まだもう少し続く、1999年大陸初上陸記録です。
1つ前の記事には、意見·経験·皆さんそれぞれの思いをたくさんコメントして下さって
ひとりひとり違った考えをきけたことが本当に嬉しく、私もまたさらに考え直しました。
今後の糧になります。最後まで読んでくれて、本当に感謝です

1つ前の中国初上陸記録はこちら↓
日本だって中国と同じように個性豊かなはずなのに、
いつから枠から出ないことが良いことになったのかなぁと、最近はよく思います。
















※この記事はグロテスク表現あります。ご注意。
この中国旅は28日間もありましてね、滞在中、北京から上海まで遊びに行くことにしました。
高鉄はまだありません。たぶん、緑の快速
だった気がします。

中国網から
↑こんな感じの緑列車。自分のではなくPCからの画像です。
夜8時頃に出発・朝6時頃到着、10時間くらいの列車旅です。
当時はげえええええ


と思いましたが、中国大陸移動だと、そのくらいかかりますよねえ。




ネットでみたら、今の京滬高速列車
は、

同じルートを最短約4時間40分で行ってしまうそうですよ



切符はですね、どうやって買ったか、覚えてないんですー

前日に切符買いに行って、そのあと明日の車内朝ご飯用に、パンを買いに行ったのは覚えているのに~(笑)
2016年くらい??春節の朝ごはん煎餅屋台、たぶん4元+1元割増
パンやクッキーなんかの粉ものは、20年ほど前でもわりとおいしかったです。
当時から相変わらずの肉松パンがありましたね(笑)
あ、ちょっと思い出しました。中国語の長い会話に自信がなく、
窓口で、事前に書いておいた行き先や車次の紙切れを見せた気がします。硬臥でした。
いよいよ、出発。出発駅は覚えてません~
たぶん北京駅??

↑イメージ画像の北京駅、おそらく現在にちかいもの
今こんなんなってるんですね
ちょいとヨーローッパ風ではないですか
オっシャレ~



このイメージ画像より、もっと黄土色っぽくて汚れてて期待裏切らず真っ暗で、土の感じがする駅だったと思います。
飛行機の時同様、やや恐いところに連れて行かれるような感じ(苦笑)
切符拝見とか、細かいとこは殆ど覚えてなくて、でもすっげーーーー覚えてることが1つあります。
それはあるポスターなんですけどね、度肝抜かれるその1です....
当時は爆発物を勝手に持ち込む人が本当に多かったのでしょうか。
ただ単に、今より物騒だったのでしょうか。
今の「地下鉄の飲食ダメよ」みたいな、形式的な注意書きだったんでしょうか。
そのポスターには、天安門広場の文字列から
曲がりとか優しさとか遊び心を一切なくしたカクカクフォント
↑こんなの。
による、真っ黒な『爆発物禁止』の文字とともに、
焼けた腕がどーん















「爆弾持って入ると、こうなるよ。」
と中国大陸全体から、釘刺された気がしました。
腕のみです。選挙ポスターぐらいのサイズです。
写真大きかったです。字は小さかった。実際はもっと衝撃的な写真です。
んな起こるわけないじゃーん、ジョーダンな~、なんて全く思えませんでした。
形式的な注意にしちゃあ、マジすぎるでしょ.....

こんなん、一切予想してませんので、もうこのポスターから視線がはずせず、
全身真っ青、心臓がバックバク、血の気が引いて、カッチーーーーーンって固まりました。
だって、長距離寝台列車の旅ですよ。ウキウキわくわくの大冒険のハズです。
日本しか知りませんから、新幹線でどっか行くんと同じかと思いますやん。
駅弁とかおやつとかおばあちゃんちとか、そんなイメージしかありませんわ~~~~







写真はもう1つあり、爆発後、車内の様々なものが吹き飛び、散乱し、破壊されている中で、
何かに突っ伏している人の姿がありました。
.....もう、心は、爆発事故が高い確率で起こる寄りになってます(苦笑)
乗ってしまって、もし爆発に遭遇しても、どうしようもないじゃんか.....

もんのすんごい乗りたくなくなったのですが、周囲を見て現実に戻ると。
みんなそれぞれの荷物をもち、それぞれの思いをもって、出発する列車のホームへ急いでます。
ブルーシートの生地みたいな、中国あるあるの巨大袋を抱える人、小バッグで行く人、おじさん、おじいさん.....
あんまハッキリ覚えてませんが、そんな感じだったと思います。
それは今の中国と、全く同じ光景で、恐怖の雰囲気は全くない。
それでやっぱり私も乗りました。
ちょっとだけ、そんなワケないじゃ~ん、って思えるようになってました

続きます。