17時頃、私は徒歩5分のK島病院に再び向かった。
ビスコが待っているからである。
先生のアフレコみたいに、のんきに
「はいはい、待ってたよ」ではないに違いないが
身をかためて、怖くてたまらないまま待っているだろう。
何にも連絡がなかったのは、無事だった証拠なので安心だ。
病院に着くと、ロビーは混み合っていて、
大型犬とかバスケットに入った猫をつれた奥さんたちがいっぱいいた。
途中、アヒルみたいなものも連れられて来た。
緊急ぽくドタバタ運ばれて来たが
K島先生が待ち合いまで出て来て、軽く様子を見た後
順番最優先になって診察室に入っていった。
若い勤務医のH井先生がいたとしても、
この案件はK島先生担当だったろうが
やっぱりその日は、K島先生ひとりのようだった。
ボーーーッと待っているうち、
あっという間に待ち合いには私ひとりになった。
こういう場合、
野良含めて手術代を安くしてもらい、薬を無料でもらっている私は
病院に協力するのが当たり前なので、
緊急以外あとまわし。
誰もいなくなると、K島先生は受け付けから顔を出して
「こっちから奥へ入ってきて」
と、言った。
こっちとは診察室のひとつで、
なっちゃんがあのイタズラ三昧をした部屋である。
K島病院が普通の病院サイズになってからは
たいした用事では来ていなかった為、診察室から奥へ入るのは初めてだった。
診察室に入り、奥へと続く扉を開けると
そこはかなり広い部屋になっていた。
先生は、その真ん中あたりにある処置台で待っていろと言うと
そこにビスコを抱いて連れてきた。
数時間前に手術したばかりなのに
ビスコはサラシのエプロンをつけておらず普通の姿だった。
その顔は別れた時と同じ必死の形相で
広い処置室を緊迫して見渡していた。
「びちゅ」
小さい声を出してみると、
目は悪いが耳は良い、猫という生き物の特徴そのままに、
すぐに私に気付き
「えー!」
と、文句を言った。
先生は、
「お、元気でたな」
と、言って処置台にビスコをおろした。
ビスコはへばりつくように台に伏せて、
緊張しまくっている様子。
体を撫でて
「がんばったねー」
と、声をかけたが、体はカッチカチで「それどころじゃない」と言っているようだった。
「体重は2.1」
わあ、そこまで成長したんだーと感激した。
先生はビスコの脇の下をつかみ立ち上がらせると
ビスコの腹をこちらに向け
「絶対に開かないように、きっちり“まつり縫い”してあるから
暴れても何しても大丈夫」
と、笑って言った。
ビスコは、無言で耐えていた。
どこにもつかまらず二本足でピンと立つことが得意なのに
怖さのあまり、猫らしい猫背で耐えていた。
先生はビスコを伏せさせると、背中を撫で
「この猫、人間のもの食べてる?」
と、聞いた。
うちん家が、ヒルズの処方食しか食べさせていないことは
先生がよく知っているはずなのに。
「???
いや、ここで買ってるヒルズだけですよ」
「ふーん。
じゃあ、全然動かない?」
「???
いや、かっとんでいて、おてんばですよ」
「おてんばか」
どうしたんだろう?と、ちょっと不安になった。
「いやさ~、おなか開けたら脂だらけだったの。この子」
「脂?」
「こんな痩せっぽっちなのに、
体中、脂ぎっちり」
「え、、、、」
「ここまでの子は見たことない。
それぐらいひどい。」
「え、、、、」
「ついでに取っちゃおうかとも思ったんだけどさ
それでバランスが崩れることも考えられるから、
バランス崩して死んじゃう可能性もあるし、
それだったら、このまま気をつければ
まだ生きられるから、と思ってさ
そのまんま、閉じといた。」
「え、、、、、」
「だから、絶対に太らせちゃだめ。
できるだけ動かせるようにして。」
「食べるのは、今までと同じでいいんですか?」
「うん。問題ない。」
何故かその時、
今後も先生にちょくちょく相談にくればいい、
とは思わなかった。
無意識に、凄く先々のことまで質問していた。
「この先、半年後くらいに」
とか、何故聞いたのか自分でも分からなかった。
毎月来てるんだし、近所なんだし
営業時間が終わってから通りがかって
外で煙草吸ったり缶ビール飲んでる先生に
あれこれ話すこともあるのに
全くの無意識で、私はビスコが大人の2才になるまで
どうすればいいか、あれこれ質問していた。
※その後、K島先生は入院したようで(知らなかった)
数ヶ月後に亡くなった。
うちん家の猫や野良たちからとして弔電を打った。
先生は獣医師のいない新潟の村に毎月行っていたり
休みの日はいつもあちこちの勉強に参加したり
いろんな獣医さんが
「K島先生は素晴らしい」と尊敬しているひとだった。
「気をつければ、まだ何年か生きられる」
その言葉が頭にグルグルしていたが、
なんだかよく分からず、ただ言葉の意味だけ理解して
「何年ぐらいですか?」
と、聞いていた。
「う~~ん、7年は大丈夫。
太らせなければ。
あとは、管理次第。」
理由については、遺伝の可能性、
仮死状態になっていたので、
雪山で眠ったみたいに体質が変わって
体温を保持するようになった可能性、
そこらへんを話し合った。
ビスコの母親のハッチは、前に書いたように
K島先生の経験と機転で命を救われた野良なので
「ハッチの子ですよ」
と、もう一度、いきさつを話すと
「あー、ハチ公の娘か!」
と、目を細めた先生は
「それじゃあ、生きなきゃな!
長生きしなきゃだ」
と、ビスコの背中を撫でた。
「性格がいい」と言われたビスコは
本当に、猫っかぶりである。
いくら“まつり縫い”でも、日帰りの為
ビスコはバスケットに入って帰宅した。
途中の道でも、特に騒ぐことはなくジッとしていた。
家に着くと、予想通り
病院の匂いに他の大人猫がパニックになったが
本人は落ち着いて辺りを見渡して
家であることを確かめていた。
こちらも予想通り、大袈裟に弱った感じで
ほぼ歩かなかった。
家であることが分かれば、気持ちはもう大丈夫。
もうすっかり狭く感じられるうさぎケージに入れられたビスコは、
ちょっと警戒しながら、水を飲んだ。
緊張して喉が渇いたもんね。
ひといきついたところで、ペットシーツやタオルを敷き
そのうえに、私が百歩譲ったミニーのケットを敷いた。
「ミニーちゃんが
まあ!ビーちゃんはよくがんばったねー!だって」
と、嘘を言うと、ビーはグルッグルッと私の手にオデコをつけて甘えた。
それから、ミニーのケットに横向きになり
日帰りであった為、我が家で入院のつもりで
私は、うさぎケージの上から布団カバーをかけ
ビスが爆睡出来るようにしておいた。
時々、端から覗いた時も、
ビスはずーーーっと横向きに眠り続けていた。
まる一日は水しか飲まず、寝ていたビスコだが
翌日からは部屋に出て生活をし、ご飯も食べた。
消化しやすいように、ふやかしたドラフを与えた。
まだ、重病人風のビスコの為に
ミニーのケットはうさぎケージの上に敷いておいたが
「これは、ビーちゃんのですからね!」
と、約一週間は
とにかく四六時中、ミニーケットの上に寝ていた。
みんなそれぞれに障害やトラウマがあって
なにかしらの問題を抱えた猫ばかりの我が家だが
ビスコも、爆弾を抱えた爆弾猫の仲間入りだ。
正しく爆弾娘!
ビスコが幸せに楽しく、
少しでも長生き出来るよう
どう対策をとるか、
それを考えるのが私の責任だ。
その後、ビスコはかっとび娘に戻ったが、
ミニーのケットはお気に入りになった為
私は不本意にも、しばらくディズニーグッズを部屋におくはめになったのである。
「ビーちゃん、いたいいたいなんだからね」
※ビスが終わったら、次はなっちゃんの手術です。



