天路の旅人
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去年の秋頃に買って途中まで読み、その後、放ったらかしにしてしまっていた本。正月の暇にまかせて一気に読み終え、そして、また、最初から読み直す。
地図帳を手元におき、本に出てくる地名を確かめながら、西川一三という旅人の足跡を辿る。行程は「旅」という言葉で表現できるようなものではなく、さしずめ「修行」のようなもの。苛烈であり、過酷である。戦時下という特殊な時代のなかで地を這い、峠を越えて進む、8年の旅。
西川の心像を表す著者沢木氏の言葉が僕の心の琴線に触れる。そうそう、そういうことなのだ、、、と。
ここ数年、自分が旅のなかで考えていたことが文章となり、ところどころに散りばめられている。
「旅にでると、生活が単純化されていいく。その結果、旅人は生きる上で何が大切なのか、どんなことが重要なのかを思い知らされることになる。火がおきてくれれば湯が沸き、太陽の光を浴びれば体が暖かくなる。たったそれだけで幸せになる...。」
「困難を突破しようと苦労しているときが旅における最も楽しい時間なのかもしれない。困難を突破してしまうと、この先にまた新たな困難が待ち受けているのではないかと不安になる。困難のさなかにあるときは、ただひたすらそれを克服するために努力すればいいだけだからむしろ不安は少ない」
「すべての旅はこの地に立つためにあったのかもしれないという気がした」
自分のなかでいくつかの読書の分野、いわゆる触手がうごくテーマというものがあり、それは三国志などの古代中国のものや酒飲まれの本、そして人間の生き様を描いたノンフィクション。
人生は一度きりで自分の人生しか生きられないけれど、本を通して他人の人生を自分の地肉にすることができる。
他人の旅。たとえ、時間があって同じルートを辿ることができても、あるいは、おなじ街角に立つことができても、決して同じ体験をすることはできない。けれど、その旅は、活字を通して味わい尽くすことができる。「味わい尽くす」などというのは、ある意味では錯覚で、読み手の勝手な思い上がりなのかもしれない。けれど、この本は僕を「西川一三」という稀有な旅人の旅に誘い、生きることや旅することの意味をあらためて確認させてくれた。
ある有名なジャーナリストの言葉、「この世界と人間を理解する方法は、旅をして本物をみる。または、本をよむ。このどちらしかない」
そういうことだ。
そして、最後に全く接点などあろうはずもない、「深夜特急」の沢木氏の旅と西川一三の旅が数十年の時を隔ててつながっていいることが、取材という名の酒場での会話であきらかになる。
ネットで検索して、「秘境西域八年の潜航」を古本で購入した。13,000円。
しばらく、本のなかでの旅が続く。そして、いつか旅立つ自分の旅に思い馳せる。
「いつまでもインドに行きたいとかアフガニスタンに行きたいとか夢のようなことばかり考えていないで、一日一日をしっかりいきるほうが大切なんじゃない?」
西川一三の嫁さんになる女性の言葉。
そうそう、だれもそれは否定しない。だけど、人にはどうしても逃れられないものがある。
酒、薬、ギャンブル、、、、旅。そういうものに出会わない人はある意味幸せなのだ。普通に生きて、生を全うする。最高の幸せ、最大の不幸。
逃れられないものに取り憑かれ、身悶えするように苦しみ、あるときは、死をも覚悟する。そういう不幸のなかでしか自分の幸せを極大化できない。
いつの間にか、本棚にチベットコーナーができた。人生もそろそろ終盤戦。
畳の上で死ねるのか、真夏の峠で熱中症で行き倒れるか、晩秋の山道で熊の餌食になってしまうのか、、、、。
旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる、そろそろ辞世の句も考えないとな。