、全く独立に、しかもほとんど同時期になされる。これは「一定の型の発明発見の時期が熟すれば、それに点火する幸運な偶然事は、遅かれ早かれ生ぜずにはいない」からである。同様のことが進化の過程でも起こっているのであろう。
次 に、進化における「幼形生殖」の戦略が語られる。成体の特殊化が進み、習慣をかたくなに守ることによって生きられるように「適応」した結果、活動性が低下 し、進化の袋小路に入ってしまった種は、しばしば「幼形生殖」によって、より融通性のある古い形から進化を「やりなおす」。人類の科学や思想の進歩におい ても、同じ「跳ぶために退く」戦略がとられてきた。
第二部の最後で、書名にもなっている「機械の中の幽霊」という文句が引用される。これは地球平 面観の論客ギルバート・ライルが、身体と心の区別を皮肉って、心の存在を嘲るために使った文句だ。著者はこの文句を逆手にとり、なるほど、確かに「機械の 中の幽霊」は存在する、しかしそれは「身体と心」という単純な二分法ではなく、階層的秩序の中で論じられるべきだと述べる。

第三部 無秩序
前二部の予備的考察をふまえて、著者は人類の「危急の問題」を俎上に載せる。それはヒトというホロンのもつ「全体帰属性」と「自己主張性」の誤った接続がもたらす苦境だ。
「全体帰属性(自己超越性)」の情緒はより大きな存在と溶けあうことによる鎮静としてあらわれ、「自己主張性」の情緒は競争のための攻撃、防衛としてあらわれる。
しかし、人間にあっては「全体帰属性」が誤って攻撃性と結びけられ、神、大義、民族、信条、偉大な指導者の名のもとに大量殺戮が行われてきた。それにくらべれば「利己主義(自己主張性)」のもたらす害は問題にならないほどだ。
人 類に特有のこの偏執狂的性格は、人間の脳のなりたちに原因がありそうだ。人間の脳は爬虫類型・古哺乳類型の古い脳(辺縁系)と、新哺乳類型の新しい脳(新 皮質系)の複合したものである。おおまかにいえば、辺縁系は本能(内臓感覚や情緒反応)と密接に結びついていて、新皮質系は理性と密接に結びついている。 しかし両者の間にはきれいに分業が成り立っているわけではない。辺縁系はしばしば理性の仕事に干渉し、さらには理性にとってかわり「舞台をひとりじめにし てしまう」。
本能と理性とのこの協調不全(これを「分裂生理」と呼ぶ)が人類のおちいっている苦境の原因であろう。しかし、本能と理性の間に橋を かけるという理想的な突然変異がそう簡単に起こるとは考えられない。だとすれば、われわれは精神薬理学の発達によって治療法が見出されることに期待すれば よいであろう。
(要約終わり)


本書の表現を借りれば、俺はさしずめ「本書を読む準備ができた」がゆえに、幸運な偶然によって本書と出会ったことになる。

期 待したとおりの良書だった。俺の知りたかった「全体と部分」のことが詳しく書かれている。とくに、軍隊と行政機構を例にとって、トップの簡潔な命令が、階 層を下るたびに具体性を増す指示として分岐していく様子を描写したところ。そして、自我の「タバコに火をつけよ」という簡潔な命令が、神経の階層を下り、 筋肉の末端まで到達し、その間に各階層は独自の機構によって動作を調節し、エラーを補正して次の階層を活性化するので、自我は筋肉の具体的な動きを意識す る必要がないと述べたところ。以前の2つの記事(「全体は部分に優先する」「愛犬の砲術に学ぶ」 )で俺が提案した思考法を支持し、肉づけしてくれるものであった。大きな収穫だ。

進化論批判は痛快であった。論証は説得力があり、実例の選び方は見事、文章の歯切れもよく、本書のクライマックスであろう。

「脳 のなりたち」についての記述は、俺にとって未知の領域であった。今まで抽象概念と思っていた「理性」「本能」に、それぞれ対応する器官がある(「理性≒自 我≒新皮質系」「本能≒イド≒辺縁系」)という発見は驚きであった。この知見の利点は、具体的にイメージできるという点にある。しかし、厳密に対応してい るわけではないから、実体化して考えるのは危険だ。なお、本書は45年前の出版であるから、理性への信頼が優勢であり、新皮質系を贔屓する傾向がある。現 在はマインドフルネスが提唱されている時代であるから、暴走する理性に翻弄されることよりも、身体の声に耳を澄ますことが重視されるだろう。俺も「辺縁系 がんばれ」と応援したくなった。そして、人間的理性の割り切った思考よりも、動物的本能の曖昧さを許容する思考に学ぼうではないかと、愛犬を見ながら思っ た。分裂生理の治療法は、むしろこっちの方向にあるのではないだろうか。

翻訳も申し分がない。
ゆいいつの欠点は、本書の結論があまりにもお粗末なことだろう。理性への信仰ぶりが素朴すぎるし、精神薬理学への期待も楽観的すぎる。
しかしそれは45年前という時代の限界であろう。そのことは本書の価値をすこしも損なわない。重要なのは、立派な結論をみちびくことではなく、「階層的秩序」の問題系を創設したことである。時代を超えて読み継がれるべき名著だと思う。
ちなみに、本書は現在品切れ状態だ。もったいない。ぜひ復刊させよう。

機械の中の幽霊 (ちくま学芸文庫)/アーサー ケストラー
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