足るを知る。
すでに十分足りている、満足であるという意味の
古くからある言葉ですが
この言葉を理解して実践し続けるのは
本当に難しい。
先日、大学時代の仲間とzoomしていて、
ハッとしたことがありました。
私は運動不足で体型が気になってきた、
という話をしたのですが、
その時に仲間から言われたのが
「言うても、
絢子は旦那もおって子どももおるけんよかろう。」
独身のメンバーからの言葉でした。
家族がいてくれる幸せが
当たり前になりすぎていたなと気づかされた一言でした。
人は、もしかしたら
常に問題を探していて、
悩みに意識を向けようとする生き物なのかもしれない。
私自身、
あんなに子どもが欲しいと願っていたのに
いざ育児が始まったら
たったの2年半で
もう娘がいてくれることが奇跡だと思うことが少なくなりました。
今ある幸せに目を向けよう、
そう思って1日を過ごしてみたら、
幸せがたくさんありすぎる。
まるで洪水。
娘と旦那さんと仲良くいられること。
娘が健康で元気に育ってくれていること。
娘に手も足もあって
元気いっぱい踊ったり遊んだりしていること。
私にも健康な体があって
手も足も不自由なく使えること。
何の不安もなく3回の食事ができること。
娘の麦わら帽子を手編みしていること。
近くに公園からお店まで何でもあること。
書いても書いてもきりがないくらい、
とにかく見落としていた幸せにたくさん気づけました。
もちろん、独身の方や身体にハンディキャップのある方と
自分を比べたり引き合いにして考えたりは全くしていません。
あくまで今、目に映る自分の世界の中の幸せ、
という意味合いで書いています。
いま、私なりに今後の夢や目標はあるけれど
でも、
それが叶わなくたって
じゅうぶん幸せだ。
いま、日々の生活の中で
モヤモヤしたりすることもあるけれど
それは先進国ならではの
贅沢な悩みでしかない。
そういう気持ちをもって
自分の人生の幸せをめいっぱい味わって
これからも日常生活を楽しもうと思います。
あなたの日常にも
たくさんの幸せと豊かさが
あふれていますように。
それでは最後に私の幸せシェアを。
3/24の幸せ
お母さんが来てくれた。娘と母娘3代で、桜を見に行った。行くまでに色々ハプニングがあって、困ったり笑ったり楽しかった。
舞鶴公園へ行った。桜はほぼ満開で、天国みたいにきれいだった。こんなに素晴らしい景色が、近所にあって本当にしあわせ。
娘はおばあちゃんに会えてとてもうれしそう。おばあちゃんが一緒だと、ごはんもよく食べるし、何をするにもいつも以上に楽しそうで、見ていて私もうれしかった。
お母さんが帰ったあと、娘が「おばあちゃんが帰ってさみしいですー…」とおばあちゃんの背中を見送り続けていた。かわいかった。
旦那さんが早く帰ってきてくれた。今日はよく歩いたのでエネルギー切れになってしまい、夕飯の準備を旦那さんに甘えた。おいしく作ってくれてありがとう。
最近、娘のおやつに蒸し野菜を外へ持って行っている。娘は小食なので、食事の時にあまりたくさん食べてくれなくて心配になるけど、外遊びの合間や帰りに蒸しカボチャやニンジンを食べてくれるので、私が精神的にホッとする(笑)今日はいつもよりたくさんカボチャを食べてくれたのでとてもうれしかった。
夜、すごく疲れていたけどやりたかったことが一つ済んだ。うれしい。
家族の愛を感じながら眠りにつく。しあわせ。