八百万 | 読書日記

読書日記

神郡が読んだ本の感想や、諸雑記を書いていくブログ。
知り合いには見せられないなあ。

先週とある神社へ行ってきました。
その神社には銭洗い弁天があって、池の真ん中あたりにお賽銭箱が置いてあります。
お賽銭を投げる時には、まず籠に五円玉を入れて、池の水で清めてから投げる。投げ入れて賽銭箱に入れば良し。ということらしいです。
池の横には看板が二つ建っていて、一つには効能、というと温泉みたいですが御利益が書いてあります。
もう一つの看板には「心とお金を洗い清めお詣りいたしましょう」と書いてあります。

うん、願いを叶えてもらいたいからお参りするはずなんだけど、心清めちゃったら欲得ずくでお賽銭投げられないじゃないですか……。どういうモチベーションで投げればいいのやら。

結局目を瞑ってままよと投げました。外れました。





・山崎ナオコーラ『ボーイミーツガールの極端なもの』イースト・プレス (2015/4/17)
・小川糸『食堂かたつむり』ポプラ社(2008/1/15)
・吉田篤弘『圏外へ』小学館 (2009/9/16)
・谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』新潮社; 改版 (1951/8/25)
・ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』新潮社 (1980/4/25)




・山崎ナオコーラ『ボーイミーツガールの極端なもの』

――管理栄養士を目指す大学生は野球選手との結婚に憧れ、
子育てを終えた中年の女性がファッションデザイナーと巡り合う。
引きこもりニートは松田聖子に恋慕し、
その弟は誰に対しても自分から「さようなら」を切り出せず、
兄弟の父親は妻と再会する。
人と接するのが苦手な少女は思いがけず人気アイドルになって、
アイドルの付き人は嫉妬に苦しみ、
三流俳優は枕を濡らす。
植物屋の店主は今日も時間を忘れてサボテン愛に耽る。

年齢も性別も境遇も異なる男女が出会い、恋をし、時には別れを経験する。
「絶対的な恋なんてない」
不格好でも歪でもいい、人それぞれの恋愛の方法を肯定する連作小説集。

人気多肉植物店・叢Qusamuraの店主・小田康平が植物監修を務める。――




山崎ナオコーラは好きな作家です。何がどこがと言われると答えられませんけれど。

今回はフリーペーパーで連載していた小説集だそうです。実際の多肉植物店とコラボレーションをして、一作品にひとつかふたつ、サボテンがカラー写真と解説入りで載っています。
小説内では「小さな森」というインターネットでもサボテンを販売している多肉植物店から、主人公たち、もしくはその周囲の人物がサボテンを買う、という流れです。

短篇集だけど連作集でもあり、はじめからの三作までは一続き。一緒に住む三人の女性の話。次の三作も一続き、ある家族の話。次の三作も一続き。アイドルと付き人と俳優の話。最後にエピローグで「小さな森」の主人の話。
でも実は裏でそれぞれ繋がっていたりもします。

『野球選手の妻になりたい』がこの中だと好きでした。メキシカーナとヒントニーというサボテンと、岸伽奈と日野トニーというダジャレ的いい話。
でも伽奈とトニーは結局一度も会えずじまいだったんだろうなこの後日談からすると。


全体的に癖ものな恋愛短編です。歳の差、同性、憧憬、プレイボーイ、浮気、死後の世界……。
日常を丁寧に書いていたかと思うと急に時間が飛んで展開も飛んでいくことがあり、結構戸惑いました。そういうものだと思って読むと良いと思います。



・小川糸『食堂かたつむり』

――同棲していた恋人にすべてを持ち去られ、恋と同時にあまりに多くのものを失った衝撃から、倫子はさらに声をも失う。山あいのふるさとに戻った倫子は、小さな食堂を始める。それは、一日一組のお客様だけをもてなす、決まったメニューのない食堂だった。――



聞いたことはあったのですが小川糸は初めて読みました。でもなんとなく手に取ったら、帯の推薦文をスピッツの草野マサムネが書いているじゃないですか! 草野マサムネに推薦されたら読まずにはいられません。

内容は、いいところと好きじゃないところがあり、そこにいくつかの疑問点が入り混じる読後感です。うーん。
前半と後半で違う話になるので、どちらが良いかは読者次第でしょうか。

この小説がたまたまこういう感じだったのか、他の小説もこういう感じなのかわかりませんが、ただ、うーん、この時代の流行りだったんですかねぇ、母親のエピソードはありがちな展開というか。もしくは意図的にそうしたのか。うーん。
エルメスの話は好きでした。

でも料理に邪魔だから髪を切るのはいいとして、坊主は若い女性としてはやり過ぎじゃないですか? 少し怖いものを感じました。恋人がなぜ出ていったかの片鱗も見えないし、ネオコンも謎であっさり引き下がるし、おかんの恋人が引っ越して会えなくなったのはわざとなのかと思ったらそうでもないっぽいし、うーん。


読んでいてうーんばっかり言ってしまいましたが、細かい所を気にしなければ前半はいい話グルメ小説として、後半は感動ものとして読めると思います。

ちなみに作詞家でもあるそうで、だから推薦文をスピッツやポルノグラフィティが書いているんですね。



・吉田篤弘『圏外へ』

――大変だ。「カタリテ」と名乗る小説家は、書き出しで行き詰まる。やがて、物語は自在に動き出す。「カタリテ」の手を遠く離れて―。南新宿路地裏の「亀裂」に注意せよ。小説家の頭のなかを旅する魔術的長編小説。――



514ページの長編です。単行本は辞書サイズです。電車で読むのは大変でした。文庫版も出ているようなので、持ち歩く際はそちらを推奨です。ちなみに文庫版は解説が付いて600ページです。

あらすじを要約するのは難しい本です。
主人公は小説家のカタリテ。書き出しに行き詰まり、一人称と三人称の間を彷徨い、語っていると思いきや語られており、登場人物は物語から抜け出し、すべては「南へ」「圏外へ」集約し……。

言葉遊びと書き言葉の妙と小説であることへの反逆と、いろいろ取り混ぜたヨクワカラナイ小説です。『モナリザの背中』に近い趣向ですが、こちらはより「小説」であることを意識して、「小説」であることを壊そう、というか、限界を探っているというか。終わり方も含めそんな感じです。

主に。
カタリテの日常側、娘の音(オン)と円田(ツブラダ)君と、妻と、狂言回し的擬音「さて」のサテの話。
カタリテの書き始めようとする小説の登場人物、両性具有のキミ、その子どものアキ、帆布屋のハンプの話。
預言者ソボフルの話。
これらが混ざったり混ざらなかったり混ざったりする話です。

綺麗な高橋源一郎。それに近いように思いました。

でもとにかくワードセンスが抜群でした。江任原(エジンバラ)先生のトリッキーさが素敵。
小説というか芸術作品のような、鑑賞して楽しむもので、意味を理解しようとするのはまた別なことのような気がします。
面白かったですよー。というか考えさせられました。



・谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のおんな』

―― 一匹の猫を中心に、猫を溺愛している愚昧な男、猫に嫉妬し、追い出そうとする女、男への未練から猫を引取って男の心をつなぎとめようとする女の、三者三様の痴態を描く。人間の心に宿る“隷属"への希求を反時代的なヴィジョンとして語り続けた著者が、この作品では、その“隷属"が拒否され、人間が猫のために破滅してゆく姿をのびのびと捉え、ほとんど諷刺画に仕立て上げている。――


今、没後50年ということで全集刊行されていますね。だからという訳ではないですが谷崎潤一郎です。
まず読み終えて思ったのは、え、終わり? ということです。夢野久作の『犬神博士』以来。

庄造という男と、元妻の品子、今の妻の福子、そして猫のリリー。
庄造はリリーを溺愛し、品子は庄造への愛もあるがそれよりも姑と福子の策略によって追い出されたのが悔しくて、リリーを引き取ることで復縁をもくろむ。福子はリリーにばかり愛情を注ぐ庄造が面白くない。
猫は気まぐれ。引き取られた先の品子の(妹夫婦の)家で、まるでなつこうともせずご飯も食べず、脱走までするのに急に帰って来てすっごく甘え出す。品子めろめろ。
庄造はリリーが心配で堪らないが、出かけるのにも福子の監視の目があるし、リリーには会いたいけれど品子には会いたくないし。
それで最後には品子の家の隣の空き地に、リリーの好物を持って何時間も潜伏して、挙句には品子の留守を狙って部屋に入り込み、品子の帰宅に間男のように慌てて逃げ出す。

おわり

甲斐性なしの庄造に、しっかり者の品子が未練があるのが哀しいですね。プライド高いからなんでしょうけれど、そんな男フッきっちゃえばいいのに。しかも庄造もどうしてか品子を毛嫌いしているし。福子は資産家の娘でわがままで家事をしない。姑の態度、品子と福子じゃ全然違います。なんだか憎いような可哀相なような。
もっと福子と姑の反応を見たかったんですかね、消化不良なこの感じは。

解説によれば追い出したはずの元嫁の家から、はじめとは逆に自分が逃げ出すという構図の逆転が面白いということですが、そんなことよりもっと続きが読みたかったです。
あ、これはあんまり変態的な話ではなく、ショートショート的なオチのある話なので、読みやすいと言えば読みやすいです。でもいわゆる谷崎っぽさを求めている人には物足りないかもしれないです。



・ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』

――ロ、リー、タ。わが生命のともしび、わが肉のほむら――「いかなる教訓もひきずってはいない」とナボコフが主張するこの作品は、アメリカの四つの出版社の顰蹙を買い、ようやくパリで陽の目を見た。早熟な"ニンフェット"の魅力にとり憑かれた中年男の、倒錯した心理という主題を得てから、十数年後のことである。発表後、一大センセーションをまき起し、各国語に翻訳された問題作。――



物足りない分、真正の変態小説です。新版も持っていますが、最初に読んだからかやっぱりこっちの大久保康雄訳版が好きです。

「ロリータ、わが生命のともしび、わが肉のほむら。わが罪、わが魂。ロ、リー、タ。舌の先が口蓋を三歩すすんで、三歩目に軽く歯にあたる。ロ。リー。タ。」

素敵過ぎるでしょう。本当ここ好き。我が腰の炎とはまた違うんですよ。わが肉のほむら。いやぁ。
でも新版が出版されて、旧版は絶版になってしまったので図書館から。
――しかしね。
落丁かわざとかわからないんですけど、なぜか一番好きな第一部1章が抜けていたんですよ。意味わかりません。そこが読みたかったのに。なんで13、14ページだけないの???
まあ憶えているからいいんですけど、また読み直したかったのになあ。


で、改めて読んでみるとナボコフ凄いです。細部の書き込み半端なことではないし、それがいちいち表現が素敵なんですよ。比喩表現の豊富さ、詩的かつコミカルな描写。それが本筋を逸脱しない程度に程良く織り込まれている。ドストエフスキーや『さかしま』に見習ってほしいですね。あれはあれで好きなんですけど。手記という体裁ながら時折現れる第三者的自虐視点も面白いし、これ書いてみなさいと言われても絶対無理です。

個人的に好きな翻訳小説は荒俣宏訳ジョージ・マクドナルド『リリス』、江川卓訳ボリス・パステルナーク『ドクトル・ジバゴ』、それにこの大久保康雄版『ロリータ』で1、2、3です。千野栄一の『存在の耐えられない軽さ』もいいですよね。うん。





神社って大抵一つの祭神だけじゃなくて複数祀っていますよね。
ついでだからそっちも回りますよね。
これ御利益どうなるんでしょう、いっぱいつくのか、上書きされるのか。
とゲームやり過ぎ頭は思うのでした。『エアガイツ』のクエストモードでなんか祭壇みたいな場所があって、そこに道具を置いて神様を複数の選択肢から一人選んで祈るんですよ。ゼウスとかヘラとか。でもどの神様がいるかわからないので、「そこにいたのはアテネだった」とかいわれて祈りが届かない場合があるんですよね。
なんか、それをすごく思い出しました。意味は無いんですけど。


それではまた。
さようなら。


『クレアァァァーッ!』