(読者投稿です)
謎が謎を呼ぶ鷺沼源太の碑。白鳥元市長が建てて、2年後伊東藤兵衛が碑の裏に変な碑文を追加した?
の記事に関し、古書に出てくる鷺沼氏を拾ってみました。
ご覧のように、鷺沼源太とか鷺沼源吾といった名前は出てきますが、軍勢の中に名前が出るだけで、それ以上の動静は書かれていません。また「房総里見軍記」「関八州古戦録」「千葉実録」、いずれも江戸時代に書かれた軍記物で、どこまで信頼できるのか、どこまで講談本なのかは慎重に吟味しなければなりません。
やはり、どこの寺の過去帳に鷺沼源太とあるとか、どこの石碑に鷺沼源太と刻まれている、というものに比べると、史料価値はぐっと落ちるのです。
城址公園の石碑にいう「源太氏を始め下総十有城主、一団となり北条氏康と戦い」などという話には見えませんね。石碑を作った伊東藤兵衛が何者なのか、を調べたいところです。
鷺沼源太満義諸武士之碑

源太塚の石碑「昭和32年12月20日 習志野市長白鳥義三郎建之 千葉大学教授浅尾喜安之書」と彫ってあるようなのですが、これでも民間有志が勝手に作ったものなんですかね。
表が昭和32年、裏の伊東藤兵衛の変な碑文が昭和34年3月。
この不一致は何なんでしょうね。
昭和32年12月20日にまず市が碑を建てて、昭和34年に藤兵衛が裏側に変な碑文を追加した、ということなんでしょうか。
謎が謎を呼ぶ鷺沼源太の碑。







