会社帰りに美容院行ってきた。
生え際の白髪がもう限界で、これ以上、暗い気持ちでいたくなかった。
色を綺麗に染めて、髪も切ったらちょっと気分が明るくなった。よし、頑張る!
今日は朝から美容院に行くために、カレーを作っておいて、子供達に自分で食べるよう指示を出した。
息子も娘も、ご飯を調達して2人で食事することに慣れているので、私が作っていかなくても、夕飯ぐらい食べることができる。
それは息子が小4の頃からだ。
息子が小4、娘が小1になって保育園を卒園した頃、私の仕事は残業ゼロではなくなった。
残業ゼロのポストは次の保育園ママに譲り仕事が終わらない日もでてきた。
どうしても仕事が終わらなければ、残業するようにもなった。
その頃、息子はとても頼もしくて、母が急な残業の連絡をすると、妹と2人でお弁当を買いに行き、仲良く食べて、それでも母が帰って来ない時はお風呂を洗って妹と順番に入り、それでも母が帰って来ない時は仲良く並んで眠っていたりした。
娘も一年生ながらしっかりしていたが、息子の生活能力の高さには随分助けてもらった。
母が本当に忙しい時は、「まだ寝てる。もう寝てる。」で子供の寝顔しか見れないこともあった。
夫は私以上に忙しい人で、私より先に帰ってくることなどない。11時前に帰ってくることもほとんどなかった。
そのため、息子が赤ん坊の頃から、ワンオペ育児だった。だから、息子の成長は本当にありがたかった。
「勉強はできないけど、本当にしっかりしてるいいこなんだ。うちの子。」と、自慢の息子だった。本当に。
息子が不登校になったことを職場の同僚に伝え、勤務時間などの配慮を求めた時、「自慢のしっかり者のお兄ちゃんが?」という反応だった。
自慢しすぎで、恥ずかしかった。
でも、無理していたのだろう。
あまりに早くからいいこでいたから、不登校になったのかもしれない。
思えば、保育園の朝のお別れで泣いていたのは、0才の頃だけだった。
3才の頃、お友達がお別れのギャン泣きピークの頃、シラーっと見ていたのを思い出す。
中学校2年生になった今では、親が早く帰ってくることを嫌がるようになった…。生活能力あるから生きていける自信があるんだろうな。今はお弁当だけではなく、近くの飲食店など入りたい放題だからメニューも広がったし。
息子の自我の芽生え?
反抗期してもいいから、学校は行け!