フィリピンに「住んでみたい人」へのリアルタイム情報。

フィリピンに「住んでみたい人」へのリアルタイム情報。

33歳リストラ、バイト生活2年を経て立派な社会人と言う願望像が消えた。生活の為だけに肉体を労使する事に疑問を感じ、何か楽しくやれそうなフィリピン行きを決心。

初めてフィリピンを訪れたのは「青年の船」三重県主催(1975年)でした。

地域の青年団で事務局長の肩書きが何故か有り、恐らくこれでメンバーに推薦されたのかも知れません。

この時の「フィリピン」イメージと言うか知識は「スペインの植民地」だった程度。

着陸(何故か行きは飛行機)しタラップが接合され、降りるその時に出会った光景を今でも思い出します。

下から此方に手を振ってるフィリピーナ、ピチッとした制服がバックの青い空に溶け込んで思わず「映画のシーン」か!

翌日からスタートした現地の大学(PWUとUP)でのパネルディスカッションやら交流プログラムも終了。

それにしても底抜けに明るい彼等の振る舞い、何となく感じるスペインの雰囲気に魅了されて行きました。

帰国後にダイビングを習い、初海外ダイブはフィリピン。

それからも最低年1回はダイビングでフィリピンを訪れていました

人生はそれなりに上手く進んでいると思っていましたが、33歳で想定外のリストラ。

そこから底辺生活が始まり、アルバイト生活も2年目(35歳)に入ろうかと言う時に、このままでは終えたくない。

その追い詰められた気持ちだけで、計画も無くフィリピン行きを決意。

そしてフィリピンライフの始まり、しかし何と言うか「違和感」が妙に無く「現地ライフ」に自然に溶け込んで行きました。

当面の稼ぎは観光ガイドのバイト、サラリー無しの歩合のみ。

仕事内容は現地日系駐在者対象の「ダイビング取得ツアー」のガイド役、そして現場では通訳件補助役(イントラは英国人)。

ただ日銭を稼ぐ積りだったのが、アレアレと言う間に自身がインストラクターなって独立。

スタート時は細々と講習を開催したりツアーを組んだりしていましたが、ジプシーで「お邪魔虫」での結果は今ひとつ。

当時の比インストラクター仲間から紹介されたリース地を即断して「海の家」スタート。

資金ゼロながら、テントを張り家の無い「海の家」をスタート。

今後の展望は、ゲストハウス。

 

高柿