誤嚥性肺炎のおばあちゃん
急性期の病棟といえど、(だからこそ?)、当たり前にいる患者さん。看護師3カ月目にでもなれば、もはや『高齢になれば当たり前に誤嚥する。そして肺炎になる。最悪、死ぬ。』くらいの気持ちだ。
だけど、『ごえん』と入力しても、漢字変換の候補に出ないのだから、一般的な認知度は低いのかもしれない。
……医療なんてそんなものだ。
未だに『パターナリズム(私は素人なのて先生にお委せします)』なんてもの、平気で言う患者さん、家族さんは山のようにいる。
医療者は『セカンドオピニオン(他の先生の意見も訊きます)』を推奨して、責任を分散させようとしてるのに。
私は医師の診断だとか、厚労省の推奨する検診などを、鵜呑みにすることを推奨していない……というより、それらは疑うことから始める。
例えば、
私が高校生のころ推奨された 子宮頸がんワクチン を、『副作用はキチンと確認されていない』『殺草材の入った人口減少政策』のためのもの と信じて、打たなかった口である。
勿論、仕事は仕事だ。看護師として名乗る限り、仕事は仕事だ。
2年目看護師の思想など、(それが10年目でも医師には「看護師の戯言」と一蹴されるだろうが、)なんの意味も持たない。
だからこそ、ここで展開されるのは、看護師として誇りも義務感もない、糞な看護師の戯言だ。
……話がズレ過ぎた。
さて。誤嚥性肺炎の話であるが、
彼らは病院に当たり前に存在する、「見てられない」患者さんの一人だ。
それで入院してくる患者さんは、元々、ADL(日常的生活能力……食べる、排泄する等の基本的な生活能力)が低い場合が大多数であるから、
「あらあら、むせてしまったのね」
それだけで、肺炎になり熱が出て、ベッドから動けなくなる。
そのために、胃管(食べるとむせるので鼻から流動食を入れる)、尿管(元々ベッドから動けないので)、点滴(輸液と抗生剤)を入れられる。
それらを入れるだけなら、まだ可愛いものだ。
一般人(家族)は、患者が看護される姿を『本当に』見たことがあるだろうか。
一つ挙げるなら、吸引(痰取り)。あれは苦しい。
「ごめんねー、でもこれしないと、痰が詰まって息が止まるから」
と看護師に言われて、論理的に納得はできるが、承知はできない代物だ。
それをして状態が回復するなら、まあ仕方ないが、大抵『そこで死なないためのもの』でしかない。
一般的な『元気に帰れる』なんてこと、( 元々を考えると仕方ないが、)殆ど起こりはしない。
それを1日に何回もする。深夜も関係なく、最悪は2、3 時間毎 にしている。
「『こう』はなりたくない」
そう思いながら、看護師は吸引するのだ。
「殺してくれ!!!」
吸引するときに、そう叫ぶ人を何人か見てきた。
正直、叫べるなら良くなる。
叫んで、暴れて暴れまくって、看護師を怒鳴り、噛みつき、殴る蹴るなら、まだまだ元気だ。
迷惑だが、安心するくらいだ。
喋れない人が多いから、彼らは涙を流す。
ガリガリになった頬。
眉間にシワを寄せ、小さく首を横に振る。
潤んだ瞳で「ヤメテクレ」と懇願してくる。
反対に、何もかもを諦めたように視線を反らこ、終始目を合わせないこともある。
私は「ごめんね」と呟いて、彼らの頭を撫でて、鼻に管を捩じ込むのだ。
あ゛あぁぁ……っ!!!
叫ぶ。泣く。哭く。
あれは地獄だ。
「痰がたくさんとれたよ!頑張ったね!」
終わりに報告すると、彼女は小さく縦に首を振る。
ホッとしたのは、彼女も私も。
彼女には、私たちはどう見えてるのだろうか。
そんなことを何週間と続けて、良くなるなら、まだいい。
どんなに小まめに吸引しても、痰詰まりで亡くなる(死にかける)ことなんて、ザラ。
死ぬ前に地獄を見たなんて、ブラックジョークも良いとこだ。
そうこうしてる内に、今度は 尿路感染 だ。
いまいち世間は理解してないが、尿道は無菌である。(だから私はsexでのアナル使用は断固反対なのだ…)
オムツ内の下利便に曝されたり、尿管から逆行性に菌が流入したために、尿道から感染する病気。
点滴や流動食では、栄養が十分でないこともあり、免疫系が元々弱いので、簡単に薬剤耐性菌に感染する。
そうすると、また熱が出て、体力(生命力)を奪われる。
超高齢者の病気とは、そんな感じだ。
「入院してるのに」何度も死にかける。良くなって帰れるなんて、ラッキーだと私は思うくらいだ。
明日も私は、彼女の吸引をする。
耳の遠い彼女に聞こえるよう、「ごめんね!苦しいよね!」と叫びながら、
酸素アラームがけたたましく鳴るモニターを横目に、
彼女を縛り付けて、痰を回収することを目的に看護したふりをするのだ。
何が看護だ。
地獄をみた。
急性期の病棟といえど、(だからこそ?)、当たり前にいる患者さん。看護師3カ月目にでもなれば、もはや『高齢になれば当たり前に誤嚥する。そして肺炎になる。最悪、死ぬ。』くらいの気持ちだ。
だけど、『ごえん』と入力しても、漢字変換の候補に出ないのだから、一般的な認知度は低いのかもしれない。
……医療なんてそんなものだ。
未だに『パターナリズム(私は素人なのて先生にお委せします)』なんてもの、平気で言う患者さん、家族さんは山のようにいる。
医療者は『セカンドオピニオン(他の先生の意見も訊きます)』を推奨して、責任を分散させようとしてるのに。
私は医師の診断だとか、厚労省の推奨する検診などを、鵜呑みにすることを推奨していない……というより、それらは疑うことから始める。
例えば、
私が高校生のころ推奨された 子宮頸がんワクチン を、『副作用はキチンと確認されていない』『殺草材の入った人口減少政策』のためのもの と信じて、打たなかった口である。
勿論、仕事は仕事だ。看護師として名乗る限り、仕事は仕事だ。
2年目看護師の思想など、(それが10年目でも医師には「看護師の戯言」と一蹴されるだろうが、)なんの意味も持たない。
だからこそ、ここで展開されるのは、看護師として誇りも義務感もない、糞な看護師の戯言だ。
……話がズレ過ぎた。
さて。誤嚥性肺炎の話であるが、
彼らは病院に当たり前に存在する、「見てられない」患者さんの一人だ。
それで入院してくる患者さんは、元々、ADL(日常的生活能力……食べる、排泄する等の基本的な生活能力)が低い場合が大多数であるから、
「あらあら、むせてしまったのね」
それだけで、肺炎になり熱が出て、ベッドから動けなくなる。
そのために、胃管(食べるとむせるので鼻から流動食を入れる)、尿管(元々ベッドから動けないので)、点滴(輸液と抗生剤)を入れられる。
それらを入れるだけなら、まだ可愛いものだ。
一般人(家族)は、患者が看護される姿を『本当に』見たことがあるだろうか。
一つ挙げるなら、吸引(痰取り)。あれは苦しい。
「ごめんねー、でもこれしないと、痰が詰まって息が止まるから」
と看護師に言われて、論理的に納得はできるが、承知はできない代物だ。
それをして状態が回復するなら、まあ仕方ないが、大抵『そこで死なないためのもの』でしかない。
一般的な『元気に帰れる』なんてこと、( 元々を考えると仕方ないが、)殆ど起こりはしない。
それを1日に何回もする。深夜も関係なく、最悪は2、3 時間毎 にしている。
「『こう』はなりたくない」
そう思いながら、看護師は吸引するのだ。
「殺してくれ!!!」
吸引するときに、そう叫ぶ人を何人か見てきた。
正直、叫べるなら良くなる。
叫んで、暴れて暴れまくって、看護師を怒鳴り、噛みつき、殴る蹴るなら、まだまだ元気だ。
迷惑だが、安心するくらいだ。
喋れない人が多いから、彼らは涙を流す。
ガリガリになった頬。
眉間にシワを寄せ、小さく首を横に振る。
潤んだ瞳で「ヤメテクレ」と懇願してくる。
反対に、何もかもを諦めたように視線を反らこ、終始目を合わせないこともある。
私は「ごめんね」と呟いて、彼らの頭を撫でて、鼻に管を捩じ込むのだ。
あ゛あぁぁ……っ!!!
叫ぶ。泣く。哭く。
あれは地獄だ。
「痰がたくさんとれたよ!頑張ったね!」
終わりに報告すると、彼女は小さく縦に首を振る。
ホッとしたのは、彼女も私も。
彼女には、私たちはどう見えてるのだろうか。
そんなことを何週間と続けて、良くなるなら、まだいい。
どんなに小まめに吸引しても、痰詰まりで亡くなる(死にかける)ことなんて、ザラ。
死ぬ前に地獄を見たなんて、ブラックジョークも良いとこだ。
そうこうしてる内に、今度は 尿路感染 だ。
いまいち世間は理解してないが、尿道は無菌である。(だから私はsexでのアナル使用は断固反対なのだ…)
オムツ内の下利便に曝されたり、尿管から逆行性に菌が流入したために、尿道から感染する病気。
点滴や流動食では、栄養が十分でないこともあり、免疫系が元々弱いので、簡単に薬剤耐性菌に感染する。
そうすると、また熱が出て、体力(生命力)を奪われる。
超高齢者の病気とは、そんな感じだ。
「入院してるのに」何度も死にかける。良くなって帰れるなんて、ラッキーだと私は思うくらいだ。
明日も私は、彼女の吸引をする。
耳の遠い彼女に聞こえるよう、「ごめんね!苦しいよね!」と叫びながら、
酸素アラームがけたたましく鳴るモニターを横目に、
彼女を縛り付けて、痰を回収することを目的に看護したふりをするのだ。
何が看護だ。
地獄をみた。