(2022年4月の原稿です)

ウクライナ問題、一般市民が犠牲になっている悲惨な状況をニュースを見るたびに胸が痛みます。この理不尽な戦争を1日も早く終わらせなければ、と思います。

なんでこんなことになってしまったのか、ネットの記事から、改めて考えてみたいと思います。

(東洋経済オンラインの以下の記事から引用、一部追記)

 

親米政権の発足が問題の発端に

ウクライナは、2014年の「マイダン」のクーデターで、ロシアと対立する資産家ポロシェンコが、大統領ヤヌコヴィッチをロシアに追放し、親米政権を創る。ここからウクライナ問題が起こる。ロシアは東部に軍隊を送り、その結果、ウクライナの中にロシアに近いルガンスク共和国とドネツク共和国が生まれたが、これをウクライナも西側も国として承認していない。一方クリミアは、ロシアに編入された。もちろんこれも承認されてはいないが。

エネルギー資源の豊かな東部ロシア人地域の分離独立を認めないウクライナ政府

ウクライナにとって不幸なことは、エネルギー資源を含め最も豊かなのが、この東部であることである。だからウクライナはこれらの地域の分離独立を認めることはできない。

ここに当然、大国が介入する余地がある。そもそもウクライナはヨーロッパに属するのだが、EUには軍事組織がない。あるのはNATOである。ソ連時代はワルシャワ条約機構があり、それが東欧を束ねていたのだが、今ではNATOが束ねている。しかし、ウクライナがこれに入るとなると、ロシアはNATOに完全に包囲されることになる。

(ロシアを包囲するNATO軍事網)

地理的にも不幸なウクライナ

ウクライナにとって不幸なのは、地理的問題だ。ウクライナは今のロシアにとってEUとの緩衝地帯である。

この地域はバルカンと並んで重要な地域であり、アメリカの軍事戦略とロシアの軍事戦略が真っ向から対立する地域でもある。NATOとEUの拡大は、これらの地域をロシアとの対立へ誘うことになる

独立後ゼレンスキーに至るまで親ロシア派と親欧米派の大統領が権力闘争を繰り広げて来たウクライナ

(Diggity.infoの記事などから引用、追記)

ソ連時代ロシアとウクライナは「兄弟」だったが、独立後のウクライナは親ロシア派と親欧米派に分かれる

ソ連が崩壊し、ウクライナが1991年に独立してからずっと親ロシア派と反ロシア派が対立し、国会で国会議員どうしが殴り合いをする、というような状況がありました。

ロシアと経済強化を選挙公約に掲げたクチマが第2代大統領に就任

クチマに投票した国民は、ロシアとの経済統合が経済再生への道であると見なして投票したわけであり、ウクライナ国家がロシアに吸収されることを望んだわけではなかった。
しかしながら当選したクチマは、公約に反し、10月にIMFと協力した経済改革を宣言し、ロシアとの経済統合の道を選ばなかった。

しかしクチマ政権はウクライナのEUおよびNATOへの加盟を公約として掲げる一方で,ロシアとの実務関係を重視するというバランス政策を取っていた。

権力はやがて腐敗する?「オリガルヒ(新興財閥)」との癒着で非難される

クチマは、民営化を進めて娘婿のピンチュクをこの国を代表するオリガルヒに育てた。腐敗の元凶と言われる。

クチマとヤヌコヴィッチ(与党)VS ユシチェンコとティモシェンコ(野党)

こうして第二次クチマ政権後半のウクライナ情勢は,クチマ大統領とヤヌコヴィッチ首相を支持する与党グループと,ユシチェンコとティモシェンコを支持する野党グループの対立が激しさを増して行った。

2004年の大統領選挙はクチマの後継者ヤヌコヴィッチが大統領に就任

2004年11月の大統領選挙決選投票の結果、与党ヤヌコヴィッチ候補の当選が宣言されたが、野党ユシチェンコ候補の支持者らは、同選挙において大規模な不正が行われたとし、決選投票の無効とやり直しを求める大規模な抗議集会を首都キーウ(キエフ)で開いた。

 

オレンジ革命、再投票でユシチェンコが勝利!

やり直し選挙が行われた。その結果、ユシチェンコが逆転勝利した。

親欧米派 ユシチェンコ大統領 時代、ブッシュ大統領がウクライナをNATOに入れようとした

NATOに加盟の動きが加速

ウクライナを訪問中のブッシュ大統領は「アメリカ政府は、ブカレストで開かれるNATO首脳会議でウクライナやグルジア(現ジョージア)のNATO加盟を支持する。ロシアはこの問題では否決権はない」と述べました。

ロシアはこれに強く反発し、その結果、ウクライナとグルジアのNATO加盟はブッシュ政権下では見送りとなりました。

 

もともとウクライナ国民は中立を支持していた?

2008年1月のウクライナ国民に対する世論調査によれば、50%のウクライナ人がNATO加盟に反対し、全体としては「中立」を望んでいる傾向にあった。

 

ウクライナの「中立」を破り、現在のプーチンのウクライナ侵略戦争のきっかけをつくった2009年バイデン副大統領(当時)演説

それが突然変わったのは、2009年7月の当時のバイデン副大統領によるウクライナにおける演説だった。
オバマ政権の副大統領に就任後、2009年7月にウクライナを訪れ、「ウクライナがNATO加盟を選択するなら、米国は強く支持する」と伝えた。当時のウクライナでNATO加盟論は少数派で、この発言は突出していた。

親欧米派大統領ユシチェンコが、支持率回復のため、ユダヤ人大虐殺の“ステパン・バンデラ”に「英雄」の称号

親欧米/反ロシア色の強いユシチェンコ政権が誕生したが、同政権は、2009年、バンデラを郵便切手のデザインに採用し、2010年にはバンデラに「ウクライナの英雄」の称号を与えた。しかしこれは、ウクライナ東部や国内外のユダヤ人からの抗議にあって撤回された。

 

反ユダヤ主義者でホロコーストに関与

バンデラの軍団は、ドイツ軍の下に置かれ、無辜(むこ)のユダヤ人、スロバキア人、チェコ人を虐殺した。

彼とその仲間が発表した声明には、反ユダヤ主義が色濃く表れており、ロシア人、ポーランド人、ユダヤ人を「敵対民族」として排斥することが謳われていた。

そのバンデラが今では「英雄」とされ、キーウ(キエフ)に「バンデラ通り」や銅像

ソ連時代には、「ナチスの協力者」「過激な民族主義者」「テロリスト」という意味で憎悪の対象として教えられていましたが、近年のウクライナでは「独立のために戦った英雄」として再評価され、2016年にはキーウ(キエフ)の中心にあった「モスクワ通り」の名前は「バンデラ通り」に変わりました。

(キーウのバンデラ像)

ウクライナではバンデラを愛国者としてパレードも行われている

ウクライナでは、バンデラを愛国者としてたたえるパレードが10年ほど前から定着。イスラエルとポーランドの駐ウクライナ大使はこの1月、「民族浄化を掲げた人間を顕彰するのは許されない」と非難声明を出した。チェコのゼマン大統領もウクライナ人のバンデラ崇拝を糾弾している。

ユシチェンコ政権……というかオレンジ革命は失敗?国民の失望の中で終える

オレンジ革命で大統領に上り詰めたユシチェンコの評価は最も低い。度重なる失政がオレンジ革命で敗北したヤヌコヴィッチの台頭を招き、オリガルヒが一段と私腹を肥やすことになったと指摘されている。支持率が下がる都度、ロシア語を公用語から外す、ロシアがファシストと忌み嫌っていたステパン・バンデラを国民英雄に復活させる等、反露感情を煽ることで支持率を回復させようとしたと言われ、ロシアとの関係を不必要に悪化させるとともに国内の亀裂を拡大させた。

オレンジ革命の失敗から10年、「ユーロ・マイダン革命」

発端は、ヤヌコヴィッチ大統領がEU加盟の前提条件となるものとして仮調印までしていたウクライナEU貿易協定を見送ると決定したことである。その日の午後にキーウ(キエフ)の著名なジャーナリストが自身のフェイスブックで「22時30分に独立広場に集まろう。暖かい格好で、コーヒーと紅茶も忘れずに」と呼びかけ、実際に数百人が集まって大統領の親ロシア反欧姿勢に抗議した。

極右勢力が反政府自警団を結成

11月末には極右勢力を中心とする反政府の自警団が結成され、国内は騒乱状態となり、反政府運動はキーウ(キエフ)のマイダン広場(トルコ語で独立広場を意味する)を中心にした攻防となっていった。

広場に集まった数十万人のデモ隊は一部暴徒化し、レーニン像を引き倒し、ハンマーで破壊した。像が立っていた台座には、「ヤヌコヴィッチ、次はお前だ」などと書かれたポスターが貼られていた。

その破壊に対する反応は独立派勢力の中でも複雑であった。何故なら、穏健な独立派勢力の中では、ソ連にシンパシーを持っているウクライナ国民をなるべく刺激しないという方針は主流であったので、レーニンの記念碑(しかも一番有名なもの)の破壊は逆効果をもたらし、反政府デモの印象が悪くなり、それが勢いを失うのではないかという恐れもあり、それに賛同しない人もそれなりにいた。

しかし、次第に社会の雰囲気が変わり、レーニン記念碑の撤去は過激な行為ではなく、独立国家のあるべき行為と脱ソ連の象徴となった。

 

この抗議デモはにはアメリカ・EUの政府関係者の姿も

この間12月11日にはキーウ(キエフを)訪れたヌーランド米国国務省局長(祖父はウクライナ系ユダヤ人)とEUのアシュトン外務大臣がデモ参加者にクッキーを配っていた。

極右集団「右派セクター」によってどんどん過激化

親ロシア的ヤヌコヴィッチ政権に対する反政府暴動を主導してきた極右連合「右派セクター」は、反ロシア・ウクライナ民主主義を標榜する若年層の過激派の一部といわれる。当初右派セクターは、サッカーを愛好する若者を含む現状不満層を中核に徒党を組んでいたが、反ロシア思想を掲げる極右・民族組織も加わり強固な戦闘力を保持しているとみられる。

1月19日以降、銃撃による死者がデモ側と治安部隊の双方に出始めたのは、このネオナチ集団が市民に狙撃手を紛れ込ませて混乱を拡大しようとした挑発行為ではないかとの疑惑が出ている。

デモを指揮していた野党の指導者も過激化が進む展開にドン引き……。

首都キーウ(キエフ)でデモを展開してきた野党の指導者3人は19日、突然発生した衝突に驚き、政府当局を非難する一方、暴力的な衝突からは距離を置く姿勢を見せた。

 

反発は政権の汚職や金権体質にも向けられ、2014年2月には「ウクライナ騒乱」ともいわれる大規模な反政府暴動に発展した。

「……攻撃は続かねばならない」右派セクターは声明を発表。停戦は守られず

「われわれはいかなる合意もしておらず、立ち上がった民衆による攻撃は続かねばならない」

ビクトル・ヤヌコヴィッチ大統領と野党3指導者が「停戦」に合意した直後の20日、過激な民族主義勢力の連合体「右派セクター」がこんな声明を出し、大規模衝突は再燃した。

翌日、政府と野党勢力、デモ隊が休戦に合意したが、極右民族主義派の右翼セクターや全ウクライナ連合「自由」(スヴォボーダ)系列などのデモ隊は、合意案を拒否した。彼らは銃器を振り回し、武力でキーウ(キエフ)市内と議会を掌握した。

スヴォボーダの党首は歴(れっき)としたネオナチのチャグニボクで、そのスヴォボダを中心に「ウクライナ愛国者」「ウクライナ民族会議─ウクライナ自衛(UNA-UNSO)」「トリズブ(ウクライナ紋章の三叉の意味)」などの右翼団体から構成される「右派セクター」という横断的な右翼政治組織を作っている。彼らが共通して崇拝するのは、1941年にナチス・ドイツが対ソ開戦してウクライナに侵攻した際、進んでナチ同盟者となってユダヤ人やポーランド人の虐殺しソ連と戦ったことで知られる「ウクライナ民族主義者組織」の指導者ステパン・バンデラで、チャグニボクらはウクライナの独立後、彼を名誉回復して“愛国者”と位置づけるよう運動を繰り広げてきた。

ヤヌコヴィッチがロシアに亡命!ポロシェンコが大統領に

ユーロマイダン革命後にロシア系住民の不満が大爆発!!クリミア半島は大きく動く

ヤヌコヴィッチ氏が国を追われたことで、彼の地盤である東部では親ロシア派グループが立ち上がった。ユーロマイダンに激しく反発し、欧米寄りの新政権に対する抗議活動を始めた。今度は彼らが各地で行政庁舎を占拠し、ユーロマイダンを支持する人たちと衝突を繰り広げた。

中でも抗議が激しかったのが、ロシア系住民の多いクリミア半島とヤヌコヴィッチ氏の出身地ドネツク州、隣のルガンスク州(両州合わせたドンバスと呼ばれる)だった。まず事態が動いたのがクリミアだった。

新政権がウクライナ語を公用語とし、ロシア語を外した。これが火に油を注ぐ

ウクライナの公用語はウクライナ語ですが、西側の地域を除くと、日常生活では、ロシア語が広く使われています。特に、首都キーウ(キエフ)では、人口の多くが両方の言語をネイティブに話します。さらに、ウクライナのテレビ番組においても両方の言語が一般的に使われてきました。しかし、クリミア半島をめぐる問題などでロシアとの対立が顕在化したことに伴い、2014年2月から、ウクライナ国内ではウクライナ語使用の義務化政策が実施され、生活や教育などのあらゆる場面でウクライナ語使用が義務付けられています。

血と炎の金曜日、オデーサ(オデッサ)の惨劇

 事件の発端は5月2日、オデーサ(オデッサ)市内で起きた。親欧米派のデモ隊と、ロシア系住民とのあいだの衝突だった。この衝突では、石や火炎瓶が投げられ、少なくとも4人が死亡した。さらに、親ロシア派住民が立てこもった労働組合の建物が放火され、46人が死亡、200人以上が負傷した。イタルタス通信やロシア・トゥデイは、この放火がウクライナ民族主義の過激派右派セクターによるものだと伝えている。

ポロシェンコを破ってゼレンスキーが大統領に

2018年12月31日夜、1+1 TVチャンネルでペトロ・ポロシェンコ大統領の年頭演説と並行して、2019年ウクライナ大統領選挙への立候補をゼレンスキーが表明した。政治的アウトサイダーである彼はポピュリストとして人気を誇り、選挙に向けた世論調査ですでにフロントランナーの一人となっていた。経済再生や汚職への取り組みなどを公約に掲げ、第2回投票では73.2%の得票率でポロシェンコを破り当選した。

 

プーチンの男根野郎?

(文芸春秋2022年5月号の、ゼレンスキー「道化と愛国」に書かれたエピソード。シモネタのコメディとしては確かに面白いけど…)

 

新大統領(ゼレンスキー)が、「身分相応の腕時計を身につけましょう」と諭され時計屋に連れていかれる場面。すすめられた高級時計ウブロ(HUBLOT)の値札に驚いて「こんなの誰が着けているんだ?」と店員に問うと、「プーチン」という答えが返ってきます。
これには二つの意味があって、政治家は贅沢を享受しているという批判が一つ。もう一つ、「ウブロ」はウクライナ語やロシア語で「男根」の隠語に似た発音でもあり、「プーチンの男根野郎」とも聞こえる。


(日経ビジネスの記事より)

ロシアとの緊張を高めたウクライナ大統領の危険な「挑発」行為

ゼレンスキー大統領の選挙対策から始まった対立

 元コメディー俳優で国政経験のないゼレンスキー大統領は、ドンバス戦争の終結とオリガルヒ(ロシアの新興財閥)の汚職・腐敗によるウクライナ国家への影響を阻止することを公約に掲げて当選した。24年の大統領選再選の鍵は、分離独立派が支配する東部停戦地域であるルガンスク州・ドネツク州でどのようなパフォーマンスを示せるかだといわれていた。これには、クリミア併合時にロシア軍との戦闘で大敗を喫したウクライナは、不利な条件でミンスク合意を結ばされたとの強い思いがある。

 ミンスク合意がある限り、ドンバス地方で選挙を実施し、高度な自治権を認めざるを得ず、分離独立に法的根拠が生じてしまう。これを嫌うゼレンスキー政権は21年にかけてミンスク合意を反故(ほご)にすべく、尽力してきた。米国を中心とした西側諸国の支持を得るため、国政の汚職一掃など、西側の要求を満たそうとしてきた。

 ただ、プーチン大統領と個人的にも親しい議員への制裁や逮捕などの汚職一掃や、「クリミア・プラットフォーム」開催など一連のクリミア半島返還の国際的なアピールも実を結んでいない。ゼレンスキー大統領の8月末の訪米では、バイデン大統領からミンスク合意反故への支持やクリミア半島を奪還することへの支援は得られなかった。

 そのため、ゼレンスキー大統領はドンバス地方奪還に向けて、軍事力による解決を試みている。21年4月にトルコから購入した軍事用ドローンをドンバス地方での偵察飛行に利用した。さらに、10月に東部の紛争地域で新ロシア派武装勢力を攻撃した。その際にウクライナ軍はトルコの軍事企業から購入した攻撃ドローン「バイラクタルTB2」を初めて使用し、その動画も公開していた。

2021年10月、トルコ製のドローンで東部ロシア人地域を爆撃したゼレンスキー大統領

 

ウクライナ軍による攻撃ドローンの利用に欧米諸国やロシアも紛争をエスカレートすることを懸念して警告を発していたが、ウクライナのゼレンスキー大統領は「領土と主権を死守していく」と声明を発表していた。

それでも全面的な衝突を避けるための落としどころを探り、2022年1月には米国およびNATOがロシアに歩み寄る方向で交渉を始めた。しかしゼレンスキー大統領は、ウクライナ不在のまま物事が決められることを恐れて、ロシアと直接交渉しようと、米国・NATOとロシアの間でまとまりかけた協議に水を差しているのである。いわば選挙対策という権力者のエゴからこのような事態まで発展したのである。

(IDEーJETROの記事より)

ポピュリストとしてのゼレンスキー大統領

ロシア・ウクライナ戦争が勃発しているなかで、こんにちヴォロディミル・ゼレンスキー大統領(2019年―)ほど、知名度の上がった人物はいないだろう。ゼレンスキーは、軍事介入に及び腰な西欧諸国の指導者達とは対照的に、ロシアのウクライナ侵攻に徹底抗戦する姿勢を示しながら、自国民の前だけでなく、米国や英国、そして日本の議会でも、Tシャツ姿でウクライナの窮状や支援の必要性を訴える。その姿は「西欧の道徳的リーダー」と言われるほど、大きく注目されている。

ゼレンスキーは社会運動家や著名人としての活動はあるものの、政治家としての経験がなく、人気タレントから大統領になったという異色の経歴を持つ。彼は1978年に東部のドニプロペトロウシク州で生まれ、大学卒業後、テレビ番組やイベントなどを手掛ける「第95街区」(KVARTAL 95)の共同創業者となり、数々のメディアに出演した。なかでも国営放送のドラマ「人民の僕(しもべ)」では、教師から大統領に転ずる役を演じ、著名人としての地位を確立した。その後、2019年の大統領選挙に出馬し、圧倒的な支持を得て当選したのである。

現在、ゼレンスキーはウクライナの指導者としてロシアと対峙しているが、そこでは、後述するように彼が大統領になったときに展開していた、大衆とエリートを峻別(しゅんべつ)して善悪をつけるポピュリストとしての姿が見られる。すなわち自由を守るウクライナ人が、それを脅かすロシア政府と戦うという構図が描かれているのである。そして彼は、戦争終結の案を国民投票で決めると主張し、人民の意思を直接政治に反映させる姿勢を示している。

このポピュリストとしての姿勢を解く鍵は、ゼレンスキーが大統領になった経緯や既成政治への国民の不信という社会的背景にあり、それは、今般の戦争における彼のメディア戦略を理解するうえでも有益な手掛かりになる。なぜ、いかにして、人気タレントだったゼレンスキーは大統領になったのか。

マイダン政変、ロシアのクリミア併合、ドンバス紛争

2022年2月24日からのロシアのウクライナ侵攻は、突然始まったように見えるものの、ウクライナからすると、それは2014年のロシアのクリミア併合や東部のドンバス紛争から続いており、既に2014年の時点で主権が侵害されていた。紛争の始まりはヴィクトル・ヤヌコヴィッチ体制(2010―2014年)が崩壊したマイダン政変であり、その発端は当時のヤヌコヴィッチ大統領がEUとの連合協定締結の署名を撤回し、野党や市民の間で、それに抗議する運動が始まったことだった。抗議運動は、当初平和的なデモだったが、政府が武力で運動を鎮圧させようとすると、デモはより過激化した。政府と野党は事態の沈静化を模索したが、一部の過激化した勢力は武装闘争を展開し、ヤヌコヴィッチはロシアに逃亡した。

このマイダン政変が起こると、今度はウクライナのクリミア自治共和国で、ヤヌコヴィッチの失脚は暴力によって引き起こされた点で不当であり、同様の政変がクリミアでも起こるという主張が掲げられ、ウクライナからロシアへの帰属変更を求める運動が拡大した。そして2014年3月、ロシアはウクライナ政府の合意なしにクリミアを併合した。さらにウクライナ東部のドンバス地域は、ロシアの後ろ盾を得て、ドネツィク(ドネツク)州とルハンシク(ルガンスク)州の一部が「ドネツク人民共和国」と「ルガンスク人民共和国」という国家の樹立を宣言した。

2014年に始まったウクライナ東部紛争を巡る和平合意。ロシアとウクライナ、ドイツ、フランスの首脳が15年2月にベラルーシの首都ミンスクでまとめた。ロシアを後ろ盾とする親ロ派武装勢力とウクライナ軍による戦闘の停止など和平に向けた道筋を示した。大規模な戦闘は止まったものの合意後も断続的に戦闘が続いた。

2014年以降の政治改革

こうしたロシアのクリミア併合や東部の分離独立運動は、ウクライナの主権や領土の一体性を侵害するものであり、ウクライナ政府には受け入れられなかった。そこで、ヤヌコヴィッチ体制の崩壊後に発足した暫定政権は軍事組織を総動員し、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国に武力攻撃を開始した。

とはいえ、ウクライナとロシアの間では、軍事力をはじめとする国力の差があり、ウクライナだけではそれらの問題を解決できない。そこで、ポロシェンコは「改革の戦略―2020」というプログラムを掲げ、さまざまな制度改革を通して市民の生活を欧州の水準に引き上げながら、EUと北大西洋条約機構(NATO)加盟の方向性を定めた。「改革の戦略」は、60の改革プログラムと特別プログラムから構成され、西欧から多大な支援を獲得して実施された。

 

政治改革を阻害する非公式ネットワーク

 

だが、そのような政治改革は十分に進展しなかった。その大きな原因とされるのが汚職である。トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数によると、2012年度のウクライナの順位は176カ国中144位であり、マイダン政変を経て司法制度改革などが実施されたにもかかわらず、その順位は大きく変化していない。

 

汚職はウクライナ社会の根強い問題となっており、特にオリガルヒに対する理解は欠かせない。このオリガルヒは、ビジネス上の利益を優先し、政治に深く関与する特徴を持っている。ここでは便宜的に「政治権力と癒着する大資本家」という意味で、オリガルヒの用語を用いる。

マイダン政変後も、オリガルヒと政治家の癒着は続いた。政治家は西欧向けのアピールとして「脱オリガルヒ」を叫び、反汚職裁判所を設置するなど、形式的には汚職撲滅のための制度を作る。だが、それはオリガルヒの利益に抵触し、彼らにとっては脅威となる。政治家は米欧の支援と同時にオリガルヒの支援も必要であるため、そもそも制度を運用する誘因が働かない。ウクライナ政治では、このような非公式ネットワークが強く作用しており、オリガルヒがマイダン後の改革を阻害してきたとも指摘される。

 

高まる国民の不満

さらに東部のドンバス紛争も継続していった。2014年9月には、ロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の間で、ミンスク議定書、2015年2月にはミンスク合意が定められたが、分離独立問題が解決されたわけではなかった。ミンスク合意を肯定的に捉えたウクライナ国民は1割にも満たず、ポロシェンコは和平合意を通して、ドンバスの分離主義者に妥協したと批判された。

ドンバス紛争は継続し、経済も落ち込み、国民の生活は苦しくなり、国民はこのような状況に不満を高めた。
次第に不満の矛先は、既成政治へと向けられていった。2018年度の社会機関の信頼度の表によると、国軍や国境警備隊などの軍事組織への信頼度は相対的に高いものの、大統領や議会、裁判所、検察などの政府機関に対する信頼度は軒並み低い。軍を除いて、政府の諸機関が信頼出来ないと答えた国民は、7割から8割にまで及んでいる。2018年時点のポロシェンコ大統領の支持率も約13%しかなかった。

ゼレンスキーの登場

こうしたなかで実施されたのが、2019年の大統領選挙であり、突如登場したのがゼレンスキーだった。大統領選挙では計39人が立候補し、現職のポロシェンコとアウトサイダーのゼレンスキーが決選投票に進んだ。このときにゼレンスキーは、既成の政治エリート達をオリガルヒと癒着する「民衆の敵」に仕立て上げながら、ポロシェンコの汚職を痛烈に批判し、政府の安定や正義などを訴えた。その政策綱領の具体的な中身は不透明だったが、彼は汚職や戦争の継続に伴う生活の逼迫(ひっぱく)、国民の既成政治への不満を上手く結びつけたことで、7割以上の票を得てポロシェンコを破り、新たな大統領となった。

さらにゼレンスキーの圧勝は大統領選挙に留まらず、同年の議会選挙でも見られた。ゼレンスキー出演のテレビドラマでもある「人民の僕」は政党名となり、彼はウクライナ語で緑を意味する「ゼレーニー(Зелений)」を基調カラーとしてメディア戦略を駆使し、「ゼ!人民の僕党(Зе! Партія Слуга Народу)」などをメッセージとして発信していった。「人民の僕」という言葉に見られるように、ゼレンスキーの政治スタイルは、ウクライナの人々の意思を直接政治に反映させようとするものだった。これは、既成政治に不満を持っていたウクライナ国民には新鮮に映り、同国では彼の姓の頭文字である「ゼ」旋風が巻き起こった。その結果、人民の僕党は小選挙区と比例区を合わせて56%もの議席を獲得したのだった。従来、多党制が常態化していたウクライナにおいて、単独政党が過半数を獲得するのは異例のことであるが、そこでは民衆の側に立脚し、政治経験のないゼレンスキーが、「悪い」既成の政治エリート達を破るという構図が描かれていたのだ。これはまさにエリートと民衆を峻別(しゅんべつ)し、善悪をつけるポピュリズムの典型であろう。

ポピュリストとしてのゼレンスキーの対ロシア戦争

こんにちのロシア・ウクライナ戦争では、西欧とロシアの地政学的な対立に注目がいきがちだが、ゼレンスキーがポピュリストであることは、今回の戦争の重要な側面であり、西欧からの支持調達のあり方を考えるうえでも、そのことを把握する必要がある。例えば、ゼレンスキーはYouTubeで「ゼ!大統領(Зе!Президент)」というチャンネルを持ち、ロシアの軍事侵攻によって、ウクライナの人々の生存が脅かされていることを強調し、自国の窮状と支援の必要性などを訴える。そこでも、自由を守るウクライナの大衆と、それを脅かす敵のロシア政府が峻別され、善悪が明確になっている。さらに大統領は、終戦に向けた案についても国民投票で決めると主張し、ウクライナの人々の意思を直接政治に反映させる姿勢も見せている。その点で、今回の戦争におけるゼレンスキーのメディア戦略は、2019年の大統領や議会選挙のときのエリート対民衆の構図と類似していると言える。

ただし、こんにちの戦争では、2019年選挙と大きく異なる部分もある。それは、ゼレンスキーのメディア戦略がウクライナ国内だけではなく、国際社会でも展開されていることである。そしてそこでは、彼の述べる善悪と国際社会の善悪が結びつき、ロシアの軍事侵攻が国際社会の重要な規範である主権国家体系を阻害している反面、ゼレンスキーはそれを擁護しようとしている構図が描かれる。

いまや彼は日本の国会でも、ウクライナの窮状と支援の継続について演説し、メディアを通して世界中の人々に訴えながら、ウクライナという「民衆」の側に立つように求める。ロシア・ウクライナ戦争は、まさにポピュリストのゼレンスキーが示す善悪と、国際社会における戦争の善悪の結びつきを示していると言えるだろう。

 

結論

以上、いろいろな記事を見てきました。多くの一般市民を犠牲にしているプーチンはもちろん許せません。

しかしまた、ロシア・オリガルヒを背景にしたプーチン、ウクライナ・オリガルヒや極右勢力を背景にしたゼレンスキー、(戦争やウクライナへの軍事支援で莫大な利益をあげる)軍産複合体を背景にしたバイデンの三つ巴の争いに一般市民が巻き込まれ、犠牲になっている、という姿も浮かび上がってきたのではないでしょうか?

いつもこうした権力者の欲望の犠牲にされるのは一般市民。それなのにメディアも「大本営発表」ばかりで、真実が見えにくくなっています。一刻も早くこの戦争を終わらせなければいけない。改めてそう思います。

 

メディアにはほとんど出て来ない、ウクライナ軍の実状に切り込んだこの記事、貴重なレポートです。

 

 

(追記)この記事について「殺し合いはヤメロ」さんから以下のコメントを頂きました。有り難うございます。「我が意を得たり」と思う方も多いんじゃないでしょうか。

ゼレンスキーって、安倍元首相みたい。
米国におだてられて、ホイホイ乗り、国民の利害と正反対のことをやって、自国民を地獄に突き落とす。
武器供与や経済制裁じゃ、虐殺は止まらない。
安倍の敵基地攻撃能力は、アメリカの敵基地攻撃能力できる在庫の兵器を言うなりに買ってあげるよということ。アメリカの戦争に巻き込まれ、自国の国民を危険に晒すという事を理解しないお調子者。

国の行く末を決めるのは国民だ。
プーチンが要求しているNATOを拡大しないこと。東部をロシアの支配下に置くことも、決めるのは住民だ。国連などの監視の下、住民投票をやって、ロシアかウクライナ、どちらの国に入りたいか問えばいい。ロシア系がおおい州はロシアを希望するだろう。プーチンはこれで、さらなる軍事侵攻をする理由がなくなる。
こういう方向で、一刻も早く、この戦争を終わらせて。プーチンとゼレンスキーの勝ち負けのために、何百万人の命と国土を灰にして、世界中の人々が苦しむ。愚かなり。