第 一 帖 (一)
二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも
何も彼もはつきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るからみたまを不断に磨いて
一筋の誠を通うして呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいておらぬと越せぬ、
この世初って二度とない苦労である。
このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、
外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。
今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積もりでかかって来い、
神の国の神の力をはっきりと見せてやる時が来た。
嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る(モト)は神の国、
神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしているのざ、
いつでも神かかれる様に、奇麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言ってゐるが、
そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、
終わらぬ道理が分らぬか。
臣民同士のいくさでない、カミと神、人とあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、
あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。
さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。
加実が世界の王になる、てんし様が神と分からん臣民ばかり、口と心と行と、
三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。
神の臣民みな命(みこと)になる身魂掃除身魂結構、 六の十日、ひつくのかみ。
岡本 天明 著 ひふみ神示 コスモ・ビジョン
仕事帰りに実家へ寄ると、甥が来ていた。DVDの映画を見ながら、話しがはずむ。
めったに会えないので、お互いに細かい事までは、そんなに
詳しくはない間柄ではあるが、何となく話しが合う。
生前の父は長男をあきらめて、次男である私の弟を墓守りと決めていた。
弟には子供がいないので、兄の子である甥が次世代の跡取りとなる。
高齢の母は破顔でいつも甥を迎える。
翌日が休日ということもあって、一緒に缶チューハイを飲みながら
私 「今日はじぃも喜んでいるだろうね」
甥 「何で・・」
私 「だって唯一跡取りの孫が来てくれているんだよ」
甥 「・・・・」
「ちょっと来てみな」と言って、けして大きいとは言えないけれど
母が嫁いでから毎朝、水とお茶とご飯をかかしたことがないお仏壇の前に呼ぶ。
「よく見てなよ、風はないね。振動もないよね」
「うん」
「そーっとそーっと、来てちょっと見ててね」
「・・・・」
手を合わせて、今日も無事に仕事ができたことに感謝、甥が来ていることに感謝
ご先祖様の幸せを祈って、手を合わせながら花瓶の花を見る
今日はどれかな・・数種類の大小の花のどれかが、応えてくれるはず
白いちいさな花がかすかに揺れている。
その一本だけが、花瓶のところから一本だけ揺れるのだ。
そして、お仏壇の扉についている小さな金飾りまでがゆらゆらと揺れる。
甥に分かるように指さしながら教える。
甥は性格的に私の素直な面を感じて私にだから起きているのではと言いました。
「なにも信仰はしていません。
必要な時に人は、何にでも頼らざるを得ないこともあります。」
わたしが唯一、教わったのは、偏見で人を見てはいけないということでした。
この甥の母親ですが、長年にわたって私も、母と同じ目線で見ていました。
それをとっぱらった時にいつも手を合わせる、実家のお仏壇の
花瓶の花がひと瓶そっくりガサガサといわんばかりに揺れ動いたのが
5年前でした。