■賭博と投機に明確な違いはあるのか?
今回は、ちょっと今までと方向性を変えての軽い読み物です。
今年の1月末ごろ、自分の会社で人材募集を行いました。今回は実験的に、1次試験は自分のブログで公開し、応募者はその回答をメールで提出するということにしました。それを通過した人が次の選考過程に進める、というものです。
1次試験は3題あり、そのうち2題はソフトウェア技術に関するものですが、残り1つは相場についての考え方を問うものでした。これに対する応募者の回答が予想以上に面白かったので今回はそれをとりあげてみます。読者のみなさんも、相場の本質について考えさせられるのではないでしょうか?
出題は以下でした。
経済成長に投資活動は必須である一方、投資と投機の境界はもともと曖昧である。また、投機性の高い取引は賭博とほとんど変わらない。
一方、世界の多くの国において賭博は違法行為である。この状況について、次のうち自分の考えに近いものを選び、思うところを述べよ。
(a) 賭博と投機には明確な違いがあり、賭博を法で規制するのは理にかなっている
(b) むしろ投機と投資の違いを明確にすべきであり、賭博と投機をともに違法とするべきである
(c) むしろ賭博を合法化すべきである
もちろん、この問題に唯一の正解があるわけではありません。出題の意図は、相場についてある程度知識があり、自分の考えを持っていて、それをちゃんとした文章にする能力があるかどうかをみるというものです。一応、募集の職種はプログラマーですが、仕事の性質上相場に関するソフトウェアを作っているので、相場についての見識も問うようにしようと思ったわけです。
投資というのは、成功するかどうかが定かでない何かの事業に資金を投じることをいいます。失敗すれば資金を失う危険を負う見返りとして、成功した場合には相応のリターンが得られるわけです。そのリスク・リターンの分布は投資の性格によってまちまちですが、当然ハイリスクのものほど成功時のリターンも大きいです。
しかし、この「事業の成功」というのがじつに曲者です。実際に商売をした経験があればイヤでもわかることですし、過去の偉大な商売人の伝記を読めば必ず出てくることですが、成功するかどうかはかなりの割合が「偶然」で決まります。偶発的なひらめきや人との出会いがその後の成功を左右することはきわめてよくあることであり、努力だけではどうにもならない側面があります。
従って、完全に偶然だけで結果の決まる行為(丁半ばくちなど)に対し、普通の事業と何が違うのか決定的な差を定義づけるのは難しいのです。とくに、違法・合法の線引きをこの中でするには、明快で合理的な線引きをしないと不正や利権の温床になり、フェアでなくなってしまいます。
さて、以下では実際に応募者から寄せられた回答から一部を抜粋しながらコメントしていきます
回答 (a)
投機は投資と同じ市場で株や為替、先物等を取引し、どちらも市場に影響を与えている。
賭博の場合、例えばtotoは八百長がない限り、誰がどこにどれだけ賭けようとサッカーの勝敗には関係ない。
また、ポーカーやブラックジャックのようなゲームは、プレイヤーの賭け方でゲームの勝敗が決まるが、影響を与えるのはカジノの収益であり、それ以外に経済発展には関係しない。
このように賭博と投機には明確な違いがあると私は考える。
この人の指摘はなかなか良いところを突いています。FXや先物等で、偶然に期待する投機的取引をすることは可能ですが、そういう場合であっても現物市場を通して実体経済に何らかの影響を与えています。一方、totoやカジノは確かに取引する対象が実体経済には一切寄与していません。為替が動けば貿易に影響しますが、スロットマシンが回ってもカジノの客の勝敗を決定する以外の役割をしないということです。
しかしよく考えると、この人が書いているとおり「カジノの収益には」影響を与えており、それがカジノの従業員の雇用やカジノに置くスロットマシン等のメーカーと関係しているので、実体経済とまったく関係がないとはいえません。
totoだって、収益の一部はスポーツの振興に使われており(有意義な使い方かどうかは怪しいところもありますが)、やはり実体経済と関係しています。実体経済との関係があるかないかは決定的な差とは言い難いところです。
では次の回答を見てみましょう。
回答 (a)
投機性の高い取引は、実際マネーゲームとなっており賭博に近いものがあることも事実ですが、投機は経済の発展に貢献している一面もあるので、投機に対して規制する必要はないものと考えます。
また、単純な賭博はお金を動かすだけで何も産み出さないので、規制することは理にかなっていると考えます。
この回答もさきほどのものに似ています。
ところで、「単純な賭博はお金を動かすだけで何も産み出さない」というのは本当でしょうか? 賭博のみならず、株やFXのデイトレードもお金を動かすだけで何も生み出していないように見えます。そういった賭博や取引がなかったからといって、社会全体での生産活動の上下とは関係なさそうです。
僕はこれに対しては明確に反対します。たしかに物質的な生産はまったくしていませんが、娯楽としては機能しているからです。デイトレードであっても、それによってワクワクドキドキがあったのであれば、それに娯楽としての価値は確かに存在します。物質的な生産でなければ価値がない、という主張をするのなら、映画監督や漫画家やスポーツ選手の活動も同様に否定されなければならず、それはさすがに無理があるでしょう。
やはり、投資/投機/博打の中に明確な境界線を引くのは難しそうです。少なくとも、違法・合法の境目を説得力のある形で引くのは無理でしょう。現実にも、賭博は一定の規制の下では認められているわけですし、現実に即して判断していったほうがよさそうです。
次の回答にいきます。
回答 (c)
もちろん、最低限の規制は必要です。
しかし、投機自体が投資と明確に区別ができるわけでもなく、また投資と同様な効果を生むことからも、市場のルールに従っている限りにおいては規制されるべきではないと考えます。
投機と投資に明確な区別ができるわけではない以上、規制により投資に流れる資金まで減ってしまい、市場が小さくなるなどのデメリットが大きすぎます。
賭博に関しても、現在でも宝くじや競馬などの公営ギャンブル、パチンコなどのカジノはすでに存在しています。結局、賭博行為自体に一定のルールさえあれば合法化しても大きな問題にはならないのではないでしょうか。
これは僕の意見にかなり近いです。しかし、その「一定のルール」というものの中身がたいへん難しいのです。
ルールが曖昧に運用されているカジノには誰も行こうとしないのと同様に、ルールの曖昧な市場に資金を入れる投資家はいません。健全な投資市場の必須条件は、ルールが明快に定められており、それが誰に対しても公平に適用されることです。
しかし少なくとも日本では、現実はそれと遠いです。株式市場の例ですが、以前ライブドアと日興コーディアルグループはともに粉飾決算で摘発されましたが、その中身は日興のほうが手口は悪質であり、金額も大きいものでした。しかし処分は逆で、ライブドアは経営者が逮捕され株式は上場廃止、日興は誰も逮捕されず上場も維持でした。これではルールが明確とはいえません。
この人の主張するとおり、一定のルールのもとでフェアに運用されるのであれば賭博を解禁しても大きな問題は起こらないと思います。ですが、そのルールの中身をもう少し突っ込まないと回答としては不十分と僕は判断しました。
次の例にいきます。
回答 (c)
まず、賭博・投機の定義を明確にする。
賭博を、プレイヤーが結果に介在できない偶然性のみで勝敗が決定する純粋な確率的ゲームの「賭事」と、プレイヤーの技術・知識・情報が勝敗を大きく左右する確率的ゲームである「博技」に分類する。前者の賭事は、宝くじ、公営ギャンブル、サイコロ(丁半)などを指し、後者の博技は、麻雀、ポーカー、ブラックジャック、賭け将棋などをその範疇とする。
投機市場には、知識や技術によってトレードする合理的トレーダーと偶然性に賭ける非合理的トレーダーが混在すると仮定すると、偶然で大金を掴むことがあるかもしれないが歴史的に見ても合理的トレーダーが勝利していることから、投機もまたプレイヤーの能力によって勝敗を左右できる確率的ゲームであると定義できる。
私は参加者の能力によって結果を左右できる博技に限っては、不公平なゲームではないため合法化しても良いと考えている。金融にしろ博技にしろどちらの世界でプロになる人間がいたとしても、金を稼ぎ税金を納めているという点では本質的にどちらにも優劣はないはずである。
この人は、何を規制すべきかについて踏み込みました。実際の回答はこの何倍も長いものでしたが、結果が偶然「だけ」で決まるものは規制しても構わないが、そうでないものは本質において投機や投資と差がないので規制は無理、というものです。
ただ、細かいところをいえば、ブラックジャックはごく簡単な最適戦術に従えば単純な確率のゲームになりますし、麻雀も短期の勝負ではよほどの素人が競技するのでない限りほぼ配牌の運で決まるので、その線引きにはやや無理があります。
また、「参加者の能力によって結果を左右できる博技に限っては、不公平なゲームではないため合法化しても良い」という主張は、能力が劣り、かつその自覚がない者は敗れて去るのみ、ということになります。なかなかこれは残酷な主張にも思いますが、たしかにこれを変に規制すると弊害のほうが大きそうな気はします。
ここまでいくつか紹介してきましたがいかがでしょうか?
少なくない割合の人間は、失敗のリスクをとって果敢にチャレンジする本能を持っています。それが良い方向に向かった例としては、地球が丸いかどうかも定かでないのに遠くへ船を出した大航海時代の冒険家たちや、新技術を開発してきた科学者たちです。もし、人間が極端にリスクを嫌う性質をもっていたとしたら、いまだに我々は石器時代のような暮らしをしていたでしょう。
賭博が法で規制されている理由は、おそらく賭博に入れ込みすぎて人生を誤る愚か者を事前に救うためですが、そのために重要なチャレンジ精神まで規制するのでは損失のほうが大きいでしょう。
もう1つ重要なのは、一般個人が低コストで投機をできるようになったのはインターネットが普及した後であるという点です。10~15年ほどの話であり、法はまったくこの世界に追いついていません。この結果、金融市場における投機が、個人で最も簡単にでき、確率的な期待値も高い賭博になりました。長期的にみると、今は法が現実に追い付いていない過渡的な状態なのかもしれません。
(岡嶋 大介)
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