前市長時代につくった「直接溶融炉」が間違いだった

 

の記事について、習志野市政ウォッチャーの方から、以下のような、詳しい解説をいただきました。

 

習志野市は元々ストーカ炉だったのに、平成14年、突然新日鉄の「直接溶融炉」にされてしまった

ストーカ方式に変えたことについては、習志野市議の皆さんもブログで報告していますね。

 

 

 

習志野市も元々ストーカ炉でした。

それが平成14年に突然、溶融炉になった。数社あった溶融炉メーカーの中でも新日鉄と、ズブズブの臭い関係が噂されました。

この記事でも

○平成14年度/先に竣工・稼働を迎えた施設
・習志野市様 芝園清掃工場           :平成14年11月稼働開始

と、習志野市が新日鉄の宣伝に使われていますね。

 

当時から、「製鉄用の高価なコークスをジャブジャブ使って、二酸化炭素をまき散らす直接溶融炉はリサイクルの流れに逆行」と批判されていた

当時から「何でも燃やす直接溶融炉はリサイクルの流れに逆行」と批判されていました。

 

それなのに、こちらの記事などでは「最新のごみ処理施設」「定格2400kWの発電機で発電される」「最終処分量を減らす」とベタほめ!?

 

最終処分量とは、埋め立て処分するしかない灰のことで、習志野市は秋田県の山の中に廃棄させてもらっています。

その量はストーカ炉より溶融炉の方が少ない。つまり最終処分場がパンクする日を先延ばしできるわけですが、そのために製鉄用の高価なコークスをジャブジャブ使って、二酸化炭素をまき散らすのは「リサイクルの流れに逆行」していることは明らかですね。こうした議論があったのに、当時の荒木市長が押し切ってしまった。

 

そして、荒木市政を引き継いだ宮本市長が「ゴミ袋有料化」を言い出した

そして、荒木市政をひきつぐ宮本市長は「ゴミ処理費用がかかるし、ゴミ減量が思うように進まないから有料化だ、有料化だ」と言っているわけです。

 

平成14年に直接溶融炉を採用したことは失敗だった

平成14年に直接溶融炉を採用したことは失敗だった、とはっきり言うべきですね。

旧清掃工場(現清掃工場の前の施設)も、取り壊すとなればダイオキシンやアスベストが出てくる。監視が必要なポイントだらけですね。

習志野市の「秘密主義」を許さず、市民がしっかり監視していく必要があります。

 

 

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