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最近「天誅組」に興味を持ち始め、様々な資料(インターネットや書籍等)を調べています。そんな折、以前に祖父が取材を受けたという樋口先生の書籍を偶然にも古本屋で発見(入手)することが出来ました。


 「実記 天誅組始末 樋口三郎著 新人物往来社 ¥950 昭和48年発行 ※現在は絶版とのこと」


樋口先生は、約10年(昭和38年~48年頃)をかけて天誅組の全貌について全域調査と取材を敢行され、この本にまとめられました。その綿密にまとめられた調査結果は、その史的実感がそれをもの語り、第一級の資料だと賞賛されています。また、先生は奇しくも私が住んでいる大阪府八尾市の方でした。


私の実家は、奈良県吉野郡川上村にあります。ここは「吉野杉」で名を得た林業地であり、また「神武天皇の東征」「壬申の乱」「後南朝」「天誅組」などしばしば歴史の舞台となったところです。
書中には、祖父からの取材を通して私の高祖父・高祖母にあたる人の話が出てきます。この記事では高祖母(ふさ)のことを紹介します。


それによると・・・


『「天誅組」本隊の一行が川上村の○○郷に到着したのは、文久3年(1863)9月24日の昼頃でした。中山忠光卿は藤本鉄石先生と一緒に○○宅へ、吉村虎太郎先生は○○宅へ、那須信吾先生はうちの本家にあたる○○宅などの家々にそれぞれ入られ、しばらく休息されました。その時、まだ若かったふさが、本家に食事のお世話に行ったのですが、うっかりして天誅さんの置いてあった刀をまたいでしまったのです。刀は武士の魂ですし、女は不浄とされていました当時ですから、これは大変なことです。「無礼者!」「そこへ直れ!」と、手打ちにされてもいたしかたありません。ふさは青くなってあやまりました。ところが、木を削って杖をつくっていたその天誅さんは、

 「なに、かまわん、かまわん。いまに武士も百姓もいっしょになる世の中がくるんじゃ」 

と、あっさりかんにんしてくれたので、ふさはうれしさのあまり泣きだしたそうです。年がたって、ふさがこの話をするときは、いつも目を赤くして涙をふいていました。天誅組は恐いという噂でしたが、実際会ってみると、鬼でも蛇でもなく、むしろ恐かったのは幕府の兵隊やったそうです。いよいよ出発というとき、那須先生は遺品(かたみ)だといって「矢立」を置いてゆかれました。やっぱり豪傑の持物だけあって、1キロほどの目方があります。那須先生は、この時すでに戦死の覚悟をきめておられたのかもしれませんね。』      <ここまで取材記事>


この日、那須信吾は、主将中山忠光卿の脱出を援護するため、隊長となり決死隊を編成、幕府軍の本陣(奈良県東吉野村鷲家口)を急襲しました。信吾は敵陣をなんなく突破しましたが、彦根藩の部将大館孫佐衛門が行く手に立ちふさがりました。信吾はこれを槍で突き倒し、更に息つく間もなく群がる敵を突き立てなぎ倒して、踏み止まろうとしました。このとき彦根藩兵の銃が火をふき、続く二弾、三弾で血だるまとなって壮絶な最後をとげられたのでした。


 辞世の句・・・君ゆゑに惜しからぬ身をながらえていまこのときに遭ふぞうれしき (那須信吾)


不幸にも天誅組の企図は挫折しましたが、彼らが掲げた倒幕の狼火はうけつがれていき、後に明治維新として成就することになります。那須信吾ら天誅組の志士達の純粋で美しい「憂国の志」はいつまでも日本人の心に生き続けるのでしょうか。高祖父・高祖母から私にいたるまでの「すみやん家」が代々「天誅組ファン」であったのも、何かうなづけるような気がします。



 ≪ 用語解説 ≫
■天誅組(てんちゅうぐみ)・・・幕末の動乱期、文久3年(1863)8月13日、尊王攘夷の断行を祈願するための孝明天皇の大和行幸が朝儀により決定された。17日、主将中山忠光、総裁吉村寅太郎はじめ天誅組志士30人は、五條代官所を襲い五條新政府を号し、倒幕の旗を揚げた。しかし、翌18日、朝儀は一変して攘夷派が敗れ、大和行幸は中止。ここで、天誅組の義挙はその大義名分を失い、彼らに幕府から全国に追討令が出た。十津川郷士の助けを得て高取城へ進攻するが、撃退され戦局も不利となる。その後、十津川郷士の離反などを経て9月24日、奈良県東吉野村で事実上壊滅した。

■那須信吾(なすしんご、1829~1863)・・・幼少時 父を失い、安政2年 浜田姓から土佐の郷士 那須俊平の養子となる。剣・槍・砲の武術に優れ、義父の影響か 共に国事に尽力するようになる。その父共々、坂本龍馬(文久2年3月)の脱藩の為の青写真を作った影の立役者でもある。しかしながら、土佐勤王党に加盟後から刺客の一人となり、文久2年4月8日、吉田東洋暗殺後、長州へ脱走。翌3年8月、吉村虎太郎らの天誅組・大和義挙に加わり、軍監となるが、9月24日奈良県東吉野村鷲家口の戦いで戦死。これにより、天誅組は壊滅となる。

■矢立(やたて)・・・筆と墨壷を組み合わせた携帯用の筆記用具一式。 一見喫煙パイプのような形をしている。墨壷がついているため、出先で即座に筆が使える。

■すみやん家関係図
 高祖父 ― 曾祖父母 ― 祖父母 ― 父母 ― 私(すみやん)
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 高祖母(ふさ)