Days of Summer Clancy -8ページ目

2日目は、何を話したか、あんまり覚えていない。だけどあんまり話して、話すことがなくなるのがちょっと不安で、途中席をはずして、カフェに行ってみたりした。実は彼の作ってくれるサンドイッチに、ちょっとあきちゃったのもあって、何か食べるものを、探しに出てみた。カフェで適当なパンと、水を買って、適当な席について、パンを食べた。



ちょうどパンを食べ終えたころ、ショートカットのグレイヘアに、ふくよかでにこにこした感じの婦人が、登場した。彼女は私の座っているテーブルに腰をおろして、私にいろいろ、質問をはじめた。どこから来たの。なにをしている人なの、って。私は聞かれるままに、いつも人に聞かれたときに答えるように彼女の質問に答えて、50代後半、または60代にも見えるこの婦人が、とってもアクティブに、大きな都市へ出て、ナニーの仕事をしながら、都会生活を楽しんでいる話しを聞いた。彼女はナースのプログラムを途中でやめて、ヘルス・プロモーションを勉強したあと、カウンセラーの仕事なんかをして、今はまた、パートタイムで、心理学を、勉強しているのだそう。



すごいな。



そして、とっても楽しそう。婦人は話しながら、口につまった食べ物をぽろぽろとこぼすから、私はちょっと、おいおいと思ったけれど、困ったことがあったら、いつでも電話してきてと、電話番号をあげるから、あとで私の座席にいらっしゃいと、言われるまで、彼女と話し続けた。




席に戻ると、Gが私をちょっと、不思議そうな顔で、でもいつもの笑顔で、迎えてくれた。そして彼も、パソコンや携帯の充電がしたいんだけど、カフェに、パワーポイントはあったか、と聞かれたので、私は、あったっけなぁと、考えてから、隣の車両だし、と見に行ってあげた。カフェに、パワーポイントは、2つあった。それを伝えると、彼は嬉しそうにカフェに行ってくるね、と、消えて行った。私はその間、窓際の彼の席に腰をおろさせてもらうことにして、少し外をみて、それから眠った。



目を覚ますと、いつの間にか帰ってきた彼が、隣でブログの更新のための、記事を書いていた。スペイン語で書かれたブログを訳してもらったり、彼の作った、ビデオを見せてもらったりした。こうやってビデオを作って、スポンサーについてもらって、その機材を使ったりしながら、1年に1度、旅がしたい、って、彼は言っていた。叶うといいね。と、私は言って、心から、彼のために、そうなるといいな、と、思ったと、思う。今も、そう思う。






列車が到着するのは、10日の朝。彼は12日の午前2時の飛行機で、インドネシアに旅立って、そこからマレーシア、タイ、中国、モンゴル、そしてロシアへ自転車で渡って、自分の国、スペインへ帰っていく、予定なんだそうで、困ったのは、その10日の日の間に、飛行機にあずける自転車を入れるための、段ボールをどこかのサイクリング・ショップでゲットしなければいけないこと。そして、その段ボールを、空港で預かってもらったら、私の滞在する予定のホテルの部屋のかたすみに、泊めてもらえないかな、って、いうことだった。



いいよ、、、、? (いいのかな)。少し考えて、この3日間、私たちの関係が良好だったらねって、私は、言った。意地悪じゃなくて、本当に、そのままの意味で、正直に、そう言った。3日間て、長いもの。でもそしたら彼はあははと笑って、そのあと確かどこかでもう一度、話しの流れで、泊めてもらえると助かる、というようなことは言ったけれど、フレンドリーな態度や会話とはうらはらに、彼は私の、連絡先を欲しがるようなことは、一度もなかった。メールアドレスも、電話番号も。私はそれを、寂しく思った。彼にとって、私は、一期一会。



彼の名前は、Gから始まる、日本語で聞くと、ちょっとふふ、っと思うような響きの名前で、私の名前は Summer Clancy だと、自己紹介をしたのは、列車に乗ってから、だいぶん後になってから。もちろん、Summer Clancy じゃなくて、私の本当の本名を、伝えて、自己紹介を、したけれど。


私はそうやって、話しをいっぱいして、仲良くなってから、自己紹介をするのが好き。これは映画で観た、one シーンの、影響。たいしたことじゃないけれど、自己紹介は、そうやって、することにしている。


そして名前を交換した後も、自分の人生のこれまでをシェアしたりしながら、電車の旅が続いた。彼は電車の中に食べ物をたくさん持ち込んでいて、食べ物をひと箱のキャラメル以外、持って入らなかった私に、朝、昼、夜と、サンドイッチを作ってくれたり、ヨーグルトをくれたり、豆の缶詰をわけてくれたり、ワッフル風のビスケットをくれたりして、私は3日間、電車の中で、たった一度自分でパンと水を買っただけで、あとは彼のおかげで、生き伸びることができた。これ、今も、すごくすごく、ありがとう。




彼とはいろんなことを話した。彼の家族のこと、友達のこと、私の人生のこと、家族のこと、友達のこと。でも過去の恋愛の話しは、そういえばほとんど、しなかった。そういう言い方をしなければよかったなぁと思うのは、夜、列車の電気が消えたときに、あ、電気が消えたね、と、私か彼が、どちらかが言って、私がじゃあもう黙って、私たちも寝た方がいいね、って、なんだか突然、とても唐突に、会話を終わらせてしまったこと。


後悔。


でも彼は、私が座席を倒そうとして、後ろに座っているおじいちゃんに、大丈夫ですか?せまくないですか?と声をかけて、そしたらおじいちゃんが、全然大丈夫、もっと倒していいよ、スペースはいっぱいあるよ、と言ってくれたことに対して、あなたを押しつぶしたくないんです、それに私がそんなに座席を倒して、あなたのそばでいびきをかいたらと思うと、、なんて、口が動くままにしゃべっていたら、おじいちゃんの隣のハンサムがははは、と笑って、Gも横で、にこにこしていたから、少し安心して、じゃあ、おやすみと言って、目を閉じることができた。


この夜はそれでも、まったく、眠れなかったんだけれど。ときどきふれる、横で眠る彼の体に、心地良さを感じながら、体が触れて心地いい人と、そうじゃない人がいるなぁと、思ったり、した。



列車で2泊3日の旅。オーストラリアの西の最果ての街に、に到着した。オーストラリアのどこかの街の、洪水の影響で、3時間ほど遅れて出発した列車は、この西の街には、時間通りに到着した。


駅には、私の4年間の留学生活のうち、2年間、お世話になった家のオーナーさんと子供が、車で見送ってくれた。オーナーさんと、子供が、列車の中まで荷物を運んでくれたので、列車の中で写真を撮った。私の座る席は通路側で、窓と窓の間だった。私の席の隣のシートには、少し、なんだか、良く言えば人懐こそうな、または、少しおどけたような印象の、金髪の、どこかの国の少年が、腰をおろしていた。それを見ていたオーナーさんは、少し、心配な様子で、それに席が、窓と窓の間だったこともあったから、お別れのときに一緒にプラットフォームに出てきた私に、席が変えられないか、聞いてみよう、と言って、列車の入り口付近に立っていた列車のスタッフに、聞いてくれた。駅員さんは、様子をみて、変わっても大丈夫と、言ってくれたけれど、私は、あの、ふざけた感じの人の横でかまわない、と、こっそり、思っていた。


この列車の遅れのせいで、出発までにはまだ時間があったけれど、このとき、プラットフォームで、2人とお別れすることにした。別れるときは、涙が出た。オーナーさんが何度も頬にキスをしてくれて、初めて会ったころよりもぐーんと背の高くなった子供とも、何度も抱き合った。Good bye 彼は私の、弟だから。と、私はそんなことを、言った気がする。


このオーナーさんに、私は本当にお世話になった。最後の最後まで、本当には、心は通じなかったけれど、きっと、多分、本当には、つながれなかったけれど、でも、本当に、お世話になった。とても親切にしてもらった。たくさんたくさん、助けてもらった。つながれたら、よかった。何度もそう思ったけれど、つながりきれないままの、私と2人は、それでも、寂しさと、ありがとうで、お別れを言った。心のほんとうに深いそこのそこから、私、ありがとうって、思う。


ありがとう。




列車に戻ると、さっき見た、少しおどけたような感じの、言ってみれば、日本の若いサーファーのような見ための少年が座って、こっちを見ていた。私は一言二言、何か彼に言った気がする。それから、しばらくの間、私たちは話し続けて、私は彼が、スペインからやってきた旅人で、本当にサーファーで、サーフィンの先生で、年齢は不詳だけれど、多分20代の半ばか後半で、彼はスペインから自転車を持ってオーストラリアに渡り、シドニー、ブリスベン、ウルル、と、あちこちをキャンプしながらまわって、そんな様子をブログにあげている人だと、知った。彼のブログは、いつか東京で会った、ハウエルのブログに似ていた。彼の写真は素敵な写真だったし、ブログに載せている自分で自分を撮影したブログは、とってもcoolだった。彼は聞き上手で、私の話しも、いいタイミングでよく笑って、楽しい電車の旅になりそうな気がして、わくわくした。



誰かに何かを伝えたいわけではなくて、ただ自分の本当の気持ちを言葉にして、整理できる場所が欲しくて、ブログに登録して、日記をつけることにした。


手書の日記だと、続かないし、人に教えたブログだと、書けることと、書けないことが、出てきてしまうから、このブログは、私の心と一緒。私の脳なのか、心なのかが経験したこと、していること、私の人生に起きたこと、起きていること、考えたこと、考えていること、感じているままの気持ち、心。


人生のある日に、私、私は、自分にたくさん嘘をついたり、見ないふりをしたりして、なんとか傷つかないように、起きていることを直視しないようにしたり、本当に感じている気持ちをどこかへおしやったりする自分に、気がついて、だけどそれがもっともっと、私を苦しめているんだって、気がついたから、なるべく正直に、心の中で、本当をみつめる習慣をつくっていたんだけれど、やっぱり書いた方が、それがうまくいくから、書く。


書こう。


今日から、ここは、私の心。